マルクスの資本論を四月頃には全巻読破する予定なのだが、関連して、つまり資本主義というものを40年ほど後に取り上げているという単純な意味で、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1906年)の箇条書きメモを再読してみた。確かに同じ資本主義ということばを使ってもそのの捉え方が違うぞ。その違いをいつか記述してみたいが今は置いておく。
ところでA4で10枚ほどの要約だから短いのは良いのだけど、内容はといえばとても誉められたものではない。といっても、恥を忍んで掲載しておく方がしないよりましだと思い、少し補足・修正して別のブログ爺~じの「本の要約・メモ」に掲載した。
「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」というものがあって、この二つが関係しているということが書かれているのだが、どんな関係があるのだろう?つまり、カルヴァニズムというキリスト教プロテスタントの一派を特徴的づける教義の「予定説」(恩恵による選びの教説)を基にした生き方が「倫理」の方で、神が与えた「天職」に勤しむことが「精神」の方で、そこには関係があると。でも、この二つに関係があると信じることが出来るのはなぜだろう?という肝心なところは今一つ理解できていない。象徴的に言えば「働かざる者食うべからず」ということかも。これは間違いではないけど、これでおしまい、ではないでしょう。
しかし、つぎのくだりなどは、もう少しマックス・ヴェーバーの社会学を理解したいと思わすのに充分であると思います。
「・・・不断の労働をともなう事業が「生活に不可欠なもの」となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆ではない、というその生活態度が、個人の幸福の立場から見ると全く非合理的だと言うことを明白に物語っている。」
ところでA4で10枚ほどの要約だから短いのは良いのだけど、内容はといえばとても誉められたものではない。といっても、恥を忍んで掲載しておく方がしないよりましだと思い、少し補足・修正して別のブログ爺~じの「本の要約・メモ」に掲載した。
「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」というものがあって、この二つが関係しているということが書かれているのだが、どんな関係があるのだろう?つまり、カルヴァニズムというキリスト教プロテスタントの一派を特徴的づける教義の「予定説」(恩恵による選びの教説)を基にした生き方が「倫理」の方で、神が与えた「天職」に勤しむことが「精神」の方で、そこには関係があると。でも、この二つに関係があると信じることが出来るのはなぜだろう?という肝心なところは今一つ理解できていない。象徴的に言えば「働かざる者食うべからず」ということかも。これは間違いではないけど、これでおしまい、ではないでしょう。
しかし、つぎのくだりなどは、もう少しマックス・ヴェーバーの社会学を理解したいと思わすのに充分であると思います。
「・・・不断の労働をともなう事業が「生活に不可欠なもの」となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆ではない、というその生活態度が、個人の幸福の立場から見ると全く非合理的だと言うことを明白に物語っている。」
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