自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2025年1月26日日曜日

丸山眞男先生の「忠誠と反逆」。日本思想史への誘いに乗せられそう

 仲間の読書会のテキストはいつでも必ず読むことにしている。丸山眞男先生の著作に限らないが、名著・古典の類は例によってほぼ「積ん読」状態なので、今回もまた、やっと先生の十数冊の積ん読書の中の一冊を読まざるを得ない機会が訪れたことになった。
ジャスミーナ
 
 思想・哲学の本を読んで「懐かしさ」を感じることはあまりなかったが、本書は先ず故郷の風景を思い出させてくるようなところから始まっていた。日本思想史研究の碩学の文章をよんで故郷の風景を思い出してどうするのだと言われれば、そうですね、というほかはないが、私にとっては遅蒔きながらの発見であった。読書会でこの本を選定してくれ担当の方に感謝します。

  共同体の中や共同体同士の関係には様々なものがあると思うが、政治・社会の視点から「権力関係」に注目すると、自由・平等・権利・義務、統治・国家、公私、討議、合意、○○主義イデオロギー、等々といろんな言葉が浮かんでくるが、これらの多くは明治維新以来西欧から輸入された概念で、実はそれを理解する根拠はそれ以前に自分たちで理解していた概念が前提される、という当たり前のことに気付かされた。「忠誠と反逆」という題名は、ここに気付いた途端腑に落ちてくる。なるほど、権力関係は忠誠と反逆から出発する手もあるな、と。思想・哲学は頭より先に心で受けとめられるものなのだ、ということを思い出した。 

  故郷は日本であることに間違いないが、縄文時代までさかのぼっても悪いことはないけど、現代日本の思想の理解は明治時代の日本の思想に基礎があった。もちろん、明治時代の思想には西洋からの輸入品とそれまでの日本列島内で育まれてきた諸思想、仏教・儒教思想から、武士社会の規範、江戸諸学派まで、批判的にも色濃く継承されていたはずだ。採り上げられている思想家は福沢諭吉をはじめとして植木枝盛から徳冨蘆花や三宅雪嶺まで広く採り上げられている。そういえば、丸山先生より少し年上だった私の父の書棚に、三宅雪嶺の確か青少年向けの本が並んでいたけど、どこにあるか屋根裏で探してみよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