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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年3月15日金曜日

3月15日(金)  アーレント『活動的生』⑦第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域 6 社会の成立

ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)
カクテル

第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域

6 社会の成立

この節の一言⇒私的領域の公的社会に対し個人はどうするの?

この節では、近代以降に新しく出現した<社会>という領域とはどのようなものなのか、が語られる。アーレントの言う<社会>という概念は新しい概念であり、彼女の政治哲学におけるキーワードの一つだろう。従って当然分かりにくいのだが、一言で言ってしまえば下記のようになると思う。しかし、多分これでは分からないだろう。続いて書いた*印の箇条書きの分と文脈から理解を補うほかはない。本文にも、英文で著者か書いた『人間の条件』の日本語訳には書いてなかったり、意味が同じとは言えないような部分もあり、併せ読んでも難解な部分が多々ある。

<社会>は、私的な家政の領域でも公的なポリスの領域でもない新しい人間集団のあり方を指す概念である。<社会>は私的領域が巨大に拡張したものでありながら、私的なものと対峙するものであり、それまでは私的なものが対峙していたはずの公的なものは次第に内面の自由が保障される私的領域へと押しやられるようなものである。<社会>とは、その個々の内部において共通の利害関心によって束ねられた、同じ態度ふるまいを求められる、最終的には画一主義に基づく、統治者のいない自主的な統治形態である。「<社会>とは、とにかく生きることというただ一つの究極目的のために、人間同士が互いに依存し合うこと、ただそのことのみが、公的意義を獲得するような共存の形態である。」(pp.57)

<社会>は、近代個人の発見、家族の崩壊とその拡大吸収、私的領域からの自由労働解放、近代科学の手法によって出現し発展してきた。ルソーによって自覚的に発見された内面性の自由を核心とする近代個人は、その社会自体が本質的に持っている水平化傾向に対する反発から生じたのだが、誤解してはならないのは、この水平化傾向は近代の理念とされている平等とは無関係なことである。
しかし何故そうなってきたのか、「それは、<社会>によって、生命プロセス自体が、多様このうえない形態において公的なものの空間に導き入れられたからである。」(pp.56)という。著者のパースペクティブはここでまた焦点を、生物プロセスの循環の世界へと遠方へ移される。

最後に、近代以降出現してきた<社会>は、個々の人間の卓越性が住む場所を奪うとともに、人類の進歩のお陰でわれわれ自身が住んでいる世界という場所を急激に変えているが、この世界という空間の変化自体が問題であることが指摘される。社会科学は人間のふるまい方の変化だけを、人間的実存に関する心理学的解釈だけを問題にしているにすぎないからであり、公的なものは、卓越性がそれに相応しい場所を見出すことができる限りで、世界の空間となることが出来るからである。

