自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2022年12月4日日曜日

『哲学と宗教 全史』(出口直明著)ダイヤモンド社 Kindle版 コンパクトで簡潔に纏まっているので便利です

芳純

  本当に博学、かつビジネスの実践者でもあった著者による、東西世界に歴史上出現した宗教と哲学の全史が簡潔に語られている。その分野の研究者ではない私にとってはとても便利に、つまり「それってなに?」という問いに対して「それはこういうことだよ」と、ふつうよりもとても広い視点から少しだけ深く説明してくれている。

対象が哲学と宗教となると、この「少しだけ深く」凡人に説明できる人はあまりいないと思う。しかもノウ・ハウものとは異質なヒントを与えてくれそうな、歴史に鍛えられた「考え方」を覗かせてくれる本の企画、さすがビジネス書のダイヤモンド社です。ただし、「考え方」を「より深く」自分なりにでも理解するには本書に紹介されている古典・名著を自分で読んでみる必要があるでしょう。本書二は、そのような古典・名著が紹介されているので、その点も利用価値があると思います。

2022年10月13日木曜日

『イラク戦争と自衛隊派遣』(東洋経済 2004年4月 森本敏著)

あゆみ
 読んだ動機は2003年3月に始まったイラク戦争(米権の呼称では「イラクの自由作戦」)の意味を知りたかったからだ。本書を選んだのは出版社と著者に対する信頼です。信頼とは叙述に虚偽がないだろうということについてであって、本書の主張に対する賛同ではない。(⇒)内は私の補足。

米英とイラクとの戦闘はわずか21日で終了したが、2022年10月時点でもイラクは自律した統治がなされてはおらず崩壊国家ともいっても良い状況である(日本の外務省基準で危険度4~3の地域)。駐留米軍は2021年末には「戦闘終了宣言」をしたが、その後もISILなどによるテロが継続しているため米軍の撤退も完成されていない。

本書では、バクダット陥落までの米軍の作戦を第一期作戦と呼び、米軍占領統治以降を第二期作戦と呼んでいる。第一期作戦は実質21日で終わり、第二期作戦は本書の出版時点(2004年春)で継続中だが、占領政策の最中の作戦で戦う敵はテロリストと称される人々(イラク軍残党及びイスラム過激派アルカイダなど)となっている。

