自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年5月10日水曜日

5月10日(水) やっと、鯨岡峻先生の本一冊のまとめをアップロードしました

本の名前は『〈育てられる者〉から〈育てる者〉へ』です。感想部だけ下記します。詳しくは、別のブログ「爺~じの「本の要約・メモ」を見てね。まとめ方が悪くてメモにしては長いけど。

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【感想】

本書は、育児に関わる多くの事例・エピソードに基づいて、そこから著者が普遍的なものであろうと感じ取り・読み取った事柄の記述である。だから、子育て最中の若い人にとっては是非本書自体を読んでもらいたいと思う。実は本書の魅力の一つは、味わい豊かな文章の記述にあるのだが、この点においては、この要約はあまり役立たない。

一方、本書に盛り込まれている人間理解の仕方には、とても深いものがある。だから本書の考え方は子どもだけではなく大人も対象になるのであり、より広く他者と関係を持ちながら生涯変化していく人間という存在の関係自体をも対象とした一つの哲学であると思う。この点においては、この要約は少し役立つのかも知れない。

尚、第四章の「■〈育てる者〉たちの生涯過程を振り返る」以降については省略した

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