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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年7月29日土曜日

7月29日(土) 杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日経文庫2003年)


遊牧民の歴史は、歴史ロマンの一つだ。もし、著者の説が正しければ世界史の理解を変えさせることになる。著者の説は、もちろん推定の域を出ない部分も多いものの、最近の発見を含む、多国に亙る文献や考古学遺跡等の学術的な根拠によるものだ。

人類の文明は所謂四大文明発祥の地から始まり古代、中世から最終的には西欧のルネッサンスや大航海時代を経て今日の先進文明社会が形成されたというのが常識的理解であった。しかし、その歴史の重要な変化の時期になると北や東の野蛮な地帯からいつも出てくるめっぽう強い不思議な遊牧民たちの集団については深い説明を聞いたことが無かった。彼らは、紀元前千年ころから二千五百年間程に亙りスキタイ、フン、匈奴、鮮卑、エフタル、キタイ、ウイグル、突厥、等々、実に様々な名前で文明国と称する側の記録に残されている。そして最後の仕上げに登場するのはその野蛮さで西欧に有名な蒙古である。

実は彼らは非文明人どころか、一続きのアフロユーラシア大陸という巨大で豊穣な乾燥草地において、強力な軍事力はもちろん、高い文明と経済力を持った国家群の連鎖の担い手であったという。中国の王朝史観や西洋文明偏重史観は今日の歴史観を誤らせているとも指摘している。例を挙げれば、中国の諸王朝の中で漢族の国は漢、宋、明だけだ。

蒙古は民族名ではなく一つの共通な価値観を持った人間集団としての国家名であり軍事以上に自由な経済を重視した合理的な文明国家であり、近代以前の世界秩序の枠組みを形成した陸海帝国であり、残虐な野蛮人集団ではまったくないという。

彼ら遊牧民は自分達の文字を持っていなかったようだが、そもそも文字を統治に用いる中央集権の官僚国家的文化に価値を置かない人々であったとすれば、それが無くても不思議ではない。あるいはまた、後の国家の官僚達が、被征服民時代に残された都合の悪い文書はみんな捨ててしまったのかもしれない。

 冷戦終結による東側陣営の崩壊により、約100年ほど遡って歴史調査が開始されているようなので、もしかするとユーラシア大陸の砂漠や大草原からロゼッタストーンのような大発見があるかもしれない。なにしろ、チンギスハーンのお墓さえまだ見つからないのだから。

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