本書の記述から読み取れた、上記の読書目的から発せられた問いに対する結論は以下

  • 米国がイラク戦争を始めた理由は、2001年3月に米国で発生した同時多発テロが直接の契機となって、ブッシュ大統領が言う「テロとの戦い」という新しいタイプの戦争を行うことにしたことである。このタイプの戦争とは次のようなものとなるようだ
    • 戦争の相手は主権を持つ国家も対象とする
    • テロの予防という予防戦争という性格を持つ
    • 国連安保理決議など国際社会における合意は必要条件ではない
    • 「大量破棄兵器」を国際社会の承認なしに持つ国家は、予防戦争の対象となる
    • 「大量破棄兵器」とは核兵器、生物・化学兵器(⇒今のところ)
  • 従来の国際秩序の常識から判断すればイラク戦争の正当性は怪しいが、国際的テロ防止行動の必要性は世界が共有している
    • イラク戦争は国際法違反で国連のルール違反(安保理決議出来ず、ロシア、ドイツ、フランスは反対表明)
    • 「大量破棄兵器」は見つからなかった(実際保持していなかったらしい)、核兵器不保持・不製造の証拠は再三の開示要求にもかかわらず拒否(だからといってテロ予防戦争が正当化できるとは言えないだろう)
    • 国際テロ防止のための国際貢献に資する予防戦争というよりは、米国を標的にしたテロ再発防止の意味合いが強い
    • 第二期作戦状況は、米軍の戦闘作戦がむしろスンニ派イラク軍残党を国際テロ組織に追加することになるかもしれないことを予感させ、テロ予防戦争としての目的が果たされるかは疑問
  • イラク戦争の結果、国際秩序維持を主導する米国という構図は不変としも、米国一極支配ではなくなり、その内容も変質する。ポイントは米国との同盟の意味が変化すること
    • イラク戦争開始についての安保理決議は出来ず、米英連合が単独で開戦することになり、国際安全保障に対する国連の機能には限界があることが露呈した
    • 米国にとっての同盟国の基準は、冷戦期は共通の敵(ソ連)、ソ連崩壊後は民主主義・人権・自由・市場経済という共通の価値観(⇒価値観の違いが対立の根拠となるならば、それは歴史の逆向と思うが)
    • 同時多発テロ以後は、上記のような基準に次のような項目が付け加わった。すなわち「米国と共同でテロ防止行動を取るか否か」
    • つまり、テロ集団やテロ支援国、大量破壊兵器の開発・拡散に関わるネットワーク・国などに対して、米国とともに戦う国だけが米国の同盟国とみなされることになった
  • イラク戦争第二期作戦中、イラク戦争の戦後復興は、国連の事後承認的措置によって、米国以外の国家も参加している(経済、治安維持等々)
    • 経済援助は330億ドルで、その内世界銀行とIMFで55~92.5億ドル、米国が203億ドル、日本は米国に次いで国家単位ではダントツの50億ドル
    • 治安維持(大部分はテロ対策)に他国の軍隊が参加、日本は戦後初めて自衛隊がサマワに派遣された(急遽作られたイラク人道復興特別措置法に基づき)
  • 日本の安全保障は米国との同盟関係によって可能となる。そしてこの日米間の同盟関係の吟味が喫緊の課題
    • 背景には国際政治構造の歴史的転換がある。すなわち、冷戦終了、ソ連崩壊、そしてテロとの戦いという「新しい戦争」形態の出現
    • イラク人道復興特別措置法は、米国との同盟関係を重視する小泉総理大臣が急遽作ったもので、自衛隊が国連決議とは別に国際テロ防止戦争に米国同盟として参加可能とするものとなっているが、PKO協力法とは異質なものである
    • イラク戦争におけるイラク人道復興特別措置法の適用は、自衛隊がテロ予防戦争に参加する正当性の観点や、派遣される自衛隊員の安全等に関わる諸問題がある
    • 本書の帯には「日本の国際貢献はこのままでいいのか!」と記されている。つまり、変化した国際情勢に現実に対応するには、日本は米国と強固な同盟を組み、国際テロ予防戦争に軍隊を派遣することを含めた国際貢献をすることである、と
  • 著者の提案は、憲法改正が前提となるが「下限が見えないなら上限を実行できる能力を持ち、政治的に国際情勢に応じて必要且つ合理的な政策を選択をする」こと(P307~P308)
    • 上限とは「英国のように、軍事面で「全世界で全方位の作戦でともに戦う」こと
    • 下限とは、現時点では「自衛隊が現在の憲法の枠内で(⇒ 「イラク人道復興特別措置法」法の改良・追加版の下で)国際貢献をすることだが、それでは不十分だろう
    • 適切な下限とは、日米同盟を破綻させずに、軍事同盟以外の経済的・政治的な適切な支援政策をとることだが、それは現在明確ではない
  • (⇒雑感を少々)
    • 著者は1941年生まれ、防大卒自衛隊出身(⇒三等空佐=少佐)で外務省勤務等を経て民主党の野田政権時に民間出身初の防衛大臣を務めた軍事・外交の専門家なので、その主張には傾聴すべきところがある
    • 素人が現代の軍事戦略・技術上の知識を得るには大変役立った。米軍の軍事力は圧倒的(⇒多分現在も進歩を継続中)
    • しかし、国際テロ対策に関しては国際的な協力の枠組みが必要としても、軍事・政治・経済・文化政策の国際的対立ではなく、協調・合意・許容が効果的だろう
    • イラク戦争当時のように、「悪の枢軸国」などの標的を設定して、これを圧倒的軍事力でたたくというような戦略は、現在進行中のロシアのウクライナ侵攻と同様に古びた戦略であり、対国際テロ対策としても有効ではないだろう
    • 恐怖と不安が戦争を生み、生きて行けない絶望がテロを生むのが歴史の教訓だ。これらを取り除くのは、イソップ物語に出てくる北風(戦術)ではなく太陽(戦略)であり、現代の政治的状況に於いてはこれは最も効果的な戦略であろう
    • 日本の将来は、共通の価値観に立つ米国を巻き込んで、この戦略を戦術に、そして政策として率先実行出来るかどうかにかかっている。これこそが「日本の国際貢献」だと思う。

