自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2024年11月9日土曜日

情報技術の発展の生み出す社会は? 東浩紀『一般意思 2.0 ルソー、フロイト、グーグル』の感想文

ハニーブーケ
 ポストモダン風の本(著作者)には余り興味が無いのであまり読まないのだけど、仲間の読書会読書会で採り上げられたので読んでみた感想文。

 多様な価値が共存してグローバルに交流する(SNS等も含む)、いままで経験したことのないような極めて複雑な現代社会では、それを意識的に制御するのは従来のようなやり方・政治ではますます不可能となっていくだろう、と言うのが先ず著者の見立て。だが著者はルソーの「一般意思」を足がかりにして未来の夢を語っていく。ルソーの「一般意思」を現代風にバージョンアップして「一般意思 2.0」として社会に実装することが可能な世界に向かって進んでいるから、と言うのがその理由。またそのような世界においても存在するであろう国家は、国民生活の安全保障を担うだけの小さな存在となっていて、未来の人々は自身の欲望に従って安全に生きることが可能となっていくだろう、と。
 
 その「一般意思 2.0」とは、多様な価値観がそのままで存在しうる、物質と情報によって数値化されうる、つまり公の行為の選択は多様な私の欲望の無意識の合意としての計算結果により無事に決めうる、だから政治もそれに必須のコミュニケーションの必要性が最小となり、だから国家は極小となり、存在根拠が私の「欲望」であるような、新しいユートピアを拓く根本思想なのだ。

  ルソーにたいする著者の理解は面白いが、人は一人では生きることが出来ないとすれば、全世界から一人の世界までの間にある無数の集団に属しているから、それが前提になると、そもそもコミュニケーションも政治も前提されているし、欲望の根拠も怪しくなるのでは、この新しいユートピアでは。なんかつまらなそうな社会だ。

 でも大量破壊兵器で人類が全滅したり,気候変動のおかげで発生する諸災害の不幸を嘆きながらジワジワと全滅したりしない限り、そうなるのかも、あーヤダヤダ。

2024年10月18日金曜日

外国での戦争・紛争を自分で理解することの難しさ『ハマスの実像』

『ハマスの実像』(川上泰徳 2024/6 集英社新書)感想文

利尻富士
2023107日のハマスによる越境攻撃以来連日、テロ組織ハマス殲滅のためにイスラエル軍によるガザ地区(種子島程の広さに200万人程が暮らしている、「天井のない監獄」と呼ばれるにふさわしい地域)に対する爆撃などが行われ、すでに数万人(殆どが子供を含む一般人)が殺戮され、今も殺され続けている、と報道されている。

なぜだろうか?とだれでも素直に感じるだろう。そこで、友人に紹介されて本書を読んでみた。著者は充分に信頼できる中東ジャーナリストだと思っている。結論から言えば、「自爆攻撃」も行ったハマスはテロ組織ではなく(単なる残忍で不法なならず者組織ではなく)、パレスチナ人による選挙で選ばれた政治組織であり、彼等の国家が設立されたならばその国家を統治すべき組織だろう。だが、現実に国家を創ることも出来ず、人々は強国によって虐殺され続けている。彼等はそこに元々住んでいた人々のために自分たちの国を創ろうとしているだけなのだ。感想だけでなく内容については後日箇条書きメモ程度に纏めて記録しておこうと思っている(そう思ってサボっている本が沢山あったけど)

2024年10月16日水曜日

エマニュエル・トッドの『我々はどこから来て、今どこにいるのか?アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか 民主主義の野蛮な起源』

ハーブ ボリジ
 本書を読んでみることになったのは、仲間の読書会のテキストだったから。でも、『シャルリとは誰か?』『もう第三次世界大戦は始まってる』などで展開されてきた、現代社会や政治の事象に対する著者のユニークな解釈や、佐藤優などが時々引用していることもあって、もう少し著者の考え方を知りたいとも思っていた。本書の冒頭で、「この本は40年に亘る自分の研究の集大成だ」とも書いてあったので、上下二冊の大部だったが、一通り読んでみた。以下はその感想文。
 人類の社会や歴史の理解には、意識が捉える事象だけでは不充分で、意識の下にある「下意識」、更にはより深くにある「無意識」と呼べるような社会意識のレベルに立つ必要がある、と著者はいう。具体的には、社会の意識のレベルとは経済、社会の下意識のレベルとは教育、社会の無意識のレベルとは家族及び宗教、となる。この考えに基づいて、現在の社会の諸事象、国家のありよう、戦争や紛争などの諸問題に対して、どうしてそうなるのかが理解できないことが理解可能となってきて、更には将来予測の精度も向上する、と。フロイトの精神分析モドギ(著者もそう言っているが)の手法で説明されれば、ひょっとしてそうかもしれないと思いたくなるかもしれないが、ホントかどうかは別問題となろう。
 もちろん著者は検証不能な理論と根拠に基づいた学説を開陳しているつもりはないだろう。社会の意識レベルにすぎない経済学で政治・経済の諸現象を理解することが不十分であることを先ず明確にした上で、著者の考えを適用すれば説明できなかった諸現象をこの通り明確に説明できたと、事例を挙げて縷々説明をする。例えば、共産主義諸国の地理的分布図と家族構造(核家族、共同家族、相続形態、兄弟間や男女の平等性、などの組み合わせ)によって区分された地域の地理的分布図が見事に一致した、等々。一致しないときには、例えば民主主義の体裁をとっているネイションでも、実はそうでもない現象については、歴史を振り返って、連綿と続く家族や宗教の基本構造やその変移分析行い、例えば「ゾンビカトリシズム」などの概念を導入して、普遍性と変移性の組み合わせて探っていった整合的法則を見出して、それを根拠にして説明していく。そのさいの客観的データは、例えば、死亡率、出生率、識字率、学歴、等々のできるだけハッキリした数値を用いるようにしている。
 しかし、まだなかなか納得しにくい。納得できないのはこちらの知識が不足しているのかもしれないが、一見科学的手法のように見えても、自然科学に比較して圧倒的に少ない明確で有効な事例しか得られないはずの社会現象に対しては、なかなか納得するわけにはいかない。社会科学とは元々そういうものだろう。特に、歴史上の出来事に対する理解が少し深まったとしても、この手法が未来の予測には余り使えそうにないどころか、使いようによっては危険でもあろう。その感触は、別の著作で、日本国は自国と世界のために核武装するべきだと提言している著者の言い方は、前後の文脈からいくら肯定的に理解しようとしても、違和感を覚えることと同根に思える。
 