*「家政という内なるものが、それに属する活動、配慮、組織形態とともに、家の暗がりから、公的に政治的な領域の光あふれる外に出てきたとき、社会的なものの空間が成立した。」(pp.46)
*現代のわれわれにとっての私的なものとは、内面性の領域を言い換えたものに、ほかならず、古代ギリシャでは全く見知らぬものであった
*内面的なものの最初の自覚的発見はジャン-ジャック・ルソーで、彼をして内面的なものへ導いたのは、社会の中で人間の心が耐えがたく歪められることに対する反抗であった
*内面的なものも社会的なものも家屋敷や公的場所のような明確な領域を持てないから、それらは主観的な何かとして現れる。ルソーは両者を人間的実存の形式として捉えた。近代的個人は自分自身の社会的存在に対する心のこの反抗において生まれた。
*近代的個人は、社会の内で居心地よく感じることも、社会の外部に生きることも、どちらも出来ないという二重の無力さから生じる無限の内的葛藤状態のうちへ巻き込まれていく
*このルソーの発見の真正さは、以降の多くの人により確証されており疑いの余地はない。18世紀の中頃から19世紀の23が過ぎようとする頃まで、詩や音楽や小説が発展して、社会的なものを真の内実とする独立した芸術形式となった。公的な芸術形式、とりわけ建築は没落の憂き目に遭った。これらのすべては、内面的なものと社会的なものがいかに相互に密接に関係し合っているかを示している
*社会に対する反抗の対象は、とりわけ、今日われわれが画一主義と名づけている社会の水平化傾向である。この社会の水平化傾向はあらゆる社会の徴表であって、平等の原理に基づくものではない
*この水平化傾向に対する反抗が始まったのは、トクヴィル以来往々にしてわれわれが画一主義に対する責任を負わせる平等の原理が、社会体や政治制度においてじわじわと本領を発揮するよりも以前であった(⇒トクヴィル批判も含意されている)
*<社会>は、それに属する人々全員に、一個の大家族を構成する成員のように振る舞うことを常に要求する。なぜなら、社会的なものの興隆と家族の崩壊が期を一にして起こり、それらの家族は、その生活水準を同じように維持できる集団としての個々の社会に吸収されたからである(⇒そのような個々の社会は階級を作ったはず)
*従って、そのような個々の社会の構成員は、共通の利害関心を持つことにおいて水平化しているのであって、対等同格を旨とする平等という状態とは無関係であり、むしろ家父長の専制的権力の下での家族の全構成員の平等と同質である
*利害関心が一致する多くの家族が加算されて一個の集団と化した社会においては、その利害関心の力も加算されて強力になり、その力自体が家長の権力に代わる役割を果たすようになる。「まったき自発性において完全な一致が達せされる、われわれになじみの画一主義は、この発展の最終段階にすぎない。」(pp.50)
*一者の支配という君主制的原理は、古代では家政に典型的な組織形態と見なされ、絶対王政の宮廷ではその家政に代表されるのだが、近代社会においては一者の支配ではなくて、その代わりに誰も支配も統治もしないが支配自体は存在するという事態に至る
*誰も支配しないという現象は、いかなる人格とも結びついていないからといって専制的ではないということではない。国民国家の発展の初期段階においては啓蒙専制的な絶対君主制が、最終段階では官僚制の支配がそのことをよく教えている
*「最終的にこの現象にとって決定的なのは、ひとえに、社会がそのすべての発展段階において、家政と家族の領域がかつてそうしたのとまったく同様、<行為>を排除するということである。<行為>の代わりとなるのが、態度ふるまい(=Sich-Verhalten⇒自らとる態度、「忖度」とか「空気を読む」という訳もいいかも)である。」(pp.50)
*<社会>がこの態度ふるまいを規整するために指定する無数の規則は、個々人を社会的に規格化しては社会の務めを果たせる者に仕立て、自発的な行為も卓越した業績も阻止するという点に帰着する
*ルソーにとって問題だったのは因習に囚われた上流社会のサロンだった。個人と社会的地位とのこの同一視にとっては、半封建制的、19世紀の階級社会、現代の大衆社会等、どのような秩序の枠組みにおいて行われるかは比較的どうでもよいことだ
20世紀には最終的に、大衆社会が社会的階級と形成された集団を吸収してその内部を水平化した。大衆社会は、社会の外部に立つ集団がもはや存在しない段階である
*公的なものの領域を社会が征服したという事実は、そのことが政治的にも法的に承認されたことであり、そこでは卓越性と独自性の発揮は自動的に個々人の私的関心事と化している
*近代的平等(Egarität)は社会の画一主義に基づいている。Egaritätは古代ギリシャのポリスにおいて周知であった同等(Gleichheit)とはあらゆる点で異なっている。
Gleichheitはポリスの公的空間において、同意同格の「同等の人々」に伍してして生を送ることの許された特権的小規模集団に属することを意味し、そこでは誰しも卓越性を試す可能性を持ち、この可能性のためにこそ公務の負担と重さを進んで引きうけた
*<社会>の成立と踵を接して起こった科学である国民経済学もこの画一主義に基づいている。かつての経済学は、人間が経済においても依然として行為する存在であると想定していたが、いまや科学によって、態度ふるまいの形式を研究して斉一的に体系化することが可能となった
*統計学にとっては<行為>という偏差は取るに足りないことになってしまい、そこからは経済学の本当の意義を見出すことは出来ない。それは丁度、歴史の進展自体を中断させる希な出来事がその進展の本当の意義を示すのと同様である。
*数量の大きな領域では、統計的法則が妥当する。政治においていえば、政治的構成された共同体(ゲマインシャフト)の人口が多いほど、非政治的で利益社会(ゲゼルシャフト)的な要素が、公的領域の内部で優位を占める事態が増えることを意味している
*ギリシャ人達は統計学を知らなかったが、ポリスが存立するのは市民の数が限界内に抑えられているときだけであるという事実ならよく知っていた。彼らは、ギリシャ文明とは異質な、画一主義、行動主義、自動機構を特徴とするペルシャ文明を知悉していたからである
*現代において、<社会>は日常的なものの「幸福」しか知ろうとしない。それゆえ、社会科学のうちに、自分自身の実存に見合った「真理」を求めて見出す
*均一化された態度ふるまいは、統計学的、科学的に取り扱うことが出来る。だが、アダムスミスの「神の見えざる手」を含めて、古典派経済学が設定した仮定と理論、つまり利害関心の自動調和的な自由主義的仮定の下で、対立し合う利害関心の調和を繰り返すという理論では十分とは言えない
*マルクスと自由主義的経済学者達との相違は、彼が対立し合う利害関心という事実を真面目に受けとめ、そこから「人間の社会化」は利害関心の調和化に自動的に至るという結論(⇒資本の自己運動と資本主義的体制の自動的崩壊)を引き出した首尾一貫性である
*マルクスはまた、「一切の経済学理論の根底に存する「共産主義的虚構」を実際に確立しようとする彼の提案が、彼の先行者達の理論よりも、とりわけ気概に富む点で傑出していた」のも同様である。」(pp55)(⇒多分、同様というのは首尾一貫性についてだろう)
*当時はまだ困難だったのだが、マルクスが理解していなかったのは、共産主義社会の萌芽はすでに国民経済のリアリティーの中に予め形成されていたということ、そしてこの萌芽の開花が、階級の利害関心に因って起こるのではなく、古臭くなっていた君主制国民国家の構造によって妨害されていたということである
*社会が完全に発展し、他の一切の非社会的要素に勝利を収めれば、社会は必然的に「共産主義的虚構」を生み出す。この虚構の徴表は、そのなかではげんじつに「見えざる手」による支配がなされ、その支配者は一個の誰でもない者だという点にある
*現代の大衆社会の状況は「あたかも、ほかならぬ人類が、人間性を死滅させることが出来るかのようである。」(pp.57)
*「<社会>とは、とにかく生きることというただ一つの究極目的のために、人間同士が互いに依存し合うこと、ただそのことのみが、公的意義を獲得するような共存の形態である。」(pp.57)
*「活動が私的に行われるか公的に行われるかは、決してどうでもよいことではない。明らかに、公的空間の性格は、いかなる活動が公的空間を満たすか、に応じて変化する。他方で、活動それ自身も、私的になされるか公的になされるか、に応じてその本性を変える。」(pp.58)
*<社会>の出現に伴って労働は公的領域へ解放されたが、それが生命プロセスの必然的活動であるという性格は寸毫も変わっていない。その結果、労働プロセスは生命の永遠回帰の円環から解放されて急激に進歩する発展のうちに駆り立てられた。
*「社会はいわば、自然的なもの自体の不自然な成長とでもいうべきものを解き放ったのである。」(pp.58) 。「自然的なもの自体の不自然な成長」とは普通、労働生産性の絶えざる加速と記述される
*<社会>やその膨張は、一方では私的かつ内面的なものの、他方では狭義の政治的なものの、無力さを明らかにした
*分業とそれに続く生産性の上昇は、労働が公的なものであるという条件の下ではじめて成し遂げられるものである。というのは、分業という労働の組織化の原理が明らかに私的なものではなく公的なものであるからである
*卓越性はという言葉は、ギリシャ語でもラテン語でも、徳が発揮される場という意味であって、そのような場は、つねに公的なものの領域であり、現前する他者と自分との隔たりを生み出す形式的枠組みと空間を必要とする
*<社会>においては、卓越性は個人ではなくて人類の進歩のお陰とされるから匿名化される。だからといって公的業績と個人の卓越性との関係は否定し去ることは出来ないのは、労働が私的ではなく公的となり、行為と言論が私的で内面的領域へと劣化しつつ閉じ込められたからである
*「われわれが労働と制作により獲得するものと、労働と制作によって作られたこの世界のうちでわれわれ自身が活動する当の仕方との間の奇妙な不一致については、しばしば指摘されてきた。」(⇒奇妙な不一致とは、簡単に言うとチャップリンの「モダンタイムス」のような事態のことか)
*奇妙な不一致について一般に言われているのは、科学技術の進歩に人類の進歩が追いつかない(⇒というよりも、日常生活のリアリティーが追いつかないことだろうと思うが)というだろうが、それは依って立つ視点がずれた判断である(⇒といいたいのだろうと思う)
*(⇒この視点のズレは、現代社会に対する批判が問題にしているのは「人間のふるまい方が変化している」ことを問題とし、この問題を解くために社会科学が科学的方法である「心理学」を人間に適用しようとするからである)
*問題とすべきは「人間がそこに住み、そのうちを動いている世界が変化していること」である
*心理学的解釈なら公的空間の存在や世界のリアリティーも問題にすることは出来ず、そのような解釈をする能力はただ教えれば身につくもので卓越性は必要とせず、公的なものを形づくる当のものは、社会科学的な心理学的解釈で埋め合わせることは出来ない
*「まただからこそ、公的なものは人間がおたがいしのぎを削り、卓越性がそれにふさわしい場所を見出すことのできる、そうした世界の空間となるのである。」(⇒だからこそ、の「だから」は推測するに、生命の必然ではなく人間の自由が行為という活動を実現するのだ、ということなのだろうが、この節の文脈からは不分明)

2019年3月10日日曜日

3月10日(日) アーレント『活動的生』⑥第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域 5 ポリスと家政

ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

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ベルサイユの薔薇

第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域

5 ポリスと家政

この節の一言⇒古代のギリシャに公私の区分の源流を訊ねて

私的と公的という二つの領域を区分するという意識や思想および、この区分立てに基づく生活空間は、少なくとも古代都市国家の開始から現在に至るまで存在してきた。それ以前、あるいは古代都市国家の外にも当然に社会は存在しただろうが、そこには生きるための必然が強制する暴力の支配する世界、あるいは別の言い方をすれば全てが私的な空間であっただろう。
しかし、この二つの区分立ての内実は歴史と共に変遷し、近代以降においては、古代ギリシャにおいては公理のごとく当然とされていたこの区分立てを理解することすら異常に困難になっている。そのことを理解するためのキーワードは、公的と私的の二つの領域とは別に出現してきたもう一つの領域、<社会>という中間的領域の概念である。近代においては、ギリシャのポリスとは逆に、政治は社会の一機能であるということが公理と化した前提の一つにすぎなくなっている。
古代ギリシャにおいては、公的空間は「ポリス的なものの空間」であり、そこでの活動は「万人に共通な世界に定位した活動」であり、自由の概念はこの空間において成立するものであった。私的空間は「家政の領域」であり、そこでの活動は「生命の維持に奉仕する活動」であり、必然の概念はこの空間において成立するものであった。