2022年9月29日木曜日

『学問と政治 日本学術会議会員任命拒否問題とは何か』(岩波新書 2022/6/23)

ジャスミーナ
 2020年10月、日本学術会議会員の任命が内閣総理大臣によって拒否されるという事態が発生した。本書は任命を拒否された6名(芦名定道、宇野重規、岡田正則、小沢隆一、加藤陽子、松宮孝明)による、このような事態に対する抗議の書である。

事態の本質は、行政による学問の支配という悪政が実施されたことにある。法的には憲法23条の学問の自由に抵触し、学術会議法の違反でもあり、この問題は、継続して追求すべきものである。

何故政府がこのようなことをし始めたのかについては、任命拒否の理由が開示されていないので、今のところこれ以上進んでいないが、科学技術の力を日本学術会議ではなくて政府の支配下に置こうとしているかららしい、とりわけ、軍事力に関わる科学技術に関しては。

因みにここで述べられている科学技術という言葉のうちの科学には自然科学だけではなく人文科学も含まれているのは政府も学術会議も同じ。しかし、科学技術という言葉の意味については政府と学術会議では異なっているようで、政府は科学に基づいた技術のことを指し、学術会議の方は科学と技術のことを指しているようだが、これは枝葉末節どころかことの本質に関わることだろう(多分殆どの人にとってはどちらでも良いのかもしれないが)。

もとより、日本学術会議会員の任命拒否問題は、近年(例えば第二次安倍内閣が成立した2012年12月26日以降ともいえるだろう)、における日本政治の急激な変質プロセスの中で発生したものであろう。だから今回の問題を深く理解するには、政治の変質に伴ってすでに顕在化している個々の事態(有事法制等々)の認識と、その事態が発生してくる本質的な理由を理解することが必要となる。

国家というものを構成する要素は、大きく言えば、国土・国民・経済力・軍事力・統治力だろう。そして近代民主主義国家は、なによりも国家は国民のためにあるのであって、その逆ではないことを目指し、そしてそれが可能な仕組みを求めてそのつど発生してくる未知の課題を解決しながら、人類史から見れば短い歴史を積み重ねて来た。その結果、国家の力においては他の形態の持つ国家(種々の独裁国家等)より強力となったのだが、そのさいの根本原理は自由(個々人にとって)と自律(共同体にとって)であろう。

そして、未知の課題を解決する知を生み出す根源は学問であって、今回の問題に即していえば、「科学に基づいた技術」ではなく「科学と技術」だろう。したがって、近代民主主義国家にとって、学問の自由と自律は必須の条件となる。本書の表題は、そのことを端的に表している。本書の出版記念シンポジウムが2022年9/6に岩波書店により開かれた。便利なもので、シンポジウムに参加していなくても後日岩波書店のyoutubeで観ることが出来ました。3時間もありますが、私にとっては様々な面で理解が深まりましたので、いつまで公開されているのか分かりませんが、下記にリンクを張っておきます。