2024年9月8日日曜日

イマニエル・トッドが主張している家族とは何だろうね?

モッコウバラ
 イマニエル・トッドが主張している家族論についての分厚い本が比較的最近翻訳出版され、仲間の読書会でこを読むことになった(『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 民主主義の野蛮な起源』)。上巻を読み終わり下巻に入ったところで、昔読んだレヴィ・ストロース『親族の基本構造』を思い出して、その時作成した文をもとに今回関係する部分についての感想を書いてみた。

親族とはなにかという基本的で単純な問いは(先ずは家族が基本になるからトッドの著作とも共通する部分があるだろう)、動物とは区別される人間社会の成立原理、へと行き着く。本書は、主として未開社会の観察と観察結果に対する著者独自の解釈法に基づいて、人間の社会の原理を解明しようとしている。この際の観察は、著者自身の体験もあるが大部分は他者の厖大な研究論文等の文章であり、独自の解釈法とは構造主義に基づいたものであろう。人類学についての構造主義の適用は(トッドは否定的なようだが)、多分、多様な未開社会における現象や時には旧約聖書や神話の記述において、分析された要素間の因果関係や継時的進化論などでは捉え損なうような、共通する普遍的なもの、構造がある、というようなものであろう。
この構造を直観する部分が著者の天才的なところだろう。例えば、数多ある社会現象の中からインセスト禁忌が重要な社会規範としてとりあげられており、それは社会的構造原理に由来する禁忌であるはずだという(自然の生理が由来なら禁忌は必要ないから)。もう少し深読みすると、著者は、社会は開かれているという本質を持ち、閉鎖された社会は存在できない、と洞察したのかもしれない。
更に、人間社会を作り上げている原理は「女性の交換」にある、と言う。もう少し説明してみると、婚姻の本質は交換にあり、婚姻の形式の基本は交叉イトコ婚(性の異なる兄弟姉妹の子供達同士の結婚)で、交換自体は互酬構造に基づいており、交換対象である女性は財で代替できない本質的価値を持ち、完全に記号と化してしまう語とは逆に、記号でありつつ同時に価値でもあり続けるものである、となる。こう言われても、普通はピンと来ないが、数多の未開社会における、我々からすれば奇異とも思える実例(ポトラッチとか)を紹介され、その構造が現代にも存在すると言われれば、次第にそうかもしれないな、とも思えてきて、そのこと自体も面白いと思う。

もう少し詳しいことは、別ブログ「爺~じの哲学系名著読解」に掲載しました。


2024年9月1日日曜日

『これならわかるよ!経済思想史』(坪井賢一著、ダイヤモンド社 2015年)読んだのは10年前ですが(^-^*)

パパメイアン
 積んどく、の場合にはとりあえずまわりの本棚などにあるけど、電子書籍は己の目に付かないことが自覚できた。つまり、持ってることも認識外、しかも、結構真面目に箇条書きか何かで纏めてあったことを発見し(偶然)、この日誌に掲載することにした。このところ毎日この手の掲載をしたがるのは多分年のせいだろうね。買ったのも纏めたのもまったく忘れていること自体は情けないが、今後自分の参考にするためにも。

最初に己の感想文が偉そうに書いてあるが載せとこう。

「ケインズまでの経済学には確かに思想のようなものがあったようだ。しかし、新古典派以降、数字を駆使するのは良いのだが、駆使する対象把握には哲学なり思想なりがなければならないはずなのにどうもそれが見えてこないような気がした。ケインズの後には、経済思想というものがあるのかどうかという疑問が湧いてきた。」

ダイヤモンド社の編集長だった著者は、早稲田のオーケストラでトランペットを学び余暇を経済学科で過ごした方だそうで、そのせいで入社してから著名な経済学者に散々いじめられて奮起し勉強したそうで、大したものです。この本で引用されている本は経済学のみならず多くの哲学古典がであることをみれば、そのことがよくわかりますね。

以下本書の箇条書き纏めです。

これならわかるよ!経済思想史(坪井賢一著 ダイヤモンド社)

読書ノート(※は補足)

 

第1講 三つの経済思想と三つの政治思想

 

基本となる三つの経済思想

     古典派経済学(18世紀後半~19世紀後半)新古典派経済学(19世紀後半~)

     マルクス経済学(19世紀後半~)

     ケインズ経済学(20世紀後半~)

 

現代政治思想と経済学との関係

l  古典派経済学新古典派経済学:自由主義・新自由主義・保守主義(右派)

l  ケインズ経済学:リベラリズム(中道)

l  マルクス経済学:社会民主主義(左派)

 