・政治的なものを社会的なものと同一視すると言う誤解は、ギリシャ語の概念がキリスト教的思想に適合させられたことと同じだけ古いが、近代以降に<社会>という近代的概念が生じたことが事態を一層決定的に複雑化した
・近代の開始以来、いかなる人民組織も政治共同体も、大きく成長した家政機構のイメージで捉えられ、そのイメージを対象とする科学的思考はもはや政治学ではなくて国民経済学もしくは社会経済学と呼ばれている
・都市国家は私的なものの犠牲の上に生じたのだろうが、そのことが徹底していた古代ギリシャにおいてさえ、市民の私的領域はポリスによる破壊から守られていた。「なぜなら、自分自身のものと本当に呼べる場所がなければ、共通世界のどこにも場所を持たないに等しいからである。」
・古代ギリシャでは、家政において生活の必要を賄うことがポリスにおいて自由を手に入れるための条件であったから、政治とは、社会の安寧のために必要であると解することは到底出来るはずがなかった
・前記の社会とは、中世では信仰者の社会、ロックでは有産者の社会、ホッブズでは営利社会、マルクスでは生産者の社会、現代の西側諸国では定職者の社会、社会主義や共産主義の社会では労働者の社会である
・前記のいずれの事例でも、政治が持つ権力を制限することを正当化するのは社会の自由であり、そこでは自由が社会的なものに位置づけられ、強制や暴力は政治的なものに場所を指定され、かくして国家の独占物となる
・ギリシャの哲学者たちは、強制と暴力は私的領域ででのみ正当化されると考えていたが、それは、例えば奴隷を支配するという暴力を行使してこそ、人間は生きている限り押しつけられる必然から解放されて、世界の自由へと赴くことが出来るからであった
・古代ギリシャ人にとっては、この世界の自由とは、彼らが幸福(エウダイモニア)と呼んだものにとっての条件でり、それは世界における客観的状態を全体的に形づくるもの、つまり健康や裕福と、どうしても結びついていなければならなかった
・奴隷は単なる貧乏人とは違って、生命維持という肉体上の必然に加えて、人間による暴力の支配を受けるという二重の不幸に甘んじねばばらず、自由人にとっては、安定した所得と結びついた奉仕義務は、自由を制限するものと感じられていた
・ポリス以前の暴力による強制状態は、17世紀の思想家達が呼ぶ「自然状態」とは全然違っている、というのは、彼らは「国家はこれはこれで、一切の暴力と権力を独占し、「万人をひとしなみに恐れさせておく」ことにより、「万人に対する万人の戦争」終息させるからである。」と考えていたからであろう
・(⇒著者はポリス以前の人間社会を、人間の条件の視点から推定して記述しようとしているのに対して、ホッブズ等の言う人間の「自然状態」は国家権力の正当性を主張するためのイデオロギー、あるいは捏造されたフィクションである、と言っているのでは)
・現代人は、支配-被支配、権力-国家―統治といった概念の組み合わせこそ、政治的なものだと解しているが、そのような政治秩序の概念の総体は、かつては逆に、ポリス以前と見なされていた
・ポリスにおいては同等の者のみが存在し、家政の秩序は同等でないことに基づいていた、つまり同等とは、自分と同等なものとのみ係わりを持つことだったから、われわれのイメージする平等とは殆ど共通性を持たない。同等は、近代になると、正義の要求である平等を意味することになるが、古代においては逆に、つまり平等でないことが前提されている自由というものの本質をなすものだった
・政治は社会の一機能に過ぎず、行為、言論、思考は、社会的利害関心の上部構造をなす、とする見方は、マルクスの発見でも捏造でもなく、近代においては疑うことの困難な公理と化した前提の一つに過ぎない(⇒公的領域であるはずの政治は、ポリス社会においては私的領域である家政とみなされるであろう<社会>の一機能に成り下がっている)
・近代における<社会>の成立共に、かつては私的領域に属していた全ての関心事は、今や万人にかかわりのあることとして、「集合的」関心事となった。「かくして現代世界において、この二つの領域は、たがいにたえず入り混じり、一方から他方へ移行し合う。あたかも、不断に流れる生命プロウズスそのものの流れに浮かんでは消える波にすぎないかのように。」
・家政とポリスの間には、日々勇気を持って跨ぎ越えねばならない裂け目があったが、近代において消失した。中世には、この乗り越えるべき裂け目自体は聖と俗の区分によって生じていたが、古代と中世ではその意義も意味も異なっていた
・古代と中世の本質的な相違は、教会が彼岸に結びついていたことに基づいている。その結果、聖の方を公的に等置するのは可能としても、それによって私的領域に押しやられた俗の方は本当の意味での世俗的、つまり公的領域には入りようがなかった。人間の全活動が私的領域に押しやられたのが中世の目立った特徴である
・中世における、人間の全活動の私的性格化は、あらゆる人間関係の私的性格化をもたらし、その影響は中世都市の職業組織(⇒商人組合のギルドや手工業者組合のツンフト)や初期の商業組合(カンパニー、一緒にパンを食べる人達)にまで溯ることが出来る
・「共通善」(⇒支配の正統性の根拠とされる政治思想の一つ)という中世の概念は、公的に政治的な領域の存在を表すのでは全くなくて、人々が皆、次のことを承認していたことの証しである。つまり、私人は共通の利害を持ちうる、その利害は精神的なものでも物質的なものでもよい、各個人がひたすら自分自身の関心事に専念できるのは彼らのうちの誰か一人が万人に共通する利害の面倒を見ることを引きうける、ということ、これである
・「共通善」の承認は本質的にキリスト教的な態度(⇒中世の政治的態度+全ての人間活動が私的領域に押しやられている)であるのだが、この態度が近代の態度と区別される根拠は「共通善」が承認されているか否かではなく、むしろ私的領域の排他的独占と、われわれが現在<社会>と呼んでいる奇妙な中間領域の欠如である
・公的領域と私的領域の中間にあって、私的利害に公的意義が帰されている領域こそが、われわれが<社会>と呼んでいるものである
・トロイヤ戦争のような冒険に乗り出す時のように、ポリス的空間に乗り込もうとするものは誰でも、何よりも先ず、自分自身の生命を危険にさらす用意がなければならなかった。命にむやみに執着するのは奴隷根性の証拠と見なされた(⇒原注に、古代の奴隷についての解説が記載されている)。かくして勇気は、ポリス的枢要徳とされた
・ギリシャ思想は、ギリシャ人の政治意識の根底に存し、公私の区分立てを比類なき明晰さと精確さで表現した。生活の糧や生命プロセスの維持という目的に仕えるだけの活動は、公的空間に現れることを認められなかった。その結果、アテナイは事実上、「消費者プロレタリアート」の住む「年金生活者の都市」と化した
・アリストテレスはポリスの生を、「正しく善く生きること」と呼んだが、生が「善い」と呼べるには、生活の必然から解放され、生存本能をある意味で克服した結果、生命プロセスの奴隷に成り下がった状態から相当程度抜け出ることに成功する限りであった
・しかし一方、ポリスと家政を隔てる境界がすでにぼやけ始めてもいることは、プラトンがポリスに関する対比や例示を私生活からの具体例をもって好んで示していることからも覗える
・「善く生きること」を目指すという点においての、ソクラテス学派の教えは、その動機こそ公的生の重荷から解放されたいという願望にあったが、この願望を正当化するには、自由なポリス的生ですら家政的生の必然の支配に服していることを示さねばならなかった(⇒ヘーゲルの言う普遍と個別の弁証法の元ネタか)
・ソクラテス学派のこの教えは、当時としては全く革命的な考え方だった(⇒人間に内在する実存に価値を認める考え方において)。ポリス市民にとっては、家政の領域内に生きることの唯一の存在理由は、ポリスのうちで「善く生きること」だったからである

2019年3月7日木曜日

3月7日(木) アーレント『活動的生』⑤第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域 4 人間は社会的動物か、それとも政治的動物か

ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

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バレリーナ


第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域

4 人間は社会的動物か、それとも政治的動物か

この節の一言⇒節の標題と同じ

この節では、古代ギリシャのポリスにおけるポリス的生き方が記述される。記述する視点は活動的生の三契機、とりわけ<行為>の部分である。著者は、歴史上のある条件のもとで出現した古代ギリシャ市民のポリス的生活に、活動的生の<行為>が顕現していることを発見したのだろうと思う(⇒その記述された内容はにわかに信じられないと同時に憧れさえ抱きそうになる)。ローマ時代になると、古代ギリシャ市民にとっての政治的生き方は、ローマ人にとっては社会的生き方と同じようなものと理解されていく。



・アリストテレスの人間規定「人間とはポリス的生き物である」のセネカのラテン語訳では「ポリス的生き物」が「社会的動物」となる。最終的にはトマスは「ポリス的」=「社会的」と記述する

・「社会的」という言葉はラテン語にしかなく、それに相当するものはギリシャ人の言語にも思想にもない

・ラテン語の「社会的」という語には、初めは限定的にであったが政治的意味が含まれており、後に「社会的」であること、すなわち社会の中で生きることは人間の本性に属すると考えられるようになった