シンポジウム学術会議任命拒否問題とは何か



2022年8月14日日曜日

エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』を読んでみた

パパメイアン
 本書は、文春文庫kindle版『第三次世界大戦はもう始まっている』(エマニュエル・トッド著2022/3/23)に収録されている。読んだ動機は、ロシアのウクライナ侵攻の理由と意味を知りたかったからだ。書かれている内容については別ブログ爺~じの本の要約に掲載しましたのでリンクをクリックして覗いてみてください(A4で14-5枚程度)。

 何故トッドなのかと言えば、かなり前に読書会仲間が、手軽な新書版でトッドを読みたいと提案があって、数冊通読したことが一つ。確か『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』だったと思う。この三冊に加えて、2000年頃書かれた『帝国以後』(邦訳は藤原書店から2003年出版されている。)が沢山の人に読まれているらしい。いずれも時勢にマッチしていて、短くて比較的安価だからだろう。これらの本には何が書かれているかを知るだけなら、ネットで”書名”と”書評”で検索して、大学の先生などの解説を読めばあらかた分かる。さっきやって確かめてみたが、結構有効だった。

 だが、問題は、どうしてそう言えるのか?なのだが、それについては、多分『新ヨーロッパ大全Ⅰ、Ⅱ』をちゃんと読んだりしないと分からないのだろうが、大部なので積ん読になっている。もう一つは、この歴史家・人類学者・とくに人口動態学者であるトッドの『新ヨーロッパ大全』の日本語訳が出版された時に(1992年末頃か)、かの歴史人口学の大家である速水融先生がその本を片手に京大の研究室に入ってきて、結構興奮した面持ちで学生に紹介していた、と磯田道史さんが言っていたからだ。つまり、歴史をデータ(例えば人口構成の推移とか)に基づいて、合理的・客観的に理解する手法を提示ていたという評価があったからだろう。

 ところで、本書の重要な結論を端的いえば、次のようになる。もうすこし詳しく知りたければ、冒頭に記したリンクを参照してほしい。

 ロシアのウクライナ侵攻という事態を招いた原因はロシアではなくアメリカにある、というのだ。これは西側メディアが連日報道している内容とは真逆だ。更に、すでに第三次世界大戦が始まっている、という文言が表題にもなっている。ドットは、かってソ連の崩壊等を予言したことが知られているから、かなり衝撃的だ。つまり、ロシアにとっては防衛戦争であり、17世紀来のロシア圏内におけるローカルな問題であったウクライナ問題を、アメリカがグローバル化した世界対立へと導いたと。

 もうすこし言ってみると、ソ連が崩壊して東西冷戦が終結した事態を”勝利”としか理解できない奢った超大国アメリカが、世界に対して取り続けた「力による問題解決を見せつけることで自国の世界に対する統制力を維持しようとする方法(代表的には弱小国に対する軍事侵攻)」を、大国ロシアに対しても、グローバル化した世界になっている状況において、無思慮・無反省に取り続けた結果、世界を力による対決へと導いているのだと。そうなることは合理的な予測能力に欠けるリスキーな超大国アメリカにとっては、当然予想外だろう。予測できないことは原理的にリスキーなことなのだ。

 折角なので、ドッドの専門の家庭構造論で言えば、家父長的共同体家族が構成する権威主義的平等社会陣営と核家族的家族が構成する自由主義的個人社会陣営に分かれての世界大戦がはじまった、ということになる。これに関連した皮肉な話が述べられている。1970年代頃からアメリカの政策に強い影響を持ってきたネオコン陣営の中心に、ある「一族」・ファミリーが居て、彼等は今、過激な反ロシア政策を掲げている。つまり、家父長的共同体家族同士で敵対していることになってしまったのだ。

 そうトッドが考える理由は、先に挙げた四冊の著作から読み取れるトッドの思考の延長線上に、今回の侵攻についての具体的事実を重ねて導き出された判断にある。原因の追及が再発防止対策のためなら、どちらの見解が正しいのかについて、将来にわたって継続的に冷静に吟味しつづけねばならないだろう。

