自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年1月8日月曜日

1月8日(月) ヘロドトス『歴史』

1月に咲いたバラ
十四・五年ほど前のことだが、2001年にイスラム過激派に破壊されたアフガニスタンのバーミアン石仏・大仏修復の責任者も当時されていた前田耕作先生が、東京の朝日カルチャーセンターで、ヘロドトスの『歴史』を読む講座を開催されていて、その講座を2年間ほど受講していたことがある。岩波文庫3冊分に沿って本を読みながら、その都度配布される関連史料を使いながらの、とてもていねいな講義であったことを覚えている。その史料はファイル2冊分に及ぶ。

実際本書は、それだけ貴重な人類の文化遺産なのである。著者(ヘロドトス)の行動力や博識もさることながら、人間の理性に信頼を置いたその合理的態度にはひたすら感服するのみで、学の精神とはそのようなものだろうと、前田先生の本書に対する名講義とともに、そのことだけは良く覚えている。

紀元前五世紀頃に著されたこの本は、次のような感動的な文章で始まる。『本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシャ人や異邦人(バルバロイ)の果たした偉大な驚嘆すべき事跡の数々---とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情---も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自らの調査したところを述べたものである』


ここには、過去や現在の本当のことが後世に知られなくなる事を恐れて、それを調べて、記述して残すという思想が明確に表現されいる。また、実際そのことが当時において可能な限り実行されている。これは実に驚くべき人間の知性だと思う。

上巻は、著者の時代より100年以上遡った頃からの史実や古くからの伝承や他者からの伝聞などを区別した上で、ギリシャ地域、リディアから始まりペルシャに至るまでの地域、エジプトなどの先進地域、更にアフリカやインドやコーカサス以遠にまで言及しながら、ペルシャ戦争に至るまでのいきさつが書かれている。

物語として通読しても面白いと思うが、そこに語られている個別の出来事も、当時の人の考え方も、ヘロドトスの意見も、歴史の教養が深まればそれだけまた面白くなるのだろう。しかし、それはまた果てしない旅路でもある。



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