秋明菊 |
14年ほど前に本書を読んだ時の好印象は覚えていたが、内容は殆ど忘れていた。今回本書の読書メモ再読してみて、一部追加訂正し感想文として残しておくことにした。
この本は二つの論(前編「日本はシナ思想を如何にうけ入れたか」、後編「東洋文化とは何か」)を一つの新書にしてある。始めのものは1933年(津田先生60歳)、後のものは1936年の作品に基づいているが、何れも津田先生晩年のものだ。
日本は歴史上(大略2000年ほど前から1000年間ほど)当時の先進文化圏であった中国から多くの文物を移入してきた。だから日本はシナ(中国)と同一文化圏であると漠然と思いがちだがそれは浅慮であて、津田先生は以下のように述べている。
文化・思想はそこに住む人々の生活に密着したものであり、時の先進文化圏から文物を移入したからその文化圏に従属するものではない。日本の知識人たちは自らの思想を自らの言語で深めることなく、儒教等のシナ思想に根拠を求めたから、シナ思想に幻想を抱かせることになった。元来シナ思想は政治上の利便的思想であり、漢文は思想の表現ではなく統治の手段であり、ために文学は発展せず、哲学も宗教も深まらなかった。隣国日中両国の協力関係構築は非常に大切なことである。それゆえ尚更日本の過去の文化とシナのそれとは同じ東洋文化であるという間違った認識は修正しなければならない。
後編の終わりに書かれてある次の文章は心に重く響くものであった。「シナもインドも長い歴史を経過しては来たが、実は時間が長いのみで歴史は短いといってもよい。そこには西洋における如き中世史も近世史も無く、現代史は固より展開されず、畢竟、上代史の延長があるのみである。」
本書が著された時代は、日本のナショナリズムが隆盛であった。そのことが本書の歴史観に反映されているとしたら、どのようなところなのだろうか。80年ほど経過した今日、津田先生の歴史観の普遍的部分とそうではない部分を区分して認識すると、どうなるのだろうか?問いとして持ち続けたい。
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