自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2025年4月12日土曜日

床屋談義の域を少し超えようかと、 高坂正堯先生の『国際政治 恐怖と希望』を熟読してみた

 はじめに読んだのは、2019年の春頃のkindle版だったが、内容は驚くほど覚えていない。kindleに入っていることすら忘れている。

ピース

今回は違う、というのは仲間の読書会の担当者ということになって、昨今の国際情勢を少し理解、といっても床屋談義からちょっと進んだ程度だろうが、と真面目に思い選んだ本だからだ。ところが真面目選んだからにはと真面目に読んでみると記述の意味が不明だ!どうしていそう言えるの、もし高坂先生と質問したら、もう少し勉強してから質問しろ!と言われるに違いない。その通り。国際情勢についての情報や解説はジャーナリズムから洪水のようにあふれ出てくるが、人の話を右から左へと会話することはできても、その意味を考えてみようと勉強したことはないのだから。確かに今まで読んだ好きな哲学書はとても役立つのだが、それだけでは分からない。現実を知らないと言えばそれまでだが、イヤ面白かった。高坂先生の現実主義を考えてみる機会が与えられた。

詳しくはこちらを見てね⇒爺~じの本の要約: 高坂正堯『国際政治 改版---恐怖と希望』中公新書1966年


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