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| モッコウバラ |
似たような別ブログで書いた、『国際政治 恐怖と希望』(⇒爺~じの本の要約)はもう少しあとの著作だが、「理想主義」の危うさを批判し「現実主義」(リアリズム)を説いている。
ところで、国際政治や国際平和をリアリズム抜きに考えることに意味があるのだろうか?と考えてみれば、現実主義者の平和論、とわざわざ言う理由を推察できそうだ。カントも「理性の誤謬推理」を指摘しているし、フッサールも、「まず現象の記述からはじめよ」(『現象学の理念』)と言っているし、あっこれは直接関係ないけどそう思う。
高坂先生は、世界に冠たる平和憲法の特に憲法9条の非武装条項は日本が追求すべき絶対平和という価値であると評価し、非武装中立論も国家の価値の問題を組み入れているところを評価している。でもそれは、理想主義ではなく現実主義に基づいたものであるところが肝となっている。ここで、国家の価値というコトバが高坂先生の考え方というか歴史観のキーワードであることが読み取れる。それは56歳の頃の講演録(『歴史としての二十世紀』2023年)に、異なる文明との遭遇の箇所で「それぞれの国の国民あるいは民族には、一般的な精神があり、それから離れるとその国民・民族の能力は落ちてしまう・・・」という記述にあるように、各国家には、チョット危ういニュアンスと本人が仰っているけど「民族の精神」という価値があると述べられていることから明らかだ。だが、同時に各国に共通な普遍的な価値あるいは正義は無くなりそうだが、この問題を解くには、言い換えれば世界平和を望むなら、理想主義では無くて現実主義でなければならない、ということなのでしょう。


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