・ギリシャ人は、ラテン語の「社会的」という意味を人間的なものに特有な基本条件の一つとは考えられず、動物として共通のものと考えていた

・ギリシャ人にとっては、政治的組織を作る能力は、家を中心にして営まれる自然的共生と区別されるだけではなく対立したものであった

・アリストテレスによれば、ポリスの創設は自然的な部族団体をすっかり解消した後に行われたのであり、またこれは歴史的事実でもある

・ギリシャ人にとって真にポリス的なものは、行為と言論の二つの活動だけとみなされており、それはプラトン、さらにホロメスの時代にまで溯る

・ギリシャ人にとっては、思考とは言論から生じるものでその逆ではなく、言論と行為とは等根源的なものであった。しかるべき瞬間にしかるべき言葉を見出すということ自体が、すでに行為だからである。「沈黙しているのは暴力だけである。つまり、口がきけないから暴力をふるうのだ」

・プラトンに始まる政治哲学にしても、ポリスの言語本位の経験世界から生まれた。ところが、次第に行為と言論は切り離されていって、眼前の出来事に対する応答や抵抗時の際立ったやり方であった言論が、説得手段としての弁論となった

・ギリシャ人にとっては他者を説得する代わりに命令すること、説得に代わって暴力で強制することは、ポリス以前の人間関係のあり方であった

・ポリス以外の生活、つまり家や家庭の生活では、家長は家や家庭に属するものに対して専制的な権力を行使した

・ギリシャ人にとっては、アジアの野蛮な帝国は、家の場合と同じに考えられた

・アリストテレスは、人間は政治的動物であると規定したが、その拠り所の経験はポリスの生活の経験であり、人間的共生の自然領域の外側であった

・アリストテレスのもう一つの著名な人間規定に、「人間とはロゴスを持つ生き物である」というのがあって、ラテン語では「人間は理性的動物である」と訳されているが、この訳は社会的動物という概念と同じく根本的な誤解に基づいている。なぜなら、アリストテレスにとって人間の最高の能力とは、語りつつ議論し、議論しつつ思考すること、ではなくて、観想の能力であったからである

・アリストテレスの人間規定だと一般に信じられているものは、実はポリスの住人であるかぎりでの人間の本質に関する、ポリス住民のありふれた見解にすぎない。奴隷や野蛮人は

「ロゴスを欠いている」人々という言葉で呼ばれたが、これはポリスの外で生活する、語ること自体が無意味である人々という意味である

2019年3月6日水曜日

ダーウィン『種の起源』 近代科学の典型的な合理的思考法を原点に戻って学んでみよう。結果だけ知ったつもりになってもさして意味は無い

「進化論」という「論」自体やその影響については、今日でもよく話題になるので、それのもととなったダーウィン『種の起源』を読んでみた。著者の頭に詰め込まれている厖大な知識の脈絡を追うのは結構大変。私の興味は個々の事実ではなくて、どうしてダーウインがそう考えるに至ったのかを知る気分になることだが、それでもそれなりに集中しないと分からない。当たり前だが、ダーウインの記憶力と推理力は抜群だ。
あゆみ

  1859年に出版された本書の結論だけを書けばとても簡単、いわゆる自然淘汰説だ。一番基本は、生物もまた自然の法則に従っているということ、つまり神が創ったのではないこと(当時は聖書の記述にしたがって、生物は種ごとに神が創ったと信じられていたらしい)。次には、よく「進化論」と呼ばれている考え方で、生き物は、長い時間をかけて、自然淘汰の作用による変化伴う由来をもっているということ。ここで、自然淘汰の作用とは、生存競争によって世代を重ねるにつれて生き残っていくグループとそうでないグループが生じてくることを言う。そのことは、生物の諸器官にしろ行動様式にしろ、進化の個々の段階においては個々の生物グループにとって有益なものであると見なせること、またごくわずかではあってもそれらは変異を生じるうること、有益な変異が子孫に継承されること、などが認められれば、生物史を貫く法則であろうと推論が出来る。

  ダーウインの推論は、観察と実験から得られた数多の事実に基づいた合理的な思考によるものだ。この数多の事実はどうやって見つけたのかと言えば、自分で直接行ったものもあるし、当時の学者やナチュラリストや育種家などが行った厖大な蓄積の中から、合理的な意図によって選別したのだろう。観察や実験(人工的育種も含めて)の動機は、学者やナチュラリストにとっては新種の発見自体などに、育種家は有用な植物や動物を創り出すことなどにあったのだろう。

  厖大な知見に基づいた推論を追っていくのも本書を読む一つの醍醐味ではあろうが、合理的な意図とか、事実自体が何であるかとか、事実と事実の関係に潜む規則の推定等々は容易ではない。特に、私のように、虫や魚や鳥等々の身体の部位やその性質や行動様式について知らないばかりか、あまり考えたことのない人にとっては尚更である。しかし、ダーウインの残した業績は後の生物研究に重要な指針を与え、また、普通の人々にとっては大いなる誤解を含めて重要な影響を与えていることは理解できる。

  界⇒門⇒綱⇒目⇒科⇒属⇒種⇒亜種⇒変種⇒品種⇒亜品種、という分類は右から左へ生物の由来を溯った体系を示している。例えば、ヒトの分類学的位置づけは、動物界、脊椎動物門、哺乳類綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト(種)となる(現世の人類はホモ・サピエンス・サピエンス)。一つの生き物は、壮大なピラミッド式体系の一つに位置づけられた。生物の分類は身体の形式や行動様式や稔性等々に基づいていたが、そのそれぞれが由来を持つ変化の結果であることが判明することで、一つの体系となった。しかも何故、生物のグループが連続ではなくて区分できるのかも理解できる。つまり、変異で生じた中間的グループが、自然淘汰によって絶滅したからである、と。そのことは生命の化石が見つかる数億年前からの地質学的知見によって、ほんの一部だけ確かめられ、もっと確かめたければそれはこれからも果てしなく続くだろう。よく、進化論によれば人間の祖先は猿だったと言う人がいるが、本書を読めば不正確な表現であることがわかる。そういう人には、何故「目」というところで先祖が停止していると思うか、と訊ねるのがいいと思う。

  最後に、最終章(14章 要約と結論)で述べられているダーウインの推論のうちで二つを紹介する。一つは妥当でもう一つは問題であると思う。一つは「生物を変化させる原因の中で最も重要なのは、物理的条件の変化、それも恐らく物理的条件の突然の変化とはほぼ無関係である。」という推論(種の創世説への反論のようだが)。この推論は、人間の心が関係性の中で変化しうることの身体論的説明として妥当だろう。もう一つは「遠い将来を見通すと、さらにはるかに重要な研究分野開けているのが見える。心理学は新たな基盤の上に築かれることになるだろう。それは、個々の心理的能力や可能性は少しずつ必然的に獲得されたとされる基盤である。やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。」という推論。この推論は、人間の心が自然科学的に解明されるという誤謬推理であろう。この誤謬に気付かなければ重大な問題が発生しかねない。この点に関して言えば、本書より70年ほど前に書かれた『純粋理性批判』(カント著)で指摘されている、人間の理性についての洞察を知ることがとても大切だと思う。

