自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年6月10日日曜日

6月10日(日) カント『純粋理性批判』を原佑・渡辺二郎訳で読み始めた

ブブ18歳
2004年4月から2005年1月にかけて、竹田青嗣先生の哲学講座では岩波文庫(篠田英雄訳)で精読したことがある。その後2008年頃にかけて断続的に読んでいたが、10年ぶりに今度は平凡社ライブラリー版(原佑・渡辺二郎訳)でボチボチと読んでいこうと思っている。
 『純粋理性批判』は第一版が1781年、第二版が1787年で、後世に編集された三つの版(1911年のAk版、1926年のPh版、1922年のCa版)があるそうだ。岩波文庫はCa版、平凡社ライブラリーはPh版を、ともに第二版を中心に翻訳されたそうだ。今日は目次だけ見てみたが、確かに章立てや、訳語もだいぶ違うようだが、これからそれを味わっていくのも楽しみの一つかも知れない。読んだところの適当な区切りで、カントはこう言っているに違いないと私が理解したことを短く記述していくつもりだ。従って、余計な世話ではあるがコピペしてレポートを作成する学生がいたら、結果は裏切られること請けあいなのでご注意を。いつできるか分からないが、完成したらまとめて別ブログに掲載する予定。


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