 ここで、直接に日本に対することなので、もう一つだけあげてみる。それは、自国だけではなく世界の安定のためには、日本は核武装すべきである、というトッドの提言だ。この提言は以前よりのもので、今年の5月号の文藝春秋にも掲載されいるそうだ。今回、核大国ロシアによるウクライナ侵攻によって、核を保有する大国が、従来の世界常識に反して、通常兵器による戦争を行う可能性があることが示されてしまったことで、地政学的で合理的な思考に基づいて考えれば、自国を偶然に委ねるつもりがなく核抑止力も有効なら、核の傘も核共有も幻想であり、選択肢は自国で核保有するのか、それともしないかのどちら以外にはない、と。

 


2022年8月2日火曜日

『母権論序説』(J.J.Bachofen)吉原達也訳

フレンチレース
  「母権制」「母権論」という考えは、1861年にバハオーヘンが著した『母権論』によって初めて提示されたそうだ。この考え方についての簡明な説明が、「世界大百科事典」に著名な民族学者、大林太良によってなされているので下記に引用した。

 彼(バハオーフェン)は、社会を進化論的に段階づけて、アフロディティー女神によって象徴される〈泥沼的生殖関係〉の時代、次にデメテル女神によって象徴される〈母権〉ないし〈女人政治制〉の時代、最後にアポロ神によって象徴される〈父権〉の時代が来たと論じた。この三段階のの図式はこのままの形では一般に受け入れられなかったが、父権制のまえには母権制があったという考えは、歴史家、民族学者に影響を及ぼした。またその神話研究はシンボリズム研究の先駆けとして評価されている。(大林太良「世界大百科事典」Japanknowledge personal版より)。

 吉原達也訳の『母権論序説』は、『母権論』(1992~1993年にかけて白水社から分厚そうな2冊訳本があるようです)の「序説」部分で、考え方の基盤を説明してある部分のようです。1815年生まれのバハオーフェンはダーウインより6年ほど年下でマルクスより3年ほど年上の同世代、結構影響を受けたそうなニーチェは30年ほど後の世代となります。バハオーフェンの社会進化論的考えの対象は人間の社会ですが、生物を対象にしにたダーウインの進化論の影響を受けているのかどうか、本書を読んだ限りでは分かりません。つまり、父権制が母権制より進化した社会なのだと著者が考えていたのかどうかは分かりません。

 面白いところは、著者の説が真実を言い当てているかどうかではなく、歴史の真実に近づく方法として「神話」が取り入れられていることです。つまりそこには社会法則としての普遍性が直観されうるのではないか、というアイデアです。本書は「序説」なので、個別の事例研究の記述はあまりありませんが、古代ギリシャの父権制以前の神話時代の社会の読み解きは興味深いものがあります。つまり、人間と物質との関係性および人間の心性を離れては、歴史的知識は内面的に完結しないと言うことです。方法論自体についての、著者の考えの一部を以下抜粋してみました。

 現代(19世紀中頃)の歴史研究は事件、人物、時代関係の吟味だけに限定して進められているにすぎず、また歴史時代と神話時代という区分を設定し、しかも神話時代を不当に拡張している。<中略>知識は、起源、継続、結果を把握して初めて、理解へと高まるのだ。そして、全ての発展の端緒は神話にある。われわれは、古代を今まで以上に深く探究しようとすれば、常に神話に立ち帰らざるを得ない。神話のうちにこそ起源が潜み、神話だけが起源を解き明かしうる・・・。


2022年7月24日日曜日

フッサールのイデーンをまた読み始めました

 今月から、NHKカルチャーで竹田青嗣先生がイデーンⅠ-Ⅰ解読講座を開設した。イデーンということと、12月には数年ぶりの合宿も企画されているというので、参加することにしたが、もったいないので自分が発表する分だけではなく、講座で取り上げられる箇所全部についてレジュメを作って、別ブログ「爺~じの「名著読解」」に逐次掲載することにした。どこまで続けられるか分からないけど。