現代政治思想概要

l  自由主義:資本主義経済と議会制民主主義。私有財産と利を求めて行動する個人を前提。小さな政府と政府からの自由。古典派経済学と結びついた18世紀のリベラリズム。右派。

l  保守主義:自由主義の政治体制と経済体制の保守。19世紀以降の欧米の保守主義は自由主義と結びついている。更に現代においてネオリベラリズム(新自由主義)へと繋がる。右派。

l  リベラリズム:資本主義経済と議会制民主主義。私有財産と利を求めて行動する個人を前提。弱者を政府が支援なので大きな政府と政府による自由(財政と官僚機構が大きくなる)。ケインズ経済学と結びついた19世紀のリベラリズム。中道右派。

l  社会民主主義:資本主義経済と議会制民主主義。福祉国家を目指すので国営事業が増大し非常に大きな政府となる。ロシア革命後の独裁政権であるソヴィエト共産党の介入に対抗して誕生(ドイツ社会民主党)。マルクス経済学。中道左派。

l  社会主義:1989年のソヴィエト崩壊後、中国、ベトナム、キューバ、ラオスなど共産党一党独裁国家で既にマイノリティー。政党も欧州ではフランス共産党もイタリア共産党も社会民主市議政党となっている。マルクス経済学。左派。

 

日本の状況

l  1960年代:高度成長期、ケインズ経済学隆盛。

l  1970年代:スタグフレーション(インフレ下の不況)、ケインズ経済学が退潮しで新古典派が伸長。

l  1980年代:英国復活で新自由主義と規制緩和路線が表舞台に。英国サッチャー政権、アメリカレーガン政権、日本の国有企業の民営化、マネタリズム、ネオリベラリズム(新自由主義と呼ばれるようになる)

l  1990年代:新古典派的なアプローチに踏み切れない日本に対する特に米国の経済学者からの批判が強まる。英米は新古典派隆盛、日本ではマルクス政策(銀行の国有化など)導入。

l  2000年代:リーマンショックで世界経済危機。日米欧で大規模な財政・金融政策導入。ケインズ政策復活、欧米でマルクス的成策導入、新自由主義の米国投資銀行は表舞台から退場。

l  2010年代:保守主義(新自由主義)の出口は?日米欧でケインズ政策継続。日本では20134月に、ユーロ圏で20151月に量的緩和政策導入して継続中、米国は経済が回復してきたので終了しゼロ金利政策も終了を展望。(※量的緩和政策とは、中央銀行が金利ではなく、金融の量的な目標値を定め、それが達成されるように金融緩和を行うこと。それが必要なのは金利を下げても資金が市場に流れないからで、大量にそれが可能なのは中央銀行が紙幣を印刷できるから。日本では年間60から70兆円を日銀当座口座に供給、20166月現在も継続されている)

 

第2講 古典派経済学

 

経済学は人間を研究する学問である

l  英語のEconomyはギリシャ語のオイコノミア(家計)、漢語の「経済」は随代中国で統治の意味(福沢諭吉が翻訳)

l  マーシャル:「・・・このようにして経済学は一面においては富の研究であるが、他の、より重要な側面においては人間の研究の一部なのである(1890年)」

l  ポール・A・サミュエルソン:「・・・稀少性のある生産資源を使い、さまざまの商品と生産して、・・・それらを配分する上で、どのような選択的行動をすることになるのか、ということについての研究である(1948年)」

l  ロバート・マンデル:「欲求と資源に関する学問である。それは資源を持って欲求を充足するという個人的、社会的行動について研究する学問である(1968)

l  西村和雄:「稀少な財・資源を、競合する目的のために選択・配分する仕方を研究する学問(1995年)」

l  飯田泰之:「経済学が論理的に考えようとしている対象は『稀少である』ということです。(中略)この稀少なものを巡って『人々は損得を比べて行動している』というものです(2014年)」

 

重商主義を一変させたアダム・スミス

l  経済学の父アダム・スミスの考えのポイントは三つ

       労働価値説:物やサービスの価値(=価格)は労働量で決まる。それまでは重商主義が主流。つまり富は金銀財宝で、それを獲得するために金銀を掘り出したり貿易差額でそれらを手に入れた(※強奪を含む)。今でも金に価値があるという価値観は続いている(金保有高世界一はアメリカ)。

       分業:一人でピン作りをした場合には一日一本くらいだが、製造工程を分けて分業すると一人一日当たり48000本となる(1776年『国富論』。実際の観察からの計算)

       市場メカニズム:自由にしておけば自動的に最適な価格と生産量になる、「見えざる手」の想定。政府の市場介入こそ有害、自由放任こそ人々を豊にする(古典派経済学の経済観)。前提は人々の「共感」と「利己心」。「需給均衡図」は後述

 

スミスの「見えざる手」は市民革命の時代を経て発見された

l  18世紀後半は市民革命の時代

Ø  1617世紀の英国は王権神授説に基づいた身分制

Ø  1718世紀にかけて商工業が発達し、商工業業業者にとって王の絶対権力が邪魔になってきて、名誉革命(168889年)、「権利の章典」の発布

Ø  ホッブズ国家観は王権世襲の否定(1651年『リヴァイアサン』※人間は生存するには何をしても良い、つまり生存権を持っている。これが自然権の原理。そして人間は本来、力においてあまり差の無い平等の存在だから不安に基づいて争うことになって「万人の万人対する争い」状態になる。だからそれを終わらせるには生殺与奪権を持った主権、つまり国家が必要という思想。別の側面から見れば平和を理性で作りうるということだが、主権は国家すなわち王、議会は無い)

Ø  ロックは、国家は自然法を守るためにあると考えた。私的所有は自然法で守られる(1690年『統治論』※所有はPropertyで、生命も含まれ、自由・平等・人権は神の意志なので、これを守るのは人間の義務、これが自然法の原理。天賦人権論)

