マルクス研究の世界的権威であるそうな「ドイッチャー記念賞」を、2018年に歴代最年少で斉藤幸平さんが受賞した作品が『大洪水の前に』(2019年、堀之内出版)。本書『人新世の資本主義』(2020年10月、集英社新書)はその後斉藤さんが未公表のマルクス史料(MEGA)などを研究して発見したマルクスの「脱成長論」と呼ぶべき論をもとに書き加えたもの。『大洪水の前に』はまだ読んでないので、これから読もうとは思っている。
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ヨハネ・パウロ2世 |
若きマルクス経済学研究者による透明な視点は、マルクスと言えばマルクス主義というイデオロギー的に捉えられた先入観により曇らされきた部分に犯されず、フッサール風に言えば、そのイデオロギーをエポケー(先入験をカッコに入れて判断停止する)して捉え直すことも可能にしているのかもしれない。折しも、仲間と3年ほどかけて『資本論』全巻を再読してからそう年月が過ぎていないこともあって、著者の言うマルクスの「脱成長論」というものが、資本論後のマルクスがそれまでの論理の前提の多くの部分を否定しながら構築していった動機や理論の本質には素直に賛同してしまう。斉藤幸平さんの力作に感謝。
簡単に言えば、現代が直面している地球環境問題、あるいは資源・エネルギー問題、あるいは気候温暖化問題(より本質的には気候変動問題)の元凶は、資本主義に基づいた経済の仕組みにあるから、これを別の経済に、しかも短期間に移行させなければならず、この別の経済がどのようなものであるかをマルクスは資本論を土台にして「脱成長コミュニズム」として提示している、というものだ。この新時代のキーワードがいくつかあって、経済的には「脱成長」、社会的には「アソシエーション」や「コモン」、政治的には「コミュニズム」(これは古いイメージで捉えるとダメ)。マルクスが「脱成長」を唱えていたとはね。資本論は、資本主義が資源・労働・人間を収奪しながら経済成長を続けなければならないという本質をもつのでどんどん膨張していくが、やがて限度を迎え(資本は剰余価値を生み出せなくなる、という限度⇒「利潤率の傾向的低下法則」)滅びる、という経済理論を立てた。修正したり外部から収奪して滅びる時を延長しても原理は同じ。現代は「人新世」と呼ばれるような新たな地質学的時代区分相応しい時代(人間が出現してくる地質学的区分はわざわざ新生代第四期と名付けられているが、その第四期の最終段階を「人新世」と呼んで区分しようとしているらしい)を迎え、否応なしに、「脱成長」しないと滅びるから、はやりのエコ社会とか、SDGsとかやってる場合ではないと著者は言う。それらはマルクスに言わせれば「アヘン」だと。マルクスは資本論第一巻で本源的蓄積の前提に自然の収奪をおいてはいるが、それが資本主義生産体制崩壊の不可避の要因とはいっていない。現代がそこに来ていることを、実は資本論後にマルクスは予言していたと。