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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2023年8月20日日曜日

岩波 日本通史 中世(1)(12~13世紀)石井進 読書感想文


12世紀始めは、日本列島の政治構造が大きく変換する画期をなしていた。律令国家が目指した法治主義と公地公民思想に基づく統治が、現実に即してその実態が

ジャスミーナ
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年ほどで崩壊した後も、その形態の上に天皇家と藤原家の血縁によって強固に結びついた権力構造の下、比較的安定した政治体制が続いていた。しかし、その間に蓄積された知識・財・諸力・諸矛盾は、時代の画期を創出せざるを得なかった。本書におけるキーワードを思いつくままに挙げてみると、上皇の院政、父系権力継承、氏から家へ、荘園公領制、寄進地型荘園、豪族と武士の台頭、経済を担う人々の参入、平家の盛衰、鎌倉幕府の創設、大寺社勢力、仏教と知の蓄積。

院政が中世を通しての朝廷最高政治権力となり、口分田など消滅して荘園公領制という奇妙な土地制度や、財を生み出す人々や彼等を現地で束ねる人々が歴史に登場してきた現実の底流の根幹には、「私」の力の勃興があるのではないだろうか。中世の定義は世界的に共通して、政治権力分散、土地支配の重層化、軍事専門家層の社会的優越、だそうなので、よく合致している。

都に住んで国の政治に参加してる人数はppmオーダーでしかなく、定員もあるだろうから、天皇家にしろ摂関家にしろ、沢山生まれる子どもたちの内でそのppmに入れない人たちはどうするのかという基本的疑問がある。彼等を「貴種」と呼び、その特性を想像すると、教育を受けて知識がある、栄養が良いから体力があるし見栄えもする、人々から崇められる(もしそうでないなら、秩序が崩壊している)、財がある、血統での繋がりがある。となれば、地方のリーダーとしての需要はあるし、彼等もそこで権力と財を手に入れられる。地方だって、古代よりそこで生業を立てている豪族、百姓たちがいる。だから皇族を始祖とする源氏や平家、天皇の外戚となり皇室と権力を分有した藤原氏、みな「家」としてグループ化した実力集団と存在していた。

上皇の寵愛がポイントとなる院の政治は当然不透明で正統性はなくなり、院内は外戚を含めて葛藤と矛盾のるつぼとなる。権力継承ルールが直系父子になったのは、公的観点(天智天皇の遺言「不改常典」)とは真逆な私的動機であり、さらに皇室が摂関家から権力を剥奪しようと試みたのだろう。結果は、武士政権である鎌倉幕府によって朝廷の権力が奪われることになるのだが、これが完全とはならず、現代まで継続している不思議は興味津々だ。

平家の盛衰は「平家物語」としてよく知られているように、ドラマチックなものだ。12世紀初頭に白河院の私兵、北面の武士、院の近臣として台頭してきた伊勢平氏が、半世紀後の清盛の時代に摂関家や政治権力としての源氏を凌駕するのみならず、天皇家の最高政治権力をクーデターで奪取したが、そのわずか20年後には鎌倉幕府によって滅亡した。やはりここで興味を引くのは、清盛のプランを想像することだろう。つまり、旧来の貴族政治ではない、内政だけではなく国際経済と結びついた新しい世界を、しかも、武力としての源氏内部の血生臭く乱暴な実力世界とは一線を引いた、日本の貴族精神文化も取り入れた世界を、構想していたように見えるからだ。

ところで、平氏が清盛の死後かくもあっさりと源氏に敗れたのは何故だろうか。「奢る平家は久しからず」という言葉は、慢心するなかれという戒めとして良く聞かれてきたが、歴史の教訓としては明らかにミスリードだろう。平治の乱で清盛に命を救われて伊豆に流された頼朝少年が、彼の地で文・武・色と三拍子揃ってスクスク育つものだろうか。さらに、バラバラな源氏をまとめて、諸側面で圧倒的優勢な平氏を打倒しようと思うものだろうか。しかも、平氏で北条家創始者の時政の娘・政子が頼朝に惚れて妻となり、やがて北条氏が幕府の権力を掌握して朝廷を凌駕していくのだが、これは偶然か必然か。


2023年7月29日土曜日

東洋経済より出版された平田竹男さんの「世界資源エネルギー入門」

希望
 副題は「主要国の基本戦略と未来地図」。

この半世紀の間、世界資源エネルギー問題がどのように変わったのかを見てみようと読んでみた。注目点は主に二点、一点はエネルギー構成の変化、もう一つは地政学的視点からの変化。本書も著者も私は知らなかったが、東洋経済オンライン記事に載っていたので買ってみた。なお本書は、著者が早大で行った講義に基づいた記述とのこと。

