自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年5月27日土曜日

5月27日(土) エマニエル・トッドの新書三冊

仲間のプチ読書会でエマニエル・トッドの新書三冊を読んで、それを魚に一杯やるというので急いで二冊読んでみた。読んだのは『シャルリとは誰か 人種差別と没落する西欧』『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』で、あと一つの『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』は,、バラの手入れの方が忙しくて明日の集まりまでに間に合わなかったから、読んで纏める係の友達の解説を聞いて読んだことにしよう。
1951年生まれでフランスの歴史人口学者トッドさんの本を読むのは初めてだから、なぜそういう話になるのかということについては今一つ腑に落ちない。しかし、とにかく現在進行中の歴史的転換に対する一つの見方であることは確かだろう。東アジアやトランプの米国やプーチンのロシアだけではなくて、欧州もやっぱり変なのだ。欧州は、人間の自由・平等などの基本理念に基づいた近代国民国家の発祥地なのに、そんなことで大丈夫だろうか?

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