自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年9月1日日曜日

8月31日(土) 加藤典洋『9条入門』追悼

モッコウバラ
最近逝去した同年代の文芸評論家の遺作的な本。加藤典洋さんは竹田青嗣さんの友人で、竹田さんが雑誌への追悼文を依頼されたが、なかなか書けなかったといっていたのを思い出す。
 本棚を見ると加藤さんの本が5-6冊並んでいる。本書と同じくそこには一貫して自分を内省して「ほんとうのところ」を探ろうとしている著者の態度が伺えることが思い出される。
 9条とは言わずとしれた日本国憲法第9条のことで、そこには平和主義に加えて軍隊の放棄が記載されているものだ。加藤さんは、戦後70年以上にわたる改憲と護憲論争には、「ほんとうのところ」に触れようとする態度が見られないと言っている。もちろん思い込みを避けて客観的事実を知ることは大事だから、本件についてもちゃんと調べているが、そこについては専門家のそれを読むのが良いだろう。
 
 要するに、憲法9条についての主権者としての国民の判断は、同じく主権者としての国家の判断に対して、自分で感じ取ったものを自分で考えるという態度で望む以外には原理的に無いのだ。個々人が事実に基づく(歴史とその時代の人々の心)ことの大切さと、内省すること(頭と心の納得の追求)の大切さを認識することによって。

0 件のコメント:

コメントを投稿