3月6日(水) ダーウイン『種の起源』【感想】ダーウインだって推理しすぎると当然間違えるよね

ダーウイン『種の起源』(上・下)渡辺政隆訳 光文社文庫
芳純

【感想文】
「進化論」という「論」自体やその影響については、今日でもよく話題になるので、それのもととなったダーウィン『種の起源』を読んでみた。文庫本上下二冊だが、著者の頭に詰め込まれている厖大な知識の脈絡を追うのは結構大変。私の興味は個々の事実ではなくて、どうしてダーウインがそう考えるに至ったのかを知る気分になることだが、それでもそれなりに集中しないと分からない。当たり前だが、ダーウインの記憶力と推理力は抜群だ。
1859年に出版された本書の結論だけを書けばとても簡単、いわゆる自然淘汰説だ。一番基本は、生物もまた自然の法則に従っているということ、つまり神が創ったのではないこと(当時は聖書の記述にしたがって、生物は種ごとに神が創ったと信じられていたらしい)。次には、よく「進化論」と呼ばれている考え方で、生き物は、長い時間をかけて、自然淘汰の作用による変化伴う由来をもっているということ。ここで、自然淘汰の作用とは、生存競争によって世代を重ねるにつれて生き残っていくグループとそうでないグループが生じてくることを言う。そのことは、生物の諸器官にしろ行動様式にしろ、進化の個々の段階においては個々の生物グループにとって有益なものであると見なせること、またごくわずかではあってもそれらは変異を生じるうること、有益な変異が子孫に継承されること、などが認められれば、生物史を貫く法則であろうと推論が出来る。
ダーウインの推論は、観察と実験から得られた数多の事実に基づいた合理的な思考によるものだ。この数多の事実はどうやって見つけたのかと言えば、自分で直接行ったものもあるし、当時の学者やナチュラリストや育種家などが行った厖大な蓄積の中から、合理的な意図によって選別したのだろう。観察や実験(人工的育種も含めて)の動機は、学者やナチュラリストにとっては新種の発見自体などに、育種家は有用な植物や動物を創り出すことなどにあったのだろう。厖大な知見に基づいた推論を追っていくのも本書を読む一つの醍醐味ではあろうが、合理的な意図とか、事実自体が何であるかとか、事実と事実の関係に潜む規則の推定等々は容易ではない。特に、私のように、虫や魚や鳥等々の身体の部位やその性質や行動様式について知らないばかりか、あまり考えたことのない人にとっては尚更である。しかし、ダーウインの残した業績は後の生物研究に重要な指針を与え、また、普通の人々にとっては大いなる誤解を含めて重要な影響を与えていることは理解できる。
買った本につていた栞の系統図は、界⇒門⇒綱⇒目⇒科⇒属⇒種⇒亜種⇒変種⇒品種⇒亜品種、という分類だが、この図は右から左へ生物の由来を溯った体系を示している。例えば、ヒトの分類学的位置づけは、動物界、脊椎動物門、哺乳類綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト(種)となる(現世の人類はホモ・サピエンス・サピエンス)。一つの生き物は、壮大なピラミッド式体系の一つに位置づけられた。生物の分類は身体の形式や行動様式や稔性等々に基づいていたが、そのそれぞれが由来を持つ変化の結果であることが判明することで、一つの体系となった。しかも何故、生物のグループが連続ではなくて区分できるのかも理解できる。つまり、変異で生じた中間的グループが、自然淘汰によって絶滅したからである、と。そのことは生命の化石が見つかる数億年前からの地質学的知見によって、ほんの一部だけ確かめられ、もっと確かめたければそれはこれからも果てしなく続くだろう。
よく、進化論によれば人間の祖先は猿だったと言う人がいるが、本書を読めば不正確な表現であることがわかる。そういう人には、何故上記の図の「目」というところで先祖が停止していると思うか、と訊ねるのがいいと思う。
最後に、最終章(14章 要約と結論)で述べられているダーウインの推論のうちから、次の二つを紹介する。一つは妥当でもう一つは問題であると思う。一つは、生物を変化させる原因の中で最も重要なのは、生物同士の関係であって「物理的条件の変化、それも恐らく物理的条件の突然の変化とはほぼ無関係である。」という推論(種の創世説への反論のようだが)。この推論は、人間の心が関係性の中で変化しうることの身体論的説明として妥当だろう。もう一つは「遠い将来を見通すと、さらにはるかに重要な研究分野開けているのが見える。心理学は新たな基盤の上に築かれることになるだろう。それは、個々の心理的能力や可能性は少しずつ必然的に獲得されたとされる基盤である。やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。」という推論。この推論は、人間の心が自然科学的に解明されるという誤謬推理であろう。この誤謬に気付かなければ重大な問題が発生しかねない。この点に関して言えば、本書より70年ほど前に書かれた『純粋理性批判』(カント著)で指摘されている、人間の理性についての洞察を知ることがとても大切だと思う。

2019年2月13日水曜日

2月13日(水) ハーバーマスは30年経って気付いた、マイノリティーも大衆も捨てたもんじゃない、エライ

クイーンエリザベス
3月3日(日)に仲間の定例読書会で取りあげられているので読むことになった。1962年版を1973年に細谷先生が翻訳したものだが、ハーバーマスを読むのは初めてだが、
読み始めると一つのなが~い文章は意味不鮮明なところが多くて苦労しそうだ。
「1990年新版への序言」のところだけまとめてみた。というのは、ここ30年間で急激に変化した世界・社会が著者の考えに大きな変化を与えつつあることが覗えて、そこだけもゆっくりと読む価値があると思ったからである。



ハーバーマス『公共性の構造転換』(1962年、1990年新版)

1990年新版への序言

「本書が出版されてからおよそ30年を経てはじめて読み返し、修正に取りかかり、削除と補完を施そうとしてみると、そのようなことはしない方がいいことがわかつてきた。<中略>研究がより発展するための刺激となるような最小限の解説を施しておきたい。<中略>私は、今日再び重要になってきている民主主義理論の問題に本書の研究が貢献できるものであるかどうかという点に関心の焦点を置く。」

Ⅰ 市民的公共圏の生成と概念
1
第一の目標は、市民的公共圏の理念型を18世紀および19世紀初期のイギリス・フランス・ドイツでそれが発展した歴史的文脈に基づいて展開することであった。
・ドイツでは、18世紀末までに「小さいが、批判的に討議を行う公共圏」が形成されていた。読書する公衆(都市市民層など)が出現し、読書協会が設立され、政治的平等にかかわる規範を学ぶことが出来た。
・フランス革命が、当初は文芸と文化批判に限定されていた公共圏を政治的なものへと突き動かす引き金となった。それはドイツでもそうであった。19世紀半ばまで、公共的なコミュニケーションのネットワークの機能は拡大し、「社会生活の政治化」を特徴付けてきた。
・ドイツ連邦諸国は政治的公共圏の制度化を阻止しようとしたが、文芸や批評を政治化の渦にますます引きずり込むだけであった。

2
・私は、かつて(⇒1960年頃)公共圏から排除された集団について、フーコー的な意味、つまりその公共圏にとって本質的であるような、狂人と認定された集団については、全く考慮しておらず、サブカルチャー的なもの或いは階級的に特有な集団については序論でしか触れていなかった。
・私は、フランス革命のジャコバン主義段階(⇒1789年のフランス革命後から1794年のジャコバン独裁政権崩壊までの段階)やチャーチスト運動(⇒1830-50年の頃に起こった労働者階級による普通選挙権獲得運動)は「人民的」公共圏の萌芽、抑圧された市民的公共圏の一変種として、重視していなかった。
・しかしその後に、いくつかの優れた研究が進み、(⇒18世紀末から19世紀前半頃にかけての状況について)次のような見解を持つようになった。「文化的にも政治的にも動員され始めた下層民を排除することによって、生成しつつある公共圏は早くも多元化されることになる。人民的公共圏は、ヘゲモニーをとっている公共圏と並んで、またそれに制約されながら、形成されるのである。」
・民衆の排除は、代表具現的公共圏という伝統的な形式の中でも行われていた。そこでの民衆は、支配身分、貴族、高位聖職者、王などが自らの地位を提示する舞台装置であった。
・代表具現的公共圏の類型は、公共的コミュニケーションの近代的形式にとっての歴史的な背景をなすものである。
M・バフチーン(⇒18951975、ロシアの哲学者)の名著に触発されて、民衆の文化の内的な動力学に目を向け始めてからは、民衆の文化は支配階層世界に対する行動的で暴力的な反抗であったことを理解し始め、排除のメカニズムが同時にそれに対する反作用をもたらすのだという複眼的見方が出来るようになった。
・この同じ複眼的眼差しを市民的公共圏に向ければ、男性社会からの女性の排除という状況が新たに見えてくることになった。

