自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年6月4日月曜日

6月4日(月) ニーチェ『道徳の系譜』③第一論文の七~九

今日は、第一論文 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」の七~九。お出かけの前に準備していた分を書いてしまおう。
ヒストリー



ニーチェ 道徳の系譜(1887)
(ちくま学芸文庫版。新太正三訳)

「 」内は本文引用。( )内は私の補足。★印は私の一言


★貴族的階級が僧侶的階級にその支配力を奪われることになったのは、無力な者が強い者に勝利する方法、つまり<よい>者が<わるい>者となり、<わるい>者が<よい>者となる、という精神的な価値の転倒による復讐という方法によっているのだ、というのがニーチェの見立て。ユダヤ民族はその事例として挙げられている。人間の歴史をこのように直視することによって、人間の生の力の源を探ろうとしているのだろう。
「騎士的・貴族的な価値判断が前提とするものは、力強い肉体、今を盛りの豊かな溢れたぎるばかりの健康、加うるにそれを保持する上に必要なものごと、すなわち戦争、冒険、狩猟、舞踏、闘技、さらにはおよそ強い、自由な快活な行動を含む一切のものごとがそれである。これに反し僧侶的で高貴な評価法は―――すでに見たように―――、それとは別な前提を持つ。・・・僧侶的民族であるあのユダヤ人は、おのれの敵対者や制圧者に仕返しをするのに、結局はただこれらの者の諸価値の徹底的な価値転換によってのみ、すなわちもっとも精神的な復習という一所業によってのみやらかすことを心得ていた。」

★価値転換によって果たした復讐の方法とはつぎのようなものだ。神の子イエスは人類の罪を一身に背負って磔刑に処されたのだという (パウロによる)意味づけがなされ、ユダヤ教からキリスト教への転換がおこり、この転換によって、見かけ上は、僧侶的価値が貴族的価値によって滅ぼされて憎悪と復讐が崇高な愛に変身し、キリスト教徒が世界を征服することになった。しかし、禁欲と憎悪と復讐という僧侶的価値観の根は生き続けている。そうニーチェは言う。
「―――だが、君たちにはこれが分からないのだろうか?勝利をえるまで二千年を要したこの出来事を見抜く目が、君たちにはないのだろうか?・・・ところで、その出来事とは次のようなものだ。復讐と憎悪のあの木の幹から、ユダヤ的憎悪―――理想を創造し価値を創りかえる憎悪―――のあの木の幹から、同じく比類を絶したあるものが、一つの新しい愛が、あらゆる種類の愛のうちで最も深く、最も崇高な愛が生え出たのである。」

★民主主義者の自由な精神は、平民の道徳(自由と平等)が勝ったのだから、より高貴な理想のことなど言ってないで、その事実を素直に認めたらどうだという。だがニーチェはこれを認めない。
(自由主義者)「だが、なんだってまだあなたは、より高貴な理想のことなど話すのです!われわれは事実に従おうではないですか。要するに民衆が勝ったのです、―――これを(ニーチェが)あるいは<奴隷>がとでも、<賤民>がとでも、<畜群>とがでも、その他どう呼ぼうとあなたの勝手ですが、・・・<主人>は片づけられてしまい、平民の道徳が勝ったのです。」

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