自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年1月15日月曜日

1月14日(日) 再び縄文人恐るべし『タネをまく縄文人』(吉川弘文館2016年)

ハマナシ
著者は小畑弘己さん、1959年生まれの熊本大学の先生。考古学の分野は新しい知見がどんどん出てくるから、時々最新の著作を覗いてみることにしている。なにしろ、縄文時代と日本人が名づけている時代はざっと1万年前くらいから、弥生時代はB.C.1000年くらい前から始まっていたというのが21世紀の常識となっているらしい。それらはひとえに化学分析方法の進歩によるもので、本書も副題は「最新科学が覆す農耕の起源」となっている。

 栽培植物の起源を素人にも分かるように書いてくれた本では、1966年の岩波新書『栽培植物と農耕の起源』(中尾佐助著)を思い出すが、そこには確か、バナナは最古の栽培植物で、一説によると10,000年前から栽培されたものであり、サトウキビやタロイモも古い栽培植物であったが、米や麦はこれらより新しい栽培植物であった、とか書いてあったように思う。生憎探したが手元になかったから、どうしてそれらが栽培植物であったのかと言える証拠は不明。多分直接の証拠はないと思う。小畑さんも本書で、縄文人が米や麦を栽培していたという説は、その米や麦をAMS法(加速度質量分析法)で直接測定したら、大部分が後年の混入物であったことが判明したので、とりあえず否定されているとのこと。
 
 本書の目玉は、ダイスや小豆は日本列島で7000千年前から栽培されていて、しかも、この文化は東から西に伝わった、とか、当時のコクゾウムシの直接観察もそれを裏付けているという話だ。どうしてそう言えるかというと、圧痕法という方法がSEM(走査型電子顕微鏡)やCT(人間ドックで使うやつ)の進歩によって有効になってきたかららしい。圧痕とは、土器を作るときに、まだ固まらないうちに土器の外側の底などに紛れ込んだものの鋳型で、これをもとに元のダイズや小豆、コクゾウムシを復元する技術が開発されて、大きさが明確に測定できるかららしい。

 縄文人とくれば、毛皮を着た髭ずらで獰猛な男たち、なぜか女のイメージは湧かないが、なにしろ野蛮人というイメージだが、これは人間が先入観に支配されやすいことと、近世の進歩史観のなせるわざであって、文化の歴史、つまり生きている価値を大切に思う暮らし振りの歴史という視点から見れば、縄文人がまた見直された。

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