自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2020年12月25日金曜日

12月25日 『バッタを倒しにアフリカへ』前野浩太郎著 2020 光文社新書kindle版

新雪
 子どもの頃にファーブル昆虫記に魅せられてそのまま博士になった学者が、研究と生活維持のためにアフリカのモーリタニアという国の研究所で、バッタ(農作物を全滅させる例のイナゴのことかな)のフィールド研究をする顛末記。

とにかく好きなことをする場合はどんな苦難があろうともそれを楽しくしてしまうと言う原理に則って、日本では信じられないような出来事が日常茶飯事の国において、いつどこで発生するかわからないバッタを捕獲網を片手に追いかけている博士達の日常は、事前の計画とは無関係な偶然に支配される世界、バッタと一緒に生きている砂漠の世界、現代では殆ど失われた驚きと喜びの世界なのである。

もちろん研究目的は農作物の被害を防ごうという崇高なものではあるが、だから公的世界から少々の金銭を得ることが出来るのだが、博士はなぜかバッタが大好きで、おまけに自分を含めた人間が大好きなのであって、むしろそっちが大切なのだ。だからやけに楽しそうなのである。アフターコロナの世界に生きる人の生き方を指し示す本かも。本書の推薦人は哲学や歴史の会の仲間で、落語とジャズとダイビングが好きなキザな爺さん。面白かったよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