Ø  自然法はカントにもヘーゲルにも影響を与え、マルクスはヘーゲルの影響を受けている(※自然法の原理は深まりつつ変容し、社会正義の根拠を問い、社会の構造、力学、制度の探究へと向かう)

Ø  ルソーは市民全体の自由と平等を求め(1762年『社会契約論』※ルソーが付け加えた大事な原理は個別意思に対する一般意思。これは、国家の中における個人の自由を実現する原理)

Ø  ベンサムの功利主義(最大多数の最大幸福)はアダム・スミスに影響与えた(1776年『国富論』)

Ø  自由と平等、王権より自然権優先という考えは、各地に革命を起こす。名誉革命、アメリカ独立宣言(1776年)、フランス革命(1789年)

Ø  産業革命で英国に富裕な市民(ブルジョワジー)が誕生し、18世紀後半には近代の身分制は、「王-貴族(地主)-産業資本家-労働者」という階層になる

l  ケネーの重農主義(1758年『経済表』)はアダム・スミスに影響を与えた、つまり外科医による科学的方法論と自由な交易。ケネーは、富を生むのは農業だけだが(重農主義)後は自由な交易に任せれば良いと述べている

Ø  ニュートンの古典力学(1687年『プリンピキア』も、科学の方法を経済に適用して「見えざる手」を発見したと考えたかもしれない

 

スミスは英国の経済学者に影響を与え、リカードとマルサスの時代へと進む

l  穀物法を巡るリカードとマルサスの対立は、自由貿易と保護貿易論争の原点。英国の貴族(地主)を守るための「穀物法」(穀物に関税をかけて農作物の価格低下を阻止して権益を守る)を巡り対立した。穀物法はナポレオン戦争終了後の1815年に施行されるが、ブルジョアジーと労働者は共にこれに反対することで一致しており(労働者は生きるだけしか賃金を貰ってないから、労賃は上げざるを得ない)、1846年についに廃止された。しかしそれは両者の死後。

l  リカードの比較優位説

Ø  分かりやすい例え話:女性弁護士がタイピング業務に時間を費やせば、その分もっと稼げる弁護士業務を犠牲にする。女性弁護士が有能で、例えタイピング業務についても女性秘書より優れていたとしても、その業務を女性秘書に任せた方が、女性弁護士と女性秘書の双方にとって良い。つまり秘書業務は女性秘書にとって絶対劣位でも比較優位にある。

Ø  リカードの例は、イギリスとポルトガルにおける毛織物とワインに関する比較。必要な労働者数を基準に考察すると、この両製品ともにポルトガルの方に絶対優位(同じだけの量を作るに要する労働者数が少ない)があるが、ワインについてはポルトガルに比較優位がある、言いかえるとワインの方が毛織物より英国に比べてより少ない労働者数で作ることが出来るから、ポルトガルでワインを作り英国で毛織物を作り交易する方が双方に利がある(※簡単な証明は省略する)

Ø  (※要するに、ある商品を複数の国家で製造している場合に、相互の利から考えて、国毎に製造する商品と交易する商品を選定するについての最適値がある、という理論。判定基準は「比較優位」。「比較優位」の判定は、一つの商品について、製造に要する費用(各国共通に計算出来るもの)を各国で比較する(絶対比較)のではなくて、複数の商品について、製造に要する費用の商品間の比率を各国で比較して(相対比較)、その比率が小さい商品が「比較優位」にあると判定する。商品毎の「機会費用」を算出して、これが小さい商品が比較優位であると判定しても同じ。ここで「機会費用」とは、対象となる二つの商品について、着目した一つの商品の単位量を、もう一つの商品が等価になるような数量で表現したもの。一つの国について一つの商品が比較優位であればもう一つの商品は必ず(逆数となり)比較劣位となる。)

Ø  比較優位説についての別の経済学者の説明(※省略するが、要するに機会費用を、目的と状況に適したもの、例えば必要労働者数や労働時間等に置き換えても同様)

l  マルサスの『人口論(1798年)』

Ø  食糧は等差級数的に、人口は等比級数的に増加すると述べている。

Ø  悲観論として全般的恐慌論へと繋がり、リカードの自由主義的楽観論は部分恐慌論へと繋がってくる

Ø  ダーウインにも影響を与えたらしい:『種の起源(1859年)』は「適者生存、適応、自然選択」が述べられている。これはマルサスの『人口論』の発想からインスピレーションを受けた可能性がある

Ø  マルクスは、マルサスの全般的恐慌論とダーウインの進化論から唯物史観を着想した

l  J・S・ミルはスミス後の古典経済学の重要人物

Ø  『自由論(1859)』における自由の考察は、市場メカニズムの機能する前提である自由な市民社会についての明確な指針を出した(入江昭先生の19世紀のリベラリズム)

Ø  団結する自由、は左右両陣営にとって危うい(産業資本家に反対する労働者の団結する自由、社会主義者にとっては労働者の革命政府に反対する人々の団結する自由、両方ともミルの言う団結する自由)

l  だが、19世紀には古典派経済学のリアリティーは無く、リアリティーがあったのはマルクス経済学

Ø  (※マルクス『資本論(11867)』に詳述されるように)労働者の劣悪な労働環境、景気の悪化、19世紀末には英国の大デフレ

l  サンクコスト(埋没費用)の説明:取り戻せない費用は将来の意思決定には無関係

 

第3講 マルクス経済学

 

市民革命から王制打倒運動の時代

l  18世紀後半~19世紀後半の100年間は、古典派経済学とは逆行する現実があった

Ø  市民社会の自由と自由貿易が国家と国民の富を増やし平和に繁栄するはず

Ø  19世紀の欧州は恐慌に何度も襲われ、貧富格差も増大した(貧民救済政策はあっても、経済政策は無かった)

