私は、『はじめての現象学』(海鳥社1993年)だと今でも思っている。最初に読んだのは1996年で50才くらいの頃だったが、衝撃的であったことを覚えている。何が衝撃的かと言えば、読んでみて深く納得できた気持ちになれたはじめての哲学の本だったからだ。納得というのは、哲学の意味と価値が分かったように思えたことについてであった。つまり難解な古典や小難しい現代哲学の理解など、哲学に対する通俗的理解が進んだというのではなく、われわれにとってもっと本質的なこと、つまり哲学とは、自分や他人が抱えている問いや謎を解く普遍的(誰でも納得可能)な原理、あるいはもっと簡単にツールなのではないかと気づかされたのである。
同じ著者による『現象学入門』竹田青嗣 (NHKブックス1989年)は少し専門的ではあるが、そうであるがゆえに同様な意味において更に衝撃的な本であった。読んだのは、2003年頃であるが、以降フッサールやハイデガーをはじめとする現象学からポストモダンにいたる本を読むたびに欠かせない参考書として何度も読み返すことになった。
ここで、2003年頃に行われた竹田青嗣先生(及び西研先生)の社会人向け哲学連続講座のノートメモから、現象学とは何かについて竹田先生が説明した記述を以下に抜粋してみた。
現象学は近代の認識問題を解く可能性を秘めた哲学思想・手法で、自然科学認識から個人の心の認識、社会の共通認識等を通して今後その有用性が期待される。人々が互いに信じるものが異なったときにこれを克服する手段はあるか?という問いに対して、カント、ヘーゲル、ニーチエ、は答えていないがフッサールは答えようとして現象学のプランを立てた。それは、人は各々の経験に基づいた「確信」を持ちその「確信」が成立する条件が存在しその条件を追い詰めていくと普遍的構造があると考えこれを解明すること、である。