3
・本書が刊行された以後にフェミニズム関連の文献が増大して、公共圏自体が持つ家父長制的性格についての我々の感覚は研ぎ澄まされた。問題は、女性が労働者や農民や賤民達などの非自立的男性と同じ仕方で市民的公共圏から排除さていたのかどうかということだ。
・階級社会の諸条件の下では、非自立的男性と女性は排除されているから、市民的民主主義は本質的矛盾を抱えている。私はこの矛盾に対する弁証法をマルクス主義的或いはイデオロギー批判の概念で捉えることが出来ると考えていた(⇒しかし今は違う)。
・私は、社会国家的保障の拡大という流れの中での公共圏と、私的領域との関係の変化を研究していたが、政治的公共圏のこの(⇒ハーバーマスの研究していた)構造変動は、家父長制的性格に手がつけられていない。
・政治的公共圏の構造も、この構造と私的領域との関係も、性差を基準に規定されている。このことは、女性の排除が政治的公共圏にとって本質的なものであることを意味し、非自立的男性の排除と異なって構造自体を創り出すのだ。このようなフェミニズムのテーゼは、キャロル・ベイトマンが1983年に発表して大きな影響を与えた論文で主張したことである。
・市民的公共圏においては、排除された非自立的男性も排除された女性一般も、排除したその公共圏および公共圏の構造自体も内部から転換することができる。

4
・以上の論からも、「市民的法治国家における公共圏の矛盾をはらんだ制度化」という第11節で展開されたモデルは硬直したものだった。(⇒今回は修正していないものの)私がまた本書に立ち帰ってきたのは、かつてはその(⇒市民的公共圏の)意義を過小評価していたからである。

Ⅱ 公共圏の構造転換---三つの修正
1
・「公共圏の構造転換は、国家と経済の変容の中に埋め込まれている。」のだが、かつて私はこの変容を、ヘーゲル法哲学がまず描き、若きマルクスが練り上げ、ローレンツ・フォン・シュタイン(⇒18151890,伊藤博文にドイツ式立憲君主制を薦めた人でもある)以来ドイツ国法学の理論的枠組みとなった、その中で構想していた。
・ドイツでは、自由を保証する公権力と私法に基づいて組織された経済社会との関係についての国法上の構成は、民主主義を欠いたまま法治国家が発展したことに関係している。
・ドイツ独特の遅れについて、ベッケンフェルデ(1930~)は「国家と社会が対立するようになってくると、国家の決定権とその行使に社会がいかに関与するかという問題が生じてくる。・・・国家は、王制、官僚制、軍隊、また部分的には貴族が担っていたのであり、そうである以上国家は市民層によって代表される社会からは組織的にも制度的にも分離していたのである。」と述べている。
・経済的市民が国家公民として、国家権力に対して、市民かつ公民である自分たちの利益を調整し普遍化し流動化して、社会の自己組織化を可能にする媒介となって働くようにと要求するとき、はじめて政治的に機能しうるような公共圏が現れてくる。
*社会の自己組織化にとって何より必要なことは、国家と社会との分離の克服である。
・国法レベルでの国家と社会の分離には、市場を通じて制御される経済が政治支配の秩序から徹底的に分化するという普遍的意義がある。この分化は、資本制的生産様式と国家官僚制が形成される過程において共に発展した。
*その原点はヘーゲルやマルクスが言う、市民社会の自立にある。
・このような発展モデルは、ドイツ諸国に特有の発展からではなくてイギリスの発展から読み取られたものであり、19世紀後半に始まる趨勢の逆転を分析する際に私が下敷きとしたモデルであった。
*(⇒趨勢の逆転とは、国家と社会の分離の方向の逆転だろう)
・私は、国家と社会との分離という傾向が廃棄されていくという事実を、法制上の動向を手がかりにして、一面ではネオコーポラティズム的に《国家の社会化》と概念化し、他面では国家の積極的な介入主義的政策によって生じてくる《社会の国家化》と概念化した。
*(ネオコーポラティズム⇒新協調組合主義⇒主要な行政・経済政策の策定に、関係する各界の利益代表を参加させ、利害の調整を図って政策を実施しようとする手法)
・私は、西欧型社会における、社会国家と組織資本主義との複合的な発展が引き起こした反作用に関心を抱いてきた。その反作用とは以下の三つである。
*私的領域および私的自立の社会的基礎への反作用
*公共圏の構造および公衆の構成と行動への反作用
*大衆民主主義の正統化過程それ自体への反作用

2
・市民社会(⇒18世紀~19世紀)は公権力に対して、全体的に見て私的領域として対置されていた。しかし、19世紀になると下層民の社会的解放や大衆レベルでの政治が始まると共に、この私的領域である市民的な生活世界において、家族の親密圏と就業システムという二つの領域で従来とは反対向きの構造化が意識されるようになった。これについて私は第17節で「社会圏と親密圏の両極分解」として叙述した。
*初期近代の市民社会は職能身分が積み重なって出来ていたが、それとは別に生産機能を免れてはいるが公権力には属さない家族も含まれていた。彼らに共通するものは、私的所有と小家族という親密圏である。
*私的生活領域での細分化された各社会階層は、都市化、官僚制化、経営の集中、労働解放による余暇の増大や大量消費などによって、異なる形で変化していく。
*本書で私が関心を持っているのは、構造変動の個別的な経験的事象では無く、私的領域の地位の変化についての理論的側面である(⇒多分こういう意味だろう)
・国民の平等な権利が普遍化すると、大衆の私的自立は(以前の)私人の私的自立のように自らの社会的基礎を私有財産の処分権に求めることは出来なくなった。
*大衆の私的自立を保障するには国家による地位の保障が必要で、しかもその保障は民主主義的国家の国民である大衆自身が行なう限りにおいてであって、私的処分権のみに自らの社会的基礎を求めることは出来ない
・「かつて本書を執筆していた当時の私にとっては、これはこれで民主的なコントロールが経済過程全体に拡大されてはじめて可能になるように思われたのである。」(⇒それはトートロジーだった、と)
・このような(⇒かつてのハーバーマスの)考察は、法治国家の伝統的な構造と社会国家原理がいかに両立するのかという1950年代の展開された国法学上の論争の脈絡のうちにあった。ドイツ連邦共和国の基本法(⇒19495月)の視野の中では、政治的公共圏は明らかに立法機関の添え物になってしまっている(⇒本書296頁以降参照)。
・カール・シュミット学派は、社会的諸関係の変化を評価出来ていないが、そうかと言ってヘーゲル・マルクス的思考の弱点はすでに露呈されている(⇒ソ連崩壊に象徴される)。
*本書刊行後にハーバーマスはヘーゲル・マルクス的思考から距離をとりはじめてきた
・「確認しておかなければならないことは、機能的に高度に分化した社会は全体の優位性を眼目とする社会構想によっては捉えられない、と言うことである。」

3
・「本書の後半の中心となる主題は、国家と社会との統合に埋め込まれた公共圏それ自体の構造転換である。」
・メディア権力と言う新しいカテゴリーが登場し、「マスメディアを通じて予め構造化されると同時に支配されるようになった公共圏は、権力が浸透したアリーナへと膨れ上がった。」
・このアリーナでの闘いは次のテーゼにまとめられる(本書302頁以降)。
*「社会国家の諸条件の下で機能する公共圏は、自己産出の過程として捉えられなければならない。それは、途方もなく拡大した公共圏の領域の中で、自己自身に向けられた公開制の原理が持つ批判的な働きを縮小しようとする他の傾向と競合するようになってはじめて、徐々に自らを制度化していかなければならなくなる。」
・「文化的習慣の面で階級的な制約から抜け出し、多元的で、内部で非常に分化した大衆からなる公衆がもつ抵抗能力や、とりわけ批判のポテンシャルについて、当時(⇒1960年頃)私は悲観的すぎる判断を下していた。」
*その後に、文化と政治の間の新しい親密圏が出現し、そのこで判断の基準そのものが変わってしまったからである
・「公共圏の構造変動にとってこれ(⇒政治行動の社会学的研究)と同様に重要なのは、メディア研究、特にテレビの社会的影響についてのコミュニケーション社会学的な研究である。」