Ø  植民地争奪戦が激化して各国とも軍事費が増大し、財政危機が進み、大きな政府となった

Ø  そこで、マルクス経済学と新古典派経済学がほぼ同時に生まれた

l  19世紀から20世紀にかけて、8カ国の帝国が覇権争いをしていた。年代順に下記

1.         オスマン帝国 12991922年 現在は一部がトルコ共和国

2.         大英帝国 16世紀~ 第二次大戦後植民地の多くは独立

3.         オーストリア帝国(ハプスブルグ帝国) 15261918年 オーストリア革命で王政から共和政へ

4.         ロシア帝国 17211917年 ロシア革命で王政から共産党独裁国家ソヴィエト連邦へ(1991年にソ連崩壊してロシア連邦になる)

5.         米国 1776年~

6.         フランス 1789年~

7.         日本 18681945年 第二次大戦後に植民地は開放され、新憲法制定

8.         ドイツ帝国 18711918年 ドイツ革命で王政から共和政へ、19331945年ナチス政権、第二次大戦後東西ドイツに国家分裂、199010月冷戦終結に伴い統一

l  19世紀は、市民革命の時代から民族独立・王制打倒の革命運動が続く時代となる

Ø  ナポレオン戦争後1815年のウーン体制でアンシャンレジームに復帰、英国と大陸の貿易も復帰(英国の穀物法1815年施行1846年廃止)

Ø  1848年フランス2月革命で第2共和政、フランス王政終焉。これが飛び火して3月革命(プロイセン、ウイーン)、イタリアも民族運動、社会主義革命運動まで起こるが、プランス以外は鎮圧される。しかし、旧王国支配体制側も被支配国の自治権拡大、王家の資産払い下げや市場経済導入等で妥協する

Ø  マルクス。エンゲルス『共産党宣言(1848)』、マルクス『資本論第1(1867)

 

『共産党宣言』の核心は煽動では無く経済政策

l  19世紀の先進国英国においては、1873年から20年も大デフレが続いたが、これ以前から恐慌がたびたび起こっていて、この経済危機に対する処方箋が求められていた

l  『共産党宣言』は、労働者は資本家が独占している資本を奪い、生産手段を国家に帰属させ、プロリタリアート独裁国家を目指す述べているが、経済政策としては以下(※原文は国民文庫を採用)

1.         土地所有を収奪し、地代を国家の経費にあてる

2.         強度の累進税

3.         相続権の廃止

4.         すべての亡命者および反逆者の財産の没収

5.         国家資本および排他的独占を持つ一国立銀行を通じて信用を国家の手に集中する

6.         運輸機関を国家の手に集中する

7.         国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の開墾と改良

8.         万人に対する平等な労働義務。産業軍の編成、とく農業のためのそれ。

9.         農業と工業の経営の結合。都市と農村との対立漸次的除去。

10.     すべての児童の公共無償教育。現在の形の児童の工場労働の廃止。教育と物質的生産との結合、その他。

この処方箋のいくつかは、その後資本主義国でも採用されている(※ここに書かれている経済の処方箋を理解するには『資本論』を理解しなければならない)

 

マルクスは古典派の労働価値説を継承しているが新古典派経済学とは根本的な相違がある

l  新古典派は経済を「人間の欲望の集合にある」とするが、マルクス経済学は経済学を「資本主義の運動法則の解明を目的とするもので社会的な学問だから、個人の欲望は対象とはしていない」

 

資本主義はやがて崩壊する・・・・

l  マルクス経済学では、資本主義のもとでは利潤率が必ず低下し、やがて崩壊する、と述べている(※本文代わりその理由を簡易に言えば次のようになる。資本主義的生産が拡大すればするほど資本が蓄積され、その資本は労働力より機械や設備などに回されるようになるが、マルクス経済学では利潤は労働搾取に基づいた剰余利益しかないので、基準率が低下する)。

l  しかし、その後、1870年代の英国や1990年代の日本など、一定期間に傾向的利潤率低下は見られるものの、資本主義が破綻に至るほどの利潤率の低下は生じていない。

l  民主主義下の資本主義は、危機のたびにマルクスの方策を取り入れて乗り超えてきたと言える。

 

複雑だった第一次大戦下のヨーロッパ情勢

l  各国は歴史上初めて、生産力を戦争へ集中する体制を取った(近代戦へ)

l  ドイツは、ロシア帝国と敵対するロシア共産党(ボリシェビキ)は味方で、革命(1917年)後ロシア政府と講話するが、1918年のドイツ革命とアメリカ参戦で崩壊、オーストリア革命でハプスブルグ皇帝追放、第一世界大戦後、ロシア、ドイツ、オーストリア、オスマンの4帝国崩壊(残るのは4帝国)

 

スターリンによる計画経済への道

l  ドイツ政府の支援によって亡命先のチューリッヒからペテログラード(サンクト・ペテルスブルグ)に帰還したレーニンは1917年に選挙をするが、ボルシェビキが敗退したので議会を潰してボリシェビキ独裁政権を作る。しかし内戦が勃発して、ようやくレーニンを最高指導者とするソヴィエト社会主義共和国連邦が1922年に成立するが、二年後にレーニン没する

l  スターリンはレーニンの後継を争ったトロツキーをはじめ数百万人の反対派を粛清して独裁国家をつくり、社会主義計画経済体制を構築した(1928年から5カ年計画を立てて資本と労働力は工業化へ集中、農村は集団農業)

l  しかし、社会主義計画経済による経済成長は長続きせずやがて崩壊する。独裁国家自由の剥奪特権階級の出現労働意欲減退生産性低下コスト増加競争敗退。計画経済は1958年まで続く(※1991年にソ連崩壊)

l  1930年代の日本は、日中戦争に向けて生産力を軍需に集中するために、スターリンの計画経済を研究し、国家総動員体制を構築した

 