エネルギー構成の変化が産業の拡大に重大な影響を持つだろうこと(どちらが原因かは興味があるが)、また、地政学的には国力の最も重要な源泉が人口と資源エネルギーであること、それらはいずれも50年前と同じだ。だが、その内容はかなり違っている。その間に現実に生じた大きな変化は、GX(green transformation)の必要性が広く認識されてくるような状況と、意識の上ではその真逆にみえる、近代の劣化という状況、に見てとることが出来そうである。以下、この半世紀間の変化について、本書の記述から幾つか記憶に残ったところを想い起こしてみた。

  • 世界全体のエネルギー構成は、減少気味ではあるが相変わらず化石燃料が中心で、原子力は想定されていたよりも伸び悩み、再生可能エネルギー(要するに太陽エネルギーの循環に人間社会が乗ること)が思いの外増加してきている。
  • 化石燃料供給力のトップはロシアであり、二番手は米国である。この二国がダントツで、石油の上に浮いていると言われていた中東ではない。欧州の北海を含めてその他いろいろな地域から海上油田・ガス田を含めてoil&gasが採取されている。米国が自給のみならず輸出するほどダントツなのは、堆積岩層内のoil&gasを採取可能にした技術による。探査・掘削・採取等の技術がそれらの化石燃料のコストを下げた分だけ、供給可能になるという現実は変わらず、近代が劣化しようとしまいとこれからも変わらないだろう。つまり、そのコストは誰がどこでいつどうやって決めるのか、が核心だ。
  • 需要のダントツは中国で、二番手は米国である。人口や工業化の観点で見れば中国の状況が予測通りであるほか、今後インド、ASEAN、や最近の言葉で言えばグローバルサウスの国々の需要増は明らかだろう。国際協調の枠組みが化石燃料の採取の制限を可能にしない限り、GXなどは絵に描いた餅だということは本書のデータから容易に予測できる。
  • 地政学の問題は三つのE(Energy security,Enviroment,Economic efficienncy)の視点で考えると良いと著者は指摘しているのはもっともだが、同時に、具体的な国家戦略における優先順は国家の都合により異なり、かつ三つのEは相互に関係しているとも指摘してる。では、日本国はどうするのか、について考えるネタを本書から読み取るなら、それはGXだろう。
  • ヨーロッパの人々はロシアの天然ガスパイプラインによって今まで生活が出来ていたが、ロシアのウクライナ侵攻によって突然先が見えなくなってきた。ロシアの天然ガスの恩恵を最も受けてきたドイツはたちまち脱原発政策の変更を余儀なくされている。フランスは原発が電力供給の中心であることは変わらない。イギリスはロシア産天然ガスの依存度が低く、エネルギーの自給率も高いので当面(数十年か)は大丈夫だろう。
  • 原発については、現時点では米国、フランスについで中国が三番目に多い。建設中は中国がダントツに多い。米国のスリーマイル、ソ連のチェルノブイリ、そしてそれらに続いて起こった日本の福島の事故は決定的な影響を世界に、特に欧州においてもたらしたのは周知の事実だが、欧州においてはロシアのウクライナ侵攻を受けて、地政学的視点から、新たな現実が生じつつある。新型炉開発は、中国、インド、ロシアが世界をリードしている。
  • 再生可能エネルギーが思いの外増加しているのは、GXの流れの一環だが、注目すべきは、再生可能エネルギーの製造設備を担っている中心は中国企業であることだ。これは今後のエネルギー需要の伸張地域としてだけでなく、地政学的見地からも興味あることだろう。
  • 最後に、本書のデータから、再生可能エネルギー(要するに太陽エネルギーの循環に人間社会が乗ること)が持続的可能エネルギーとして可能になる条件は、人類の知識を利用しつつ、対立ではなく共感へ、人類の驕り高ぶった意識をより謙虚な意識へ、と向かうように配慮し続けるほかはない、というのが私の感じ。現代は、科学の合理性の価値に気付かざるを得ない機会が与えられた画期であった、と後世の歴史家に認められるようになったらいいね。






2023年6月2日金曜日

『日本が自滅する日(石井紘基)2002年1月23日』

ツル・ヘルツアス
 本書は、前回のブログで紹介した元衆院議員・元明石市長の泉氏が尊敬していたと書いてあった元衆議院議員で財政学者でもあるそうな石井紘基氏の著作だから読んでみた。1940年生まれの石井議員は在任中の2002年10月25日何ものかに殺害された。

本書の趣旨・目的は、以下に引用した著者のあとがき書かれている。「私が本書を著したのは21世紀日本の市場経済革命に捧げるためである」。また、本書の目的は「日本にはベルリンの壁(官制経済体制)がある。その見えない向こう側に「ほんとうの日本」がある。ベルリンの壁を取り払い、再び明るい陽光を浴びる日本を取り戻すために「ほんとうの日本」の一端を解明するのが本書の目的である」。

