自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年10月7日土曜日

10月7日(土) 『プラトン入門』(竹田青嗣著 ちくま新書 1999年)


 本書は2005年頃読んだのだが、竹田青嗣という人は、哲学の価値と普遍性を、普通の人にも気付かせてくれる数少ない「哲学をする人」であると思う。
 人が生きていくためには、生物としての生存条件だけでは十分ではない事は多分誰でも気付いている。しかし、ではそれ以外に人は何を必要としているのかという問いに対しての回答は難しい。

 プラトンは、そのことの本質を洞察した歴史上最初の人間であった。以後2500年を経た今日に至るまで、一部の哲学者と数多の普通の人々を悩ませ、ついには問わざるを得なかった本質を。もちろんプラトンが述べた個別の内容が今日の世界においてすべて妥当であるはずも無い。しかし、プラトンがその洞察を行うときに用いた哲学の方法は、今日においても尚有効である。
 プラトンは何処かに「真実」があることを述べたのではなく、「普遍性」の概念が人をして冒頭の問いへの回答を可能にするのだ、と述べているのだと思う。
 

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