芳純
今回の講座で取り上げられているところは下記(つまり続きがあるのでしょう)。

第一篇 本質と本質認識
第一章 事実と本質

第1節 自然的認識と経験
第2節 事実。事実と本質との不可分理性
第7節 事実学と本質学

第二章 自然主義的誤解

第22節 プラトン的実念論だとする非難。本質と概念
第23節 理念を見てとる働きの自発性。本質と虚構物
第24節 一切の諸原理の、原理

第二篇 現象学的基礎考察
第一章 自然的態度のなす定立と、その定立の遮断

第27節 自然的態度の世界。すなわち、私と私の環境世界
第28節 コギト。私の自然的環境世界と、理念的な環境諸世界
第30節 自然的態度のなす一般定立
第31節 自然的定立の徹底的変更。「遮断」、「括弧入れ」
第32節 超越論的現象学エポケー

第二章 意識と自然的現実

第34節 心理学的現象学的な主題の形で論ぜられる、意識の本質
第35節 強い意味における「作用」としてのコギト。非顕在性への変容
第36節 志向的体験。体験一般
第37節 コギトにおいて純粋自我が「何かの方に立ち向かっている」ということと、把握しながら注意するということ
第38節 作用に対して加えられる反省。内在的知覚と調節的知覚
第39節 意識と自然的現実。「素朴な」人間の見解
第41節 知覚の実的成素と、知覚の超越的客観
第42節 意識としての存在と、実在としての存在。直観様式の原理的相違
第43節 一つの原理的誤謬の、解明
第44節 超越的なものの単に現象的な存在、内在的なものの絶対的な存在
第45節 知覚されていない体験、知覚されていない実在
第46節 内在的知覚には疑わしさがないこと、超越的知覚には疑わしさがあること

『イデーンⅠ』あとがき(⇒これは本書冒頭に置かれている)





2022年6月4日土曜日

『マハン 海上権力史論』北村謙一訳 原書房

パパメイアン
  本書は1890年に著された海軍戦略の最重要文献と言われている名著で、「陸の地政学」と言われているマッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』(1919年)と並び称せられているそうです。出口治明さんによれば、このマハン(アメリカ海軍軍人、歴史家)の地政学の考え方を知るには第1章(シーパワーの要素)だけ読めばいいと書いてあったので、緒論と第1章だけを読んでみた。尚原書は14章あるが、本訳書は抄訳で全8章の構成となっている。そのうちの緒論と1章と8章(原書では14章、1778年の海洋戦争の評論)が全訳。第2章~14章は、17世紀から18世紀(200年間程)に起こったヨーロッパにおける海戦の歴史で、目次の項目だけみても、随分沢山の海戦をしたことが伺える。その歴史から教訓つまり一般原則あるいは海の地政学といわれるものが導かれているようだ。

 ということで、その一般原則から二点だけ書いてみた。一つは、当時の主力であったであろう帆船から新技術による蒸気船へと変化するだろうことによって戦術が変わってくるが、その際に参考になる歴史的教訓があるという。それは、蒸気船は昔のガレー船との同じく風に左右されないことだ、と。確かにこれは歴史的に似た条件があれば、どんなに古い教訓であっても参考になるという意味で普遍性があるだろう。もう一つはかなり説得性がある。つまり、海軍は商船保護のために存在していたという教訓だ。つまり、具体的には植民地獲得と経営の決め手になったのは海軍だという教訓である。従ってシーレーンが地政学上きわめて重要であることが導かれる。その点に関して、大体19世紀半ばまでの300年間にわたる、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの違いが述べれられている。もちろん当時は最後にイギリスが覇権を握ったのだが、要するに国民性だと。つけくわえれば、冒険心はあっても価値を収奪するだけの国は滅び、価値を自ら創り出す国が強いのだと。これは国家の戦略に関わることで、兵隊の数がものを言う陸軍とは違って、海軍においては大きく影響したはずであろう。