第四章には「構造改革のための25のプログラム」も呈示しているが、そこに一貫しているのは、「官制経済体制」化した日本の構造を民の力による「市場経済体制」に変革することである。詳細を知りたければ自分で読んでね(因みに通読しただけなので評価できず)。若い頃にソ連に留学しており(1965-1971年)、鉄のカーテンの向こう側からの経験がベースになって、ソ連の崩壊も予測したようだ。その崩壊したソ連と現在の日本の官制経済体制の類似性を指摘している点は原理的には一理あるとしてもかなり飛躍的(このままでは日本はソ連みたいに自滅するから、そのことを自覚して経済体制の革命的変革をすべしと)。

『社会の変え方(泉房穂著2023/1/31)』

音楽と森の美術館の薔薇

 kindleなど電子書籍で直ぐに手元で本が読めるようになってから、かなりの本が「積ん読」(とは言えないので、「ほっどく」かな)状態で溜まっている。そこで読書態度を従来の「精読風」から「乱読風」に改め、且つブログに短時間で掲載することを試みてみようと思う(読書日誌なので)。

本書を買ったのは、今流行りの「少子化問題」についてネットサーフィンしていたときに、著者の泉氏の少し変わった政治家経歴を偶然ネットで知ったから、つまり政治家(衆議院議員一期を経て明石市長12年)として良いと、かつ出来ると判断したことは断固やり遂げるという姿勢に興味を持ったからであるが、その内容は一言でいえば、「政治に失望し、社会は変えられないと思うことはない、自分は実際やって来た」というものだ。

本書の最後の著者紹介文に掲載されていた明石市長時代の実績は、「5つの無料化」に代表される子供施策のほか、高齢、障害者福祉などに力を入れて取り組み、市の人口、出生数、税収、基金、地域経済などの好循環を実現し、その結果、人口は10年連続増を達成した、そうだ。


2023年5月24日水曜日

『純粋理性批判』(岩波文庫) 昔の読書ノート

希望
 日記ですが、昔の読書ノートを見つけたので、別のブログ爺~じの哲学系名著読解: カント『純粋理性批判』目次~緒言 (gansekimind-dokkai.blogspot.com)に掲載した。

哲学の古典を原典(訳文だが)で読むことを始めて3~4年後に書いてみた文章。原典に忠実であろうと意図したことは伝わるが、一読しただけではなにを言っているのかよく分からない(書いた本人が言うのもナンだが)。

他にも断片が結構あるが、ある程度纏まったものはすくなそうだが、クラウドに掲載しておけば紛失しなそうだから、気が向いたらまた掲載してみよっと。

2023年4月15日土曜日

丸山眞男『政治の世界 他十編』(岩波文庫)

ピースの蕾
  コロナ禍で中断していた仲間の読書会の課題図書だったが、最後の会が中止となってしまい今度再開することにしたので改めて読んでみた。

 戦後、社会科学研究の束縛が解き放たれて時が経たない頃の論文が収録されているので、先ずは、「日本の政治学の不妊性」の反省と言う視点が印象的だった。「不妊症」の原因は、明治政府の自由民権運動弾圧にあり、これは西洋市民社会が経験した凄まじき政治の歴史を知ればナルホドと納得性がある、と。最初に記載されある論文は「政治の科学」で、課題解決には原因の認識が基本だから政治も科学として学ばねばならないということなのだろう。

 「政治の世界」という論文では、政治とはどのようなものかという解説がなされている。政治とは、紛争(C)という問題が発生した場合にそれを解決する(S)ために人間集団を現実に動かすことである。従って、幅広い視線と権力(P)が必要であり、政治状況を表す基本図式はC---Sと言う基本にPが媒介したC--P--S、である。が、現実にはP--C--S--P'(P<P')、という図式になっている。つまり、PとCが逆転し、PからはじまりP'にすすむ権力の拡大再生産になっている。なるほど、資本主義における資本の拡大再生産の無限循環に似ているから、放っておくと破綻するというイメージが良く伝わっているなと思う。これを回避する道は、近代市民による政治参加の身近な実践だという指摘は実に真っ当だと思った。


2023年2月20日月曜日

『浸食される 民主主義 上』(ラリー・ダイアモンド著 2019年)

 出版社は勁草書房、kindle版で通読した。

ヒヤシンス
 著者は1951年生まれのアメリカのスタンフォード大学の政治学の教授。本の題目から伺えるような事柄が、データに基づいて詳しく論じられている。

 言わんとしているところは、民主主義を浸食している大国はロシアと中国で、途上国で民主主義国として新たに参加してくる国の割合は減少傾向にあり、特にここ数年は逆に専制国家へと退行している国家、例えばハンガリー、トルコ等が増加している、という時代の流れに警鐘を鳴らすところ。この部分についての大まかなところは特に新しい情報ではない。

 詳しく論じられている個々の部分については、そのデータの出所についての知識が私にはないので、読み飛ばすほかはないが、一点面白かったところがあった。それは、トランプ元大統領に対する強烈な批判と、そのような人が、予想(著者を含めて恐らく沢山のデータ駆使して予想したであろうに)に反して大統領に選出されてしまった事実、及び自国に対する強烈な失望表明だった。ホントに驚きだよね、民主主義の危機はむしろアメリカに迫っているとは。