4
・当時私が批判的公開制の担い手として想定できたのは、対内的に民主化された団体や政党だけだったし、80年代に入っても同じ前提に立って民主主義理論を構想している人もいた。しかし、このモデルは、かつて「多数派の専制」に異議を申し立てて自由主義理論を突き動かした、利害の和解無き多元主義に直面した。
・第15節(自由主義理論にあらわれた公共性の両価的把握―――ジョン・ステュアート・ミルとアレクシス・ド・トックヴィル)で行ったように、公共圏についての把握がアンビヴァレントなものであることを立証しても、それは十分なものではないだろう。

Ⅲ 理論枠組みの変化
・社会国家的な大衆民主主義は、政治的に機能する公共圏の要請を真剣に受けとめる限りでのみ、自由主義的な法治国家の原則との連続性を保っているといえる。(⇒その条件は下記)
*本書301頁以下の叙述にある「組織に従属した公衆が、こうした組織を通じて、公共的コミュニケーションの批判的過程をおしすすめる」ということが、西欧型の社会の中でいかに可能であること(⇒問題が提起された)
・この問題提起によって、私は本書の末尾でふれてはいるが、しかるべく扱っていない問題に投げ返されることになった。つまり、『公共性の構造転換』が以下のようなものであったならば、それは同時代の民主主義理論への貢献は怪しいことになる、という問題である
*互いに競合する多様な利害を止揚(⇒矛盾を克服する考えを創出)して普遍的利害を生み出すことができない
*したがって、公共的な意見(=世論)は、自らの尺度を見出して、そこから普遍的な利益を引き出すことが出来ない
・「その当時私が使用できた理論的手段では、この問題は解決できなかったのである。」理論を前進させるためのキーワードだけでも示しておきたい。

1
・本書の構成を規定しているのは、市民的公共圏の弁証法であるである。
*市民的ヒューマニズムの理想は立憲国家の諸制度に浸透していたが、そうした理想を否定してしまうような現実の憲法の彼方をもまた指し示している。
*市民的ヒューマニズムの理想は、親密圏や公共圏についての自己理解に刻み込まれ、主体性や自己実現、合理的な意見形成や意思形成、個人的および政治的な自己決定などのキーワードによって表現されている。
*市民的公共圏の弁証法は20世紀の《文明化された野蛮》(⇒多分戦争の世紀の意味だろう)によって反駁された歴史哲学の背景的仮定(⇒唯物史観か?)に依拠している。
・この市民的理想(=市民的ヒューマニズムの理想)が後退し、意識が冷笑的になってしまえば人々の同意を要する規範や価値への志向も崩壊してしまう。だからこそ私は、批判的社会研究のより深い規範的基礎付けを提起した。
・コミュニケーション行為理論は、上述した規範的基礎付けの理論であって、次のような特徴を持つ。(⇒制度の研究によって、理念からでは無く、歴史に刻印されている人々の暗黙の合意という経験、すなわちコミュニケーション行為、から読み解こうとする理論か?)。
*日常のコミュニケーションの実践それ自体に備わっている理性のポテンシャルをあらわにするものである
*文化的社会的な合理化の過程を近代社会の境界を越えて溯り、再構成的な手続きによる社会科学への道を開くものである
*制度の中で具体化されていたコミュニケーション合理性の原型となる個々の刻印、すなわち経験を浮き彫りにすることで、公共圏の形成にとっての規範と現実との抽象的な対立を消滅させるものである(⇒この「経験」が市民的公共圏の中で共通な了解となるはずであることを、ハーバーマスのこの理論から示すことが出来ているのだろうか?)

2
・「私が公共圏の構造転換を研究していた当時の民主主義理論への視角は、民主主義的な社会的法治国家は社会主義的な民主主義へとさらに発展するというアーベントロートの構想に負うところが大きかった。」(⇒しかし、その後この考えを修正することになった)。
*社会および社会的自己組織化についての全体性概念が疑わしいものとなった。機能が分化し複雑化した社会(⇒特に経済システムと行政システムに制御された社会)では、社会全体が法と政治権力と言うメディアを介して自己自身へ働きかけるような大きな結社として捉えることは出来ないからである。
・(⇒いくつかの曲折を経た後に)『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)において、1967年頃に導入していた<生活世界>の概念と境界を維持する<システム>の概念と結びつけて、生活世界とシステムとしての社会という二段階の構想に至った。しかしこの構想は民主主義の構想に深刻な結果をもたらすこととなる(⇒下記が深刻な結果か?)。
*私は、経済と国家装置をシステム的に統合された行為領域と見なしているが、その行為領域の内部を政治的に統合された状態に転換するならば、そのシステム的な特性を損なってしまうことになる。国家社会主義の破産はその証明であった。
・ラディカル・デモクラシーによる正統化過程の変革が目指すものは、連帯という「社会統合の力」=《生産力コミュニケーション》が、貨幣と行政権力という《権力》(ゲヴァルト)に対抗して貫徹されることによって、生活世界の使用価値志向的な要求を通すことである。

3
・社会統合の力は、ヘーゲルの言う人倫の領域である。しかしそのような力を創り出すエネルギーは民主的手続きという政治のレベルにうまく伝わらない。
*社会統合の力は、ルソー流の誤った意思形成モデルから生じるのではない
*この現代における市民社会では、伝統社会のような確信の同質性は前提できない
*かつては階級毎に想定され得た共通利害も、対等な生活様式が競合する錯綜した多元主義に取って代わられている今では、想定しにくい
*ルソー流の誤った意思形成モデルとは、個々の市民の持つ経験的な意志が道徳的な国家公民の持つ理性的で共通善を志向する意志へと、無媒介的に転換しうる条件を確定できるというもの(⇒権力の正統性としてルソーが提示した「一般意思」は誤った幻想と)
・道徳的な国家公民というルソーの幻想は、市民と公民との役割分担を前提しているが、社会国家はこうした役割の分離を消し去ったために、(⇒ルソーが唱えたような)民主主義的な普遍主義は《普遍化された特殊主義》へと転化することとなった。
・ルソーは道徳を国家公民が身につけるものとしたが、道徳はコミュニケーション公共的コミュニケーションそれ自体の過程の中に根ざすべきものであって、正統性の源泉は、個人に予め決定されている意志ではなくて、その意思が形成される過程それ自体に、すなわち協議にある。
・「立証すべき課題は、<市民の道徳とはなんであるか>という点から、<道理に適った成果を可能にするという推定を根拠づけるべき民主的な意見形成や意思決定の手続きとはいかなるものか>という問題に移ることになる。

4(⇒ここは、本書を読み終わってからでないと何を言っているのかわからないのだろうね)
・「こういう次第で《政治的公共圏》は、公衆が行う討議を通じ意見形成や意思形成が実現しうるためのコミュニケーションの条件を総括するものであり、それゆえ、規範的な側面を内蔵した民主主義理論の根本概念にふさわしい。」
*討議を眼目とする民主主義の概念は、生産的コミュニケーションの政治的利用が、をあてにしているそれには次の二つがクリアーしている必要がある
☆紛争をはらんだ社会的テーマは、当事者たちの共通利害の中で規制されうるのか
☆公共的な議論や交渉が合理的な意志決定に適したメディアであることの明示
・過去20年(1970-1990年くらい)のうちに、ジョン・ロールズ等は、<実践的政治問題は、それが道徳的な本性を持つ限りで、いかにして合理的に決定されうるのか>について議論を行い、解明し、拠り所とすることが出来る十分な根拠があることが明らかになった。私は討議倫理というアプローチを展開して、上記☆印の二番目については回答した
・討議倫理のアプローチには、議論の形式や交渉において充たされねばならないコミュニケーションの前提を明確に規定できるという利点がある。したがってそれは、規範的考察を経験的社会的研究に接続する可能性を開くのである

