自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年1月16日火曜日

1月16日(火) 政治思想・哲学のこと

 政治思想・哲学についてもう少しまともに考えてみたいと思うようになって数年経つ。近代のそれについては、とりあえず考えるための基礎となる古典(ホッブズからマルクスまで)は一応読んであるが、現代の政治思想についてはロールズが良さそうだと友人が言うのでそれを読んでみようと思っている。多分一年くらいはかかるだろう。
 そんなことを考えながら以前読んだ本のメモを見てたら、福田歓一先生の近代の政治思想』(岩波新書)の読書メモがあった。結構真面目に書いていて、30ページくらいあった。で、これは別ブログ爺~じの「本の要約・メモ」に掲載した。

2018年1月15日月曜日

1月14日(日) 再び縄文人恐るべし『タネをまく縄文人』(吉川弘文館2016年)

ハマナシ
著者は小畑弘己さん、1959年生まれの熊本大学の先生。考古学の分野は新しい知見がどんどん出てくるから、時々最新の著作を覗いてみることにしている。なにしろ、縄文時代と日本人が名づけている時代はざっと1万年前くらいから、弥生時代はB.C.1000年くらい前から始まっていたというのが21世紀の常識となっているらしい。それらはひとえに化学分析方法の進歩によるもので、本書も副題は「最新科学が覆す農耕の起源」となっている。

 栽培植物の起源を素人にも分かるように書いてくれた本では、1966年の岩波新書『栽培植物と農耕の起源』(中尾佐助著)を思い出すが、そこには確か、バナナは最古の栽培植物で、一説によると10,000年前から栽培されたものであり、サトウキビやタロイモも古い栽培植物であったが、米や麦はこれらより新しい栽培植物であった、とか書いてあったように思う。生憎探したが手元になかったから、どうしてそれらが栽培植物であったのかと言える証拠は不明。多分直接の証拠はないと思う。小畑さんも本書で、縄文人が米や麦を栽培していたという説は、その米や麦をAMS法(加速度質量分析法)で直接測定したら、大部分が後年の混入物であったことが判明したので、とりあえず否定されているとのこと。
 
 本書の目玉は、ダイスや小豆は日本列島で7000千年前から栽培されていて、しかも、この文化は東から西に伝わった、とか、当時のコクゾウムシの直接観察もそれを裏付けているという話だ。どうしてそう言えるかというと、圧痕法という方法がSEM(走査型電子顕微鏡)やCT(人間ドックで使うやつ)の進歩によって有効になってきたかららしい。圧痕とは、土器を作るときに、まだ固まらないうちに土器の外側の底などに紛れ込んだものの鋳型で、これをもとに元のダイズや小豆、コクゾウムシを復元する技術が開発されて、大きさが明確に測定できるかららしい。

 縄文人とくれば、毛皮を着た髭ずらで獰猛な男たち、なぜか女のイメージは湧かないが、なにしろ野蛮人というイメージだが、これは人間が先入観に支配されやすいことと、近世の進歩史観のなせるわざであって、文化の歴史、つまり生きている価値を大切に思う暮らし振りの歴史という視点から見れば、縄文人がまた見直された。

2018年1月8日月曜日

1月8日(月) ヘロドトス『歴史』

1月に咲いたバラ
十四・五年ほど前のことだが、2001年にイスラム過激派に破壊されたアフガニスタンのバーミアン石仏・大仏修復の責任者も当時されていた前田耕作先生が、東京の朝日カルチャーセンターで、ヘロドトスの『歴史』を読む講座を開催されていて、その講座を2年間ほど受講していたことがある。岩波文庫3冊分に沿って本を読みながら、その都度配布される関連史料を使いながらの、とてもていねいな講義であったことを覚えている。その史料はファイル2冊分に及ぶ。

実際本書は、それだけ貴重な人類の文化遺産なのである。著者(ヘロドトス)の行動力や博識もさることながら、人間の理性に信頼を置いたその合理的態度にはひたすら感服するのみで、学の精神とはそのようなものだろうと、前田先生の本書に対する名講義とともに、そのことだけは良く覚えている。

紀元前五世紀頃に著されたこの本は、次のような感動的な文章で始まる。『本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシャ人や異邦人(バルバロイ)の果たした偉大な驚嘆すべき事跡の数々---とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情---も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自らの調査したところを述べたものである』


ここには、過去や現在の本当のことが後世に知られなくなる事を恐れて、それを調べて、記述して残すという思想が明確に表現されいる。また、実際そのことが当時において可能な限り実行されている。これは実に驚くべき人間の知性だと思う。