マルクス経済学の共産党独裁国家以外への影響

l  社会民主党は、議会制民主主義制度のもとで生産手段の国有化などで経済危機を克服しようとする政党。

l  オーストリア、ドイツでは第一世界大戦敗退後、社会民主党と資本家の政党との連立政権などで政治は混乱した

l  ドイツは多党乱立の中でナチス(国家社会主義ドイツ労働党)が政権を取った

l  社会民主主義の歴史が、今日の欧州に根付いていて、福祉国家像の基盤となっている(※高福祉高負担政策)。失業保険、8時間労働、経営協議員法、労働者の有給休暇などの政策は、オーストリア社会民主党の政策であった。金融危機における銀行の一時国有化政策も。

 

4講 新古典派経済学

 

l  価値を決めるのは労働ではなく人間の欲望である、と考え、人間の欲望を数学で理論化する研究が始まった(※マルクス経済学の労働価値説では価値量を決めるのは労働時間となる)。そう考えたのは同じ労働時間でも労働者の熟練度で作られる商品の価値(価格)は異なるから(※マルクスは、そうだとしても、労働者一般として平均すれば問題は生じないと考えている)

l  1871年に、限界効用理論が登場したのが新古典派経済学始まり。

l  古典派経済学は英国やフランスをはじめ欧米の大学で広く教えられていた。しかし、ドイツ語圏ではドイツ歴史学派の経済学が強かった。というのは、統一が遅れていて(ドイツ帝国誕生は1871年)「国家経済」の概念がなかったドイツでは経済学と言えば領主の家計こそ経済そのものであったから(※発達し始めた市場経済を理解する必要が薄かった?)。

l  だが、ドイツ語圏の学術文化のレベルは高かったので、啓蒙思想の科学的広がり、新古典派経済学の登場も、ドイツ語圏、英国、フランスで同時に生じた

 

限界効用理論

l  三人の経済学者別々に同じ時期に発表されたのは上述のようなわけがあった。ジェボンズ(ロンドン大学、ケンブリッジ学派)、ワルラス(ローザンヌ大学、ローザンヌ学派)、メンガー(オーストリア大学、オーストリア学派=ウイーン学派)。

Ø  ドイツ語圏にあるウイーンは、19世紀末には文化的にとても成熟していた(世紀末ウイーン)。

Ø  新古典派のウイーン学派は、大ドイツ主義でオーストリア出身のヒトラーに追われ、1930年代に米国に移住したことが米国の経済学発展に寄与している

l  新古典派経済学は、価値効用説。効用は個人の満足度、欲望の強さ、幸福度で、「人は効用を最大にさせるように行動する」と仮定する。ベンサムの功利主義の影響を受けている。

l  限界効用とは、物やサービスを一単位追加すると、効用がどの程度変化するかを考察する考え方

l  限界効用逓減の法則とは、物やサービスの提供が増加してくると、同等の質のそれらが一単位追加しても効用は逓減する、という法則(図表省略)

l  限界効用説は、需要側の効用が価値を決めると考えている。それに対して労働価値説は、価値は供給側の効用にあると考えている(価値が下がれば供給意欲が下がる、収穫逓減の法則)

l  限界効用の傾きは希少性が高いほど大きい

 

需要・供給曲線:スミスの「見えざる手」の図表化したもの

l  市場メカニズムによって価格と生産量は決定することを示す(需要曲線と供給曲線の交点がその均衡点)

l  古典派の考えによれば価格は生産費だから供給曲線は水平となる(※生産性が同じなら労働時間で価格が決まるから)。しかしマーシャルは、それは時間軸を長期に置くからであって、短期を取れば右肩上がりになるという。マーシャルは、新古典派の考えに古典派の考えも取り込んで需要・供給曲線をつくった。

l  市場や生産の状況が変われば、需要曲線や供給曲線が移動するから、均衡点も移動する

l  需要・供給の法則からミクロ経済学(価格理論)が始まった

l  需要・供給の法則が成立する条件は、市場は完全競争市場(多数者が同じ情報の基においての自由に参加出来る市場)であり、消費者は損得のみ考えて行動する(合理的行動)ことであるが、現実にはずれている

l  不完全競争市場解明に進むための代表的概念

Ø  限定合理性(人間の合理性には限界がある)

Ø  情報の非対称性(情報は偏在する)

Ø  寡占市場(少数者の競争市場)

Ø  独占市場(独占企業の存在)

l  新古典派経済学の進展が20世紀半ばであったのは、20世紀前半の社会は市場経済どころではなかったから(帝国主義諸国の覇権競争)

 

第一次大戦後のケインズとシュンペーター

 

l  シュンペーターは正反対の考えと言えるワルラスとマルクスを評価した

Ø  37歳でオーストリア共和国財務大臣に就任、社会民主党政権下において新古典派政策を考えたため失脚し、ボン大学教授をへてハーバード大学教授へ

Ø  創造的破壊、イノベーションはシュンペーターの造語

l  ケインズは新古典派を批判して政府の適切な介入を主張した

Ø  ドイツに対する巨額の賠償金がハイパーインフレを招き破滅的な結果を招くと予測して(事実はその通りになった)、それを決めたパリ講和条約に反対し、財務主席代表を辞任して英国へ帰国

 

5講 ケインズ経済学

 

