本書は、250年以上も前に著され、現代にもなお大きな影響を与えている「法」についての古典だが、文庫で3冊もあってかなり長いし、書かれていることの意味がよくわかるためには、それなりの知識、特に歴史の教養が必要とされるであろうが、「法」とは何だろうという素朴な疑問を持ち続けながら退屈なところは飛ばして読みさえすれば面白く読めると思う。
何処が面白かったかと言えば、私にとっては、「法」を歴史的現象としての政体や社会の観察に基づいて考察している、というその視点にあった。その概要は大体下記のようなものである。
構成は、三つの政体、すなわち共和政体、君主政体、専制政体(共和政体は貴族政体と民主政体に分かれる)と法の関係を主として扱った第1部と、国防や貢租と法の関係及び三権分立論を扱った第2部からなっている。専制政体、君主制体、共和政体を動かしている原理は、各々、恐怖、名誉、政治的徳であり、法は君主制以降で必要になって来て、民主制に至る順番で重要度が増してくる。つまり法は専制政体ではあまり必要ではなく(親分がルールはオレだといえばそれでOK)、また、時代の進歩と共に次第に重要になってくるのだ。当たり前と言ってしまえばここで学習停止となる。
教科書などで本書の紹介として、多分今でもそうだと思うが、良く言われている三権(別に三権でなくても良いけど)分立については、一言で言えば次のようになる。その思想の目的は公民の政治的自由の獲得であり、方法は立法・行政・司法が国の組織として独立した権力を持つことである。その内容をもう少し理解するためには、例えばこの文章に出て来るコトバ、つまりモンテスキューが言っている、公民、政治的自由、権力、国、立法・行政・司法が当時意味した内容を理解していなくても、つまりそれらのコトバが現代と同じと捉えても、言いたいことは大体分かる。
以上のような著者の考えは、フランスを始め当時得られた世界各地の政治・社会情勢や歴史(主にギリシャとローマ。一部ペルシャ・中国等アジアを含む)を、そこに存在した政体ごとに特徴付けられる法との関係において考察することで創られている。因みに日本についての記述もちょっと出ているが、ご愛敬。著者が何故そう考えたかを理解するには、当時の西欧社会だけではなく、ギリシャ・ローマの長い歴史・思想・哲学を学ぶ必要があるのだろう。また、当時のフランスは君主制であり、著者の発言は当時必要とされたであろう護身の程度に制限されている点の配慮も必要であろう。
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