上巻は、著者の時代より100年以上遡った頃からの史実や古くからの伝承や他者からの伝聞などを区別した上で、ギリシャ地域、リディアから始まりペルシャに至るまでの地域、エジプトなどの先進地域、更にアフリカやインドやコーカサス以遠にまで言及しながら、ペルシャ戦争に至るまでのいきさつが書かれている。

物語として通読しても面白いと思うが、そこに語られている個別の出来事も、当時の人の考え方も、ヘロドトスの意見も、歴史の教養が深まればそれだけまた面白くなるのだろう。しかし、それはまた果てしない旅路でもある。



2018年1月4日木曜日

1月4日(木) 津田左右吉『シナ思想と日本』岩波新書1938


秋明菊
14年ほど前に本書を読んだ時の好印象は覚えていたが、内容は殆ど忘れていた。今回本書の読書メモ再読してみて、一部追加訂正し感想文として残しておくことにした。

この本は二つの論(前編「日本はシナ思想を如何にうけ入れたか」、後編「東洋文化とは何か」)を一つの新書にしてある。始めのものは1933年(津田先生60歳)、後のものは1936年の作品に基づいているが、何れも津田先生晩年のものだ。

日本は歴史上(大略2000年ほど前から1000年間ほど)当時の先進文化圏であった中国から多くの文物を移入してきた。だから日本はシナ(中国)と同一文化圏であると漠然と思いがちだがそれは浅慮であて、津田先生は以下のように述べている。

文化・思想はそこに住む人々の生活に密着したものであり、時の先進文化圏から文物を移入したからその文化圏に従属するものではない。日本の知識人たちは自らの思想を自らの言語で深めることなく、儒教等のシナ思想に根拠を求めたから、シナ思想に幻想を抱かせることになった。元来シナ思想は政治上の利便的思想であり、漢文は思想の表現ではなく統治の手段であり、ために文学は発展せず、哲学も宗教も深まらなかった。隣国日中両国の協力関係構築は非常に大切なことである。それゆえ尚更日本の過去の文化とシナのそれとは同じ東洋文化であるという間違った認識は修正しなければならない。

後編の終わりに書かれてある次の文章は心に重く響くものであった。「シナもインドも長い歴史を経過しては来たが、実は時間が長いのみで歴史は短いといってもよい。そこには西洋における如き中世史も近世史も無く、現代史は固より展開されず、畢竟、上代史の延長があるのみである。」
 本書が著された時代は、日本のナショナリズムが隆盛であった。そのことが本書の歴史観に反映されているとしたら、どのようなところなのだろうか。80年ほど経過した今日、津田先生の歴史観の普遍的部分とそうではない部分を区分して認識すると、どうなるのだろうか?問いとして持ち続けたい。

2018年1月2日火曜日

1月2日(火) 本年の初めは『プロ倫』です


 マルクスの資本論を四月頃には全巻読破する予定なのだが、関連して、つまり資本主義というものを40年ほど後に取り上げているという単純な意味で、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1906年)の箇条書きメモを再読してみた。確かに同じ資本主義ということばを使ってもそのの捉え方が違うぞ。その違いをいつか記述してみたいが今は置いておく。

 ところでA4で10枚ほどの要約だから短いのは良いのだけど、内容はといえばとても誉められたものではない。といっても、恥を忍んで掲載しておく方がしないよりましだと思い、少し補足・修正して別のブログ爺~じの「本の要約・メモ」に掲載した。

 「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」というものがあって、この二つが関係しているということが書かれているのだが、どんな関係があるのだろう?つまり、カルヴァニズムというキリスト教プロテスタントの一派を特徴的づける教義の「予定説」(恩恵による選びの教説)を基にした生き方が「倫理」の方で、神が与えた「天職」に勤しむことが「精神」の方で、そこには関係があると。でも、この二つに関係があると信じることが出来るのはなぜだろう?という肝心なところは今一つ理解できていない。象徴的に言えば「働かざる者食うべからず」ということかも。これは間違いではないけど、これでおしまい、ではないでしょう。

 しかし、つぎのくだりなどは、もう少しマックス・ヴェーバーの社会学を理解したいと思わすのに充分であると思います。
「・・・不断の労働をともなう事業が「生活に不可欠なもの」となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆ではない、というその生活態度が、個人の幸福の立場から見ると全く非合理的だと言うことを明白に物語っている。」