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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2025年4月13日日曜日

『天災から日本史を読みなおす(2014)』磯田道史 中公新書【感想】


ブログの断捨離中で、10年ほど前のをこちらに引っ越しました。

ハニーブーケ

『武士の家計簿』以来著者のファンである。著者が、歴史は生身の人間の生活から読み解かれるものである、と考えているように思われるからである。そして、古文書を専門的な技術と総合的な知識を駆使して、経験に基づいて解釈するという実に科学的(本来の意味における)な方法によって貫かれているからである。

 東日本大震災を契機に書かれた本書は、日本列島において過去に発生した自然災害の歴史も、適切な古文書を探して解読していけば相当なことが判ることを改めて教えてくれた。だが、同時に不幸な歴史は時とともに忘れ去られていくという史実も思い出させてくれた。地震、津波、噴火、異常気象のもたらす異常な風水害、これらは日本列島においては特に頻度も程度も高い。にもかかわらず、過去から学ぶことが出来ずに悲劇が繰り返されるのはなぜだろう?

 いま一歩突っ込んで考えれば、誰が学びそれを生かして実行するのか、またそうする動機はなにか?関連して悲劇に見舞われる人々の差異は?等々。本書はこれらの解明の第一歩になると思うが、その次のステップも視野に入っている。

2014年、広島市の八木地区において、そこが「蛇落地」と呼ばれていた場所に作られた団地で発生した大規模な土砂崩れによって多くの犠牲者が出た。このことに関連して、本書で次のように書かれている。「この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。自然はコントロール出来ると、人間優位を驚くほど信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ、この時代の思想のツケを後代の我々は、いま払っている。(改行)この地の領主が「自然に勝てる」と思い始めたのは、戦国時代のことであったらしい。・・・」。八木を治めた香川一族の子孫が著した古文書には、先祖が享禄五年(1532年)に大蛇を退治した、と自慢気に書き残されている。町史に載っている「蛇落地観音像」の写真のお顔は慈悲深く「みているうちに、なんともやりきれなくなってきた。」

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