自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年6月21日水曜日

6月21日(水) 『漂海民』羽原又吉著 漂流民ではなくて漂海民です

 漂流民、という言葉は知っていたけど、有名なところでは中浜万次郎とか、漂海民というのはそれとは違う。陸より海に住みつつ海を生業として暮らしていた人々のことらしい。
 著者は「日本漁業経済史」を専門とする方で、『漂海民』は1963年に岩波新書で出版され、その後アンコール復刊版を2014年に読んだ。動機は、国とは何であろうか、という素朴な疑問の答え探し、というと大袈裟だが、そういうこと。

 感想を一言で言えば、人々の生業があって、それから国家があるということを思い出させてくれる本、ということになろう。
 暮らしていけるなら、陸でなくて海でも良い、これは当たり前なのかもしれない。古来、海を住居として一生を暮らす人々が居たらしい。もちろん陸にあがって物資を調達したりいろんな用を足すとしても。
 文献にでてくるのは中世頃らしく、中国大陸沿岸部、日本列島などアジア各地での存在が記録されているとのこと。日本においても最近までそのような生活形態をとって生業を立て暮らしていた人々が居た。一般にマイノリティーがそうであるように、彼らも差別の対象であった。
 彼ら漂海民には多くの謎があるが、何か現代において忘れられている、生きることに関わる大切な価値を継承してきた人々なのかもしれない。それは、海という圧倒的な自然によって生かされているという意識、陸上の農耕・牧畜のように人為的に食べ物を生産したり、また富を蓄えようとも思わない意識、行き場がなくなれば未知の世界に漕ぎ出す他はない、というのかそれができる、という意識、そのような意識がつくり出す価値かもしれない。


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