5
・討議を眼目とする民主主義の概念は、まず規範理論の枠組みの中で明らかにされなければならない。だから問題は未解決である。
*「啓蒙された利己心と公共の福祉への志向との裂け目やクライアント(⇒官僚の顧客として捉えられる国民)の役割と国家公民の役割との裂け目が橋渡しされるように、社会国家的な大衆民主主義の諸条件の下でいかにして討議による意見形成や意思形成が制度化されるのかという問いは、未解決のまま残っている。」
・近代自然法は、この問題に、正統な法的強制力を導入することで答えた
*つまり、コミュニケーション共同体の内部において、現実の社会で発生せざるを得ない選択の強制力の効果を発揮させるために法的手続きが役に立つと
・カントは<法的強制力にとって必要な政治権力は、それはそれでいかにして道徳的に制御されうるのか>という問題に対して、法治国家の理念によって答えた
・討議理論の立場から考えれば次のようなことがわかつてくる(⇒本書を読むと分かるのだろう多分)
*多数決の原則は議論の実践と内的関連を保っていなければならないこと
*既存の制度が持つ規範的意味を討議論的に解読していくと、国家公民のクライアント化を防ぐことのできる新しい制度を導入する道が開けてくる
*法治国家の制度がもつ民主主義的な意味の解読は、社会国家的大衆民主主義で見られるメカニズムについての批判的な研究によって補完されねばならない

6
・民主主義の概念の規範的内容は、公式に構造化されたコミュニケーション過程や決定過程の彼方を指している。国民主権の理念が極めて複雑な社会に適用される可能性は、集団の成員が実際に参加して決定するというような具体的イメージとは一線が画されたものだろう。
*団体の意思形成が責任ある決定となり得るのは、その意思形成の中に、団体を取り囲んでいる政治的コミュニケーションの中で自由に漂っている価値、主題、論考、論拠がその団体内に入りこみ続けうる場合だけである
*討議理論を根拠として道理に適った成果を得るには、制度上構造化された政治的意志決定と自発的コミュニケーションの流れの連繋が基礎となる
・普遍化された特殊主義は、国民主権が手続き的に捉えられれば予防することが出来るし、国民主権も主体のいないコミュニケーション形式の中において具体化しうるし、国民主権が手続きに解消されるなら、1789年の革命以来真空であった権力の象徴的な場所は、民族や国民のような新たなアイデンティティーを担う象徴によって埋め合わされ得ない。
*主体のいないコミュニケーションは、国民主権の意思形成や意思決定の誤りの可能性を否定せず、また正統であることを推定可能に制御できるもので、主権はその中で流動化している
*コミュニケーションの中で流動化した主権は、公共的討議が持つ権力によって真価を発揮し、社会全体にとって大事な主題を発見し、さまざまな価値を解釈し、問題解決に寄与し、根拠を引出また斥ける
*討議は支配するのではなくコミュニケーション権力を産出し、コミュニケーション権力は、官僚機構に「包囲攻撃という様式」で働きかけるが、官僚制度が持つシステム的な特性に取って代われない


Ⅳ 市民社会あるいは政治的公共圏
・「このように前提を明確に規定しまた変更した上で、ようやくわれわれは政治的公共圏の記述という課題に立ち帰ることが出来る。」
*(⇒前提や明確化されたものとは、歴史的事実と西欧近代思想の流れの批判的総括、現代の多元的で複雑な社会における民主主義の理念の現実性に関する諸問題など)
・政治的公共圏では大きく二つの過程が交叉する。それは「正統的な権力のコミュニケーション的生産の過程と、大衆の忠誠・需要・システムの命令への服従を調達するためのメディア権力の操作的な使用の過程」である
*「二つの過程が交叉する場所こそ、公共圏の構造転換と、コミュニケーション的行為の理論によって生活世界の合理化として把握される長期的な趨勢の間の円環が閉じる地点なのである。」
・「本書の中心的な問題提起は、こんにちでは《市民社会(Zivilgesellschaft)の再発見》という標題のもとに議論されている。」(C・オッフェのアソシエーション関係という概念など)
*「リベラルな政治文化も大切だが、交通と組織の仕方や、権力が浸透していない政治公共圏を担う者達によって制度が作られることの方がもっと重要である。」
*ヘーゲルやマルクス以来の市民社会(societas civilis からbürgenliche Gesellshaft)への翻訳とは異なり、市民社会(ツイヴィール)という語には労働市場・資本市場・財貨市場を通じて制御される経済の領域という意味は含まれていない。《市民社会》の制度的核心をなすの、自由な意志に基づく非国家的・非経済的な結合関係(例えば、教会、文化サークル、学術団体、政党、労働組合、等々の結社)である。
・市民社会(ツイヴィール)という概念の株価が上昇しているのは、国家社会主義体制の批判者による全体主義批判の影響が大きい。
*特にハンナ・アーレントによって、コミュニケーション的な理論を背景として把握された全体主義の概念の影響は大きい
*アーレントの概念を下敷きにすると、市民社会(ツイヴィール)において結社(アソシエーション)が傑出した理由がよくわかるようになる
*東欧や中欧での革命的変化(⇒ソ連崩壊前後の状況だろう)はこのことを裏書きしている。革命を先導したのは、教会、人権擁護団体、エコロジーやフェミニズムの目標を追求する反体制サークルなどの自発的結社だった
・西欧型社会においては東欧や中欧とは事情が違っていて、別の問題生じている。つまりそこでは自発的な結社は民主義的な法治国家の制度的枠組みの中で設立されるから、<マスメディアの意のままになっている公共圏が市民社会(ツイヴィール)社会の担い手に対して、メディア権力と渡り合うチャンスを認めるのだろうか?という問題である。
*この問題の分析には、『公共性の構造転換』で展開された<政治的に機能する公共圏>の概念が役立つ
・「電子メディアが単純な相互行為の構造の変化に及ぼす影響を主題とした独創的な研究に注意を喚起して、この序言を閉じることにしよう。」(⇒テレビだけで無くSNSによる交信が極めて発達した現在において、この視点の研究はますます重要になるだろう)
・われわれの社会は、最も原始的な狩猟採取社会に似ている。つまり、分け隔てられた社会領域を維持することが困難であるために、社会の構成員の役割が分化されずに、誰もが自分以外の仕事にかかわってくるという意味においてである、
1989年の出来事はこれを確証した。テレビが、広場や街頭デモに参加している生身の大衆の姿の映像情報を、全世界へと拡散することではじめて革命的権力を発展させた
・電子技術の発達は、現代の生活世界の中に分化や構造化から逸脱する動きをもたらしているが、そのことはまた、公共圏が持つ民主主義にとってのポテンシャルがアンビヴァレントなものであることも表している
*公共圏は、マス・コミュニケーションの電子化によって、その下部構造(⇒主権者かつ公民である大衆)に選択の強制力の増大がもたらされるという脅威にさらされる
・「したがって、次のように言っておこう。もし今日もう一度公共圏の構造転換の研究に取りかかったとしても、それが民主主義理論にとってどのような結果をもたらすであろうか、私にはわからない。―――あるいはそれ(⇒研究)は、かつての最初の研究(1962年頃)と比べて、あれほど悲観的では無い評価を下し、反抗的な単なる要請に終わるのでは無い展望を示すきっかけとなるのかも知れない。」(⇒そういう希望の根拠は示されていないが)


「本書の中心的な問題提起は、こんにちでは《市民社会(Zivilgesellschaft)の再発見》という標題のもとに議論されている。高度に分化した生活世界やその反省のポテンシャルの《受容力》については、大まかな指摘では不十分である。そうした指摘は具体的なものでなければならないし、それも単に、社会化の規範や文化的伝承に関してだけ指摘しても始まらない。」




2019年2月10日日曜日

2月10日(日) 資本論 第2巻を一括して移設し、第3巻の一部をアップロード再開

 資本論 第2巻(資本の流通過程)を一括してへ移動し、第3巻(資本主義的精算の総過程)は篇毎に分けてアップロードを再開し始めた。掲載先は別ブログ「爺~じの”名著読解”」の方です。
⇒ https://gansekimind-dokkai.blogspot.com/2019/02/2.html

 第2巻の方は、概念の展開より数式化可能な理論の展開なので、箇条書き風にして一括しまとめることが出来たけど、第3巻の方は律儀なエンゲルスの性格もあると思うが、文章が捨てがたく重複している感じなので、短くまとめるのを断念した。一年近くも中断していて、ここいらで決断しないと一生終わらないことになりそうなので。
琵琶湖の夕日