ピエール・ドゥ・ロンサール |
はしがき
*経済学の歴史には大きな曲がり角がいくつかある。アダム・スミス(1723~1790年。経済学の父、『国富論』1776年)、リカード経済学の成立(1772~1823年。近代経済学創始者、比較優位理論)、マルクス経済学の出現(1818~1883年。『資本論第1巻』1867年)、1870年代の限界革命(生産の立場に立つ労働の価値「労働価値説」ではなく、需要の立場、換言すれば個々人の欲望に基づいた経済学「限界効用理論」。これにより経済学の数学化が進んだ)、そして一番新しい曲がり角が1930年代にケインズによって拓かれた新しい経済学の成立(資本主義社会変革の可能性を拓いた『一般理論』)
*長い間、経済学の正流は、自由競争さえあるならば経済社会は調和ある状態を続ける、ということを論理的に明らかにすることであった。しかし19世紀の後半以後、自由競争が現実のものとなると、それ(古典派経済学)はなにもしないことであり、現実の説明をするだけのものに過ぎなくなった
*新しい経済学は、それまでの経済学の予定調和観の誤りを経済分析の武器を通して指摘し、国家の政策無くしては失業問題の解決も、不景気の克服も不可能であることを論証した。それは政治を経済という基礎から批判するものであり、政治経済学の復活であった
*第一線で活躍している政治家も実業家も、実は過去の経済理論の奴隷である、という諺があるが、ケインズ経済学の登場も古い政治家や実業家の通念とは摩擦を引き起こした。しかし、新しい経済学が古い通念に取って代わるにつれて、現実の経済社会も、同じ資本主義でありながら大きな変化を見せ始めた
*私(著者)は、ケインズ経済学の生誕の背景である1920年代から30年代にかけてのイギリス資本主義に目を向け、この危機(1929年は世界恐慌)に対処する伝統的経済学の政策と、ケインズの政策との対立を、ケインズ自身に内在して描いていこうと努めた
*ケインズは、イギリスにとって真理であり叡智であったものを、資本主義国どこにでも当てはまる真理であり叡智であるものに高めたといわれている
*本書の特徴の一つ目は、ケインズは植民地帝国主義国家としての老大国イギリス特有の三つの階級の利害構想を元に新しい経済理論と政策を作ったのだが(三つの階級については後述)、この点について、ケインズ理論と伝統的理論の対立が、海外投資を中心とする資本と国内産業に関係する資本の利害の抗争にあるという視点から意味づけた部分にある。著者が杉本栄一教授から与えられて研究テーマの一つとのこと
*本書の特徴の二つ目は、イギリス経済思想の視点から見れば、ケインズ理論はそれまでの経済学を支配してきたベンタム主義的思想(⇒イギリスの伝統的考え方である功利主義的な思想で、人々の幸福は測定・計算が可能とした。「最大多数の最大幸福」という言葉が有名だが、この言葉だけでは意味不明)の否定だという点を強調したところにある(⇒人間の期待・行動・幸福・利害は計測・計算だけでは理解不能なのだから、経済学にとってより重要なのは人間の内的洞察の方である、というような意味だろう)。宮崎義一氏から多くを学んだとのこと
*本書の特徴の三つ目は、新しい資本主義をつくりだす武器としてのケインズ理論という視角を強調したところ(例えば乗数理論⇒後述)。都留重人先生の影響が大きいとのこと
序説
*ケインズは、20世紀以来「衰えていくイギリス社会と、第一次世界大戦以来揺るぎだした資本主義経済とともに歩み、その変質のための処方箋を書き、しかもその処方箋が資本主義そのものの変化を可能にしたという意味で、一人の偉大な”経済”学者であった」
*ケインズは、現実をいろいろの意味で変えた。例えば下記
・自由放任主義を批判し、公共投資や景気振興策など経済政策の重要性を説いた
・貨幣制度を変えることに努力し、金本位制から離れて管理通貨への移行に積極的だった
・資本主義が既に変貌していることを認識したケインズの政策の正しさが、後に立証されている。例えば、景気を自動的に調節するメカニズムの制度化によって、第二次世界大戦後は第一次世界大戦後とは違って大きな不況に襲われていない(後のリーマンショックで顕在化した金融資本主義の台頭という新局面に対処可能な経済学は未だ出現していないように思われるが、少なくともいわゆる新自由主義ではなさそうだ)
・(ケインズの理論が現実を変える力を持つのは)「他の近代経済学者、シュンペーター、ヒックス、ワルラスのような書斎だけのものではないのである。」からである
・ケインズの社会的影響は、経済学者だけではなく政治家や実業家を変え、多数の追従者を生んだ
*ケインズ理論は生まれるべくして生まれた理由があるのだろうことは、同時代のいろいろな経済学者も別々に同じような考えに達していることから、明らかであろう
*ケインズの多様な肩書きは多方面での活躍及び特異な人間性を暗示している。下記参照
・ケンブリッジ大学キングス・カレッジの教師兼会計官
・29歳で、イギリスを代表する経済学雑誌「エコノミック・ジャーナル」の編集者
・第一次大戦後のパリ平和会議大蔵省主席代表
・大蔵大臣顧問
・国民相互保険会社社長
・三つの投資会社の経営者
・「ネーション」後に「ニュー・ステイツマン・アンド・ネーション」誌の社長
・イギリス貨幣制度を動かしたマクミラン委員会の委員
・王立インド通貨委員会の委員
・第二次大戦後の世界金融のあり方を決めたブレトン・ウッズ協定のイギリス代表とそれに基づく国際通貨基金と国際復興開発銀行の理事
・二十世紀文芸運動の一つであったブルームズベリー・グループの一員
・国立美術館の理事
・音楽美術奨励会の会長
・後に貴族となって上院議員
・ロシア・バレーのバレリーナ、ロポコヴァの夫
*本書の章立ては以下
Ⅰ(第一章) 三つの階級・三つの政党ーーーケインズの階級観ーーー
1920年代、イギリス経済学の変貌に対処した持論家としてのケインズ。ケインズの階級観と経済分析をもととする政治批判
Ⅱ(第二章) 知性主義ーーー若き日のケインズの思想ーーー
人間ケインズの若い時代の彼に焦点を合わせて、19世紀の人間像と異なる20世紀の人間像を問題にする
Ⅲ(第三章) 新しい経済学の誕生
主著『一般理論』の解説
Ⅳ(最終章) 現代資本主義とケインズ経済学
ケインズ理論が残したものを検討するために、現代資本主義とケインズの理論との関係を問題にする