マクロ経済学を確立したケインズの登場

 

l  ケインズはマルクス経済学にも古典派(新古典派も含む)経済学にも異議を唱え、マクロ経済学(一国全体を俯瞰して経済メカニズムを研究する経済学)をほぼ一人で確立した。その根幹となる理論は次の三つ。

       乗数理論

       資本の限界効率

       流動性選好

l  ケインズの思想の背景

Ø  第一次大戦後の世界状況

²  ドイツに対する巨額の賠償はケインズの反対にもかかわらず実施され、パイパーインフレと政治的混乱を引き起こし、ナチスドイツが1933年成立した

²  1917年のロシア革命で共産主義国家ソ連が出現し計画経済による経済復興がなされた。ここに二つの世界観を持つ国家群が出現することになった(※共産主義計画経済と資本主義自由経済)

²  共産圏以外の、戦争で疲弊した欧州諸国家群も紆余曲折を経て1920年代後半にはそれなりに経済復興を果たした

²  一人勝ちの米国は引き続き経済発展を遂げて、1929年の世界恐慌までは黄金の20年代といわれた好景気を享受した(※大衆消費社会の出現)

²  日本も疲弊しなかった戦勝国として株ブームなどが続いた(※欧州復興で輸出減などが起こり昭和恐慌が始まるまでは)

²  新古典派が描いた自由主義市場経済は英米日で拡大していた(世界恐慌までは)

²  日本で昭和恐慌発生。銀行も電力会社も自由に設立できるほど自由主義市場経済が浸透していた日本では1923年の関東大震災の発生とその震災手形の不良債権化1927年に昭和恐慌が発生(※政治家の不用意な発言もあり)

²  英国は経済復興でポンド高になったため物価が上昇し、1925年に金本位制を復活したが却って不況となり失業者が増大した(※時の財務相はチャーチル)

²  ケインズはチャーチルの経済政策を批判し、18世紀の自由放任主義(レッセ・フェール)批判し、「長期的には人は死ぬ」という有名な言葉を残した

²  米国発「世界大恐慌」発生した。192910月に米国で株の暴落が発生し、米国では以後3年間のデフレ不況に陥り、世界には一年かけて波及した

l  米国の失業率は25%を超え、株価は19322月にはピーク時の90%下落し、生産は20%縮小し、物価は20%下落した

l  米国政府は事態を放置し、金本位制の下なので通貨が不足した銀行の経営危機が続出した

l  1933年にルーズベルトが登場してニューデール政策を実施することで危機を脱出した

l  日本の高橋是清大蔵大臣は1931年に金本位制を脱却して金融緩和を行った。

Ø  古典派は静学(長期かけて待てば均衡する)であって、ケインズは動学(長期的には人は死ぬから、処方箋を作るには短期の理論が必要)。

²  新古典派のワルラスは「一般均衡論」(複数の財が均衡、静学)。

²  以降新古典派は「動学化」を、ケインズ後継者は理論の「長期化」を研究

l  1936年『雇用・利子および貨幣の一般理論』発表。財政投資による公共投資の効果を数学的に理論化した(つまり一般化した)

Ø  「セイの法則」(供給が需要を創る)を否定して「需要はそれ自身の供給を創造する」と主張した

Ø  資本主義市場経済は放置すると不確実性に支配され、やがて不安定になり危機に陥る(※マルクスも資本主義生産体制では恐慌は不可避と指摘しているが、その理由は資本の運動であり、処方箋は共産主義社会への移行であった)

Ø  古典主義のように長期均衡を待っている間に不均衡のまま雇用は失われ悲劇が発生して長期に継続する(※とケインズは考えた)

l  ケインズは、恐慌になる前に総需要管理政策が必要と考えた。総需要管理政策とは、金利を下げて金融緩和し、財政政策で有効需要(貨幣で購入する実物需要)を加える政策

l  3面等価の原則を立てた。経済活動を「所得」「生産」「分配」の3方向から捉えれば、それらは同じ大きさとなる(※生み出された経済価値は分配され、それは所得と同じ)

l  経済の実態を「所得」「生産」「分配」の三つの側面から見ることが大事(※そうすることで処方箋がつくれると認識していた)

l  国民所得Y=消費C+民間投資I+政府支出G+貿易差額(輸出X-輸入M)、右辺は有効需要の内訳。Y=GDPであり、右辺が左辺を決める

l  「乗数効果」は、投資が富を生み出す効果(※この点、政府投資も民間投資も同じだが)

Ø  所得を消費に回す比率が大きければ富を生み出す効果も大きい(※もちろん他の条件が同じなら)

Ø  Y=C+S(Sは貯蓄量)、消費性向=C/Y、消費性向=S/Y

Ø  限界消費性向=c=⊿C/⊿Y、限界貯蓄性向=s=⊿S/⊿Y、c+s=1

Ø  政府投資Gを⊿Gだけ増やすと、GDPは⊿G以上に増える可能性がある。cは波及効果を持ち、等比級数の無限和=1/(1-c)となるから(0<c<1)

Ø  ⊿G分がGDP増にならない可能性もある

²  製造原料を輸入すれば⊿M

²  民間投資を圧迫すれば-⊿I(クラウディングアウト)

²  GDP増は失業者減の効果もある

l  「資本の限界効率」は投資の予想利益率(※投資するのは金利以上の見返りがあるから)

Ø  投資の効果を金利との比較で考えることが出来るようになれば、金利が下がれば投資の効果が相対的に上がる

l  「流動性選好」(※人々の思惑で貨幣として保持するか否かが決まる)

Ø  取引動機は、日常の投資と貯蓄を相対比較して得な方の行動をとるという動機

Ø  利子は貨幣の流動性を放棄する報酬と考えれば(※貨幣諸形態の)相対比較が出来るようになる(貨幣のもつ三つの機能、価値・流通・貯蓄)

