自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年9月16日月曜日

9月1日(日) 高橋源一郎×鹿島茂 スペシャル読書対談―加藤典洋『9条入門』を読む

仲間のからの情報で、東京堂ホールにてこの対談があると聞いていってきた。
ベビーロマンチカ


興味は5月になくなった加藤典洋の著作の方にあったのだが、対談していた二人の顔を見て、「英雄達の選択」というNHKテレビの番組に度々ゲストとして出てくるあの人達であった。つまり、磯田道史と繋がっていると。
 
 それはさておき、加藤典洋の『9条入門』についての、というよりは、加藤典洋の思想を支えている態度についての対談者の感度は、私の感度と良く一致していた。つまり、社会で生じている事象についての「ほんとう」のところは、自分の内省に基づいたリアルにある、と言う、この感度が。具体的なこと、例えば9条をどう書き換えたり削除したり他の条項も関連してどうするが、あるいはなにもしないのか、などについては加藤典洋も高橋源一郎も鹿島茂もすっかり一致することはないのだろが、この感度が共通していれば、ある時点において仮に結論を出さなければならないとしても、本質的困難つまり対立から合意へと至ることの出来ないような困難はすでに除去されているのだろう。

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