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ピース(蕾) |
1962年に高坂正堯先生が坂本先生の研究室を訪ねてきて、東大前の喫茶店で3時間ほど話し合ったことに触れられていた。当時、ジャーナリズムによって理想主義者の坂本先生と現実主義者の高坂先生という安易な対比がされていたそうで、このお二人が3時間話し合われた内容には興味を引かれますが、「話していて、この人(高坂先生)は「戦争の傷」を骨身にしみていないという印象を禁じえませんでした。」という坂本先生の感想は、自分は現実主義者ではないがリアリストだと述べていても、やはり理想主義者の言葉だと思えます。
どうも、両先生の考えの相違は、「国家」の捉え方にあるとも言えるのではないでしょうか。また、坂本先生の言う世界市民が、国民国家である主権国家間の権力闘争を超えて、平和な世界を確実なものとする条件は何なのだろう、という問いの立て方は妥当だろうと思っていますが、その問い自体は既に現実主義に基づくものだろうと思えます。
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