Ø  資産動機は、リスクとリターン予測に基づき選択する行動の動機。金利の低下は債権価値増大の証しなので、現金ではなく債権を保持する

l  金利は、貨幣の供給量および流動性選好(※貨幣の需要量)で決まる

l  貨幣供給量が増えると国民所得が増える(※負の面はここでは言及されていない)

Ø  金本位制では貨幣を増やせない。大恐慌時にリューズベルトが金本位制を離脱したことをケインズは直ちに評価

Ø  貨幣が増えれば利子率が下がり(利子率は資本の限界効率、流動性選好と相関するするから)投資が増え乗数効果が利くという理屈

l  政策(※ケインズは、政策に金利と貨幣供給量という手段があることを示した)

l  ジョン・R・ヒックスのIS-LM分析

Ø  ケインズ理論を、縦軸を利子率、横軸を国民所得にとって、財(物)の市場と貨幣の市場の均衡状態の曲線で示した一枚の図に表現した

Ø  投資(I)、貯蓄()、L(流動性選好)、M(貨幣供給量)、IS曲線は財(物)の市場、LM曲線は貨幣市場の均衡状態を示す

Ø  IS曲線は右下がり(※財の需給から見れば、利子が低いほど経済活動が活発になり国民所得も増える)、LM曲線は右上がり(※貨幣の需給から見れば、利子が低いほどもらえる利息が少なくなるから国民所得も減る)、交点が均衡点で、均衡利子率と均衡所得が決まる点

 



 





ケインズ政策はスタグフレーション(インフレ且つ不況)を解決できず

l  (※通貨管理を世界的に有効にする制度を作るために)第二次大戦後、ケインズは世界の中央銀行の設立を構想したが、超大国となった米国の意向で実現せず、金ドル本位固定相場制が採用され、IMF(国際通貨基金)と世界銀行が設立された

l  日本の西ドイツが経済復興してくると、相対的に米国の経済力が低下するが金ドル本位固定相場制の元ではドルの価値が下がらずに日独の対米輸出は有利に働き、米国は耐えきれずに1971815日に「金とドルの交換停止」(ドルショック)後紆余曲折を経て1973年に為替の変動相場制となった

l  1973年にオイルショックが発生し、世界はインフレ下の不景気、スタグフレーションに見舞われ、物価と失業率が同時に上昇した。(※直接には第4次中東戦争で、産油国であるアラブ諸国が石油の価格を決める力を持つようになり、100年程に亘って安定していた石油価格が高騰)

Ø  フィリップ曲線が成立しなくなり(※ケインズ経済学の欠陥と見なされた)、金利を上げても下げても理論的に状況改善は見込めなくなった

Ø  日本は労使協調路線で状況から立ち直る

Ø  1980年代に入ると英国は労働党の社会民主政策からサッチヤー首相(保守党)の規制緩和、自由化・民営化路線で復活

Ø  以降新古典派がケインズ経済学に取って代わるようになって、政治思想として新自由主義(ネオ・リベラリズム)と呼ばれている

 

6講 マネタリズム(ケインズ批判からリーマンショックまで)

 

70年代は社会主義に存在感、80年代は新古典派が逆襲

l  70年代、米・英・独・仏・日の自由主義陣営の各国では、スタグフレーションの処方箋を描けず大きな政府を志向していた状況に対して英米の保守派(自由主義者)は強い危機感を持った

Ø  共産圏の存在、労働組合の存在感、米国の経済学者でさえ、資本市議経済を「混合経済「(自由主義市場経済と計画経済の混合)と呼ぶほどの状況

Ø  経済学者ミルトン・フリードマンがマネタリズムを主唱(シカゴ学派)

Ø  経済思想家F・A・ハイエクが反社会主義、反ケインズを主張(シカゴ学派)

l  フリードマンのマネタリズムは「政府からの自由」を目指すから「18世紀のリベラリズム」への回帰と言える

l  貨幣数量説

Ø  昔の貨幣数量説:16世紀の大航海時代に戻って、スペインが中南米かが大量の銀を持ち込んだ結果、100年で物化が10倍となった史実から、貨幣量と物化が比例すると考えられてことがある。しかし、その後スミス等の労働価値説で忘れられた

Ø  20世紀になってアメリカのフィッシャーが1911年に「貨幣交換方程式」を提示

²  貨幣量M×貨幣の流通速度V=価格P×取引量T

²  VMが一定ならMPは比例する(この仮定の説明は?、Vの測定法は?、取引されていない在庫の取り扱いは?)

Ø  マーシャル(ケンブリッジの新古典派)は、フィッシャー理論の欠点を修正して

²  貨幣量M×貨幣の流通速度V=価格P×実質国民所得Y(右辺は名目GDP

²  1/Vをkと表示して、変動する値と考え、マーシャルのkと呼びM=k×PY

²  Pが一定なら実質国民所得が増えると貨幣量が増える(この考えの根拠は?)

Ø  フリードマンは1960年頃から、インフレやデフレを起こさないためには生産物単位あたりの貨幣量が変化しないようにすればよいと考えていた(一応もっともか)

²  P∝M÷Q  Qは数量

²  P∝M÷Y  Yは国民所得

Ø  フリードマンは、「したがって、政府の財政政策も中央銀行の金利政策も効果はなく、中央銀行が貨幣の比率(伸び率)だけをコントロールすればよい、と考えました。それも、ルールを作り、ルール基づいて実行せよ、といいます。徹底的に政府・中央銀行の裁量を否定し、数値目標などのルールを重視します。」繋がりがワカランナー

おわり