自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2021年8月7日土曜日

8月7日(土) 斉藤幸平『人新世の資本主義』

 マルクス研究の世界的権威であるそうな「ドイッチャー記念賞」を、2018年に歴代最年少で斉藤幸平さんが受賞した作品が『大洪水の前に』(2019年、堀之内出版)。本書『人新世の資本主義』(2020年10月、集英社新書)はその後斉藤さんが未公表のマルクス史料(MEGA)などを研究して発見したマルクスの「脱成長論」と呼ぶべき論をもとに書き加えたもの。『大洪水の前に』はまだ読んでないので、これから読もうとは思っている。

ヨハネ・パウロ2世
若きマルクス経済学研究者による透明な視点は、マルクスと言えばマルクス主義というイデオロギー的に捉えられた先入観により曇らされきた部分に犯されず、フッサール風に言えば、そのイデオロギーをエポケー(先入験をカッコに入れて判断停止する)して捉え直すことも可能にしているのかもしれない。折しも、仲間と3年ほどかけて『資本論』全巻を再読してからそう年月が過ぎていないこともあって、著者の言うマルクスの「脱成長論」というものが、資本論後のマルクスがそれまでの論理の前提の多くの部分を否定しながら構築していった動機や理論の本質には素直に賛同してしまう。斉藤幸平さんの力作に感謝。

簡単に言えば、現代が直面している地球環境問題、あるいは資源・エネルギー問題、あるいは気候温暖化問題(より本質的には気候変動問題)の元凶は、資本主義に基づいた経済の仕組みにあるから、これを別の経済に、しかも短期間に移行させなければならず、この別の経済がどのようなものであるかをマルクスは資本論を土台にして「脱成長コミュニズム」として提示している、というものだ。この新時代のキーワードがいくつかあって、経済的には「脱成長」、社会的には「アソシエーション」や「コモン」、政治的には「コミュニズム」(これは古いイメージで捉えるとダメ)。マルクスが「脱成長」を唱えていたとはね。資本論は、資本主義が資源・労働・人間を収奪しながら経済成長を続けなければならないという本質をもつのでどんどん膨張していくが、やがて限度を迎え(資本は剰余価値を生み出せなくなる、という限度⇒「利潤率の傾向的低下法則」)滅びる、という経済理論を立てた。修正したり外部から収奪して滅びる時を延長しても原理は同じ。現代は「人新世」と呼ばれるような新たな地質学的時代区分相応しい時代(人間が出現してくる地質学的区分はわざわざ新生代第四期と名付けられているが、その第四期の最終段階を「人新世」と呼んで区分しようとしているらしい)を迎え、否応なしに、「脱成長」しないと滅びるから、はやりのエコ社会とか、SDGsとかやってる場合ではないと著者は言う。それらはマルクスに言わせれば「アヘン」だと。マルクスは資本論第一巻で本源的蓄積の前提に自然の収奪をおいてはいるが、それが資本主義生産体制崩壊の不可避の要因とはいっていない。現代がそこに来ていることを、実は資本論後にマルクスは予言していたと。

2021年8月5日木曜日

8月5日(木) 南方熊楠とはどんな人?

明治時代に粘菌の研究などで世界でも認められた天才ということは知っていたので、どんな人かと『南方熊楠-日本人の可能性の極限』(唐澤大輔著2015)を読んでみた。現代日本ではこのような人は生存出来ないかもしれないことは、世界にとっても不幸なのだろうな-。
快挙

 徳川幕府の最終年に比較的裕福な家に生まれ(1867年生)昭和の時代まで生きた(1941年没)この天才的研究者は、研究への没入状態は尋常ではなく、自分と自然との境界区分が曖昧であった。

 多国語を操り、古今東西の文献を写筆しつつ漁読し、粘菌や植物などを各地で蒐集し、米英を放浪し、研究拠点にしていた大英博物館から追放され、英国の著名な自然雑誌ネイチャーに夥しい投稿が掲載され、帰国後は那智の野生に棲み、かろうじて人間自体からの逸脱を避けつつ七十数年存在し続けた。

 自作の曼荼羅世界を考出し、民俗学では、バックグラウンドが対極にある柳田国男をして感嘆せしめるとともに必然的別離となり、生涯を在野で、大酒飲みでトラブルに事欠かずの人生を送った奇人。本人は地位も金も求めず、従ってそれらはなく、それらを持っている人が熊楠をこの世で生かし続けた。

2021年5月3日月曜日

5月3日(月) NHK100分で名著『資本論』(斉藤幸平)

パパメイアン
 NHKのこのシリーズで、カール・マルクス著『資本論』がどう紹介されているのか興味があったのでkindle版で読んでみた。わかりやすく簡便に名著を紹介するという本シリーズの主旨に則って書かれている本書において、先ずはじめに浮き出てきたキーワードの一つがマルクスの「物質代謝論」であったのには、おやっと思った。多分、著者の社会思想の軸足がここにあったのかもしれない。なので、著者が書いた「新人世の『資本論』」という本を読んでみようと思っている。

資本論を構成する基本概念である「富」「商品」「使用価値」「交換価値」「労働」「労働力」「労働時間」「剰余価値」「資本の運動」などについての解説が簡便に為されて、大部であるこの名著全体の概略も紹介されている。ただ、資本論の「労働日」や「機械と大工業」などの章で示されている事例よりも、現代の身近な事例を引いて行われているので、読者にとってはわかりやすいとしても、人びとの生活・経済の悲惨な歴史的事実から読み解かれている「資本主義的矛盾」に対するマルクスの怒りの気持ちの方はあまり伝わって来ないが、それも仕方がないだろう。

参考になったのは、「MEGA」と呼ばれるマルクスに関する国際研究が進んでいて、その成果が公開されはじめている、という部分と、『資本論』第三巻の草稿からの次のような引用でした。<資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能か形で制御することだ>。ここで著者によれば、アソシエートする、とは共通の目的のために自発的に結びつき、共同する、という意味だそうです。マルクスは、このアソシエートする条件についてはどう考えていたんだろうね。




2021年3月7日日曜日

3月7日(日) 『強毒性新型インフルエンザの脅威』

クイーンエリザベス
  2006年に出版された本書は、鳥インフルエンザ(H5N1型ウイルスによる鳥のインフルエンザ)が鳥から人へ感染した事実に基づいて、もしも人から人へと感染症になったとしたら、人類にとって極めて重大な脅威になるだろうと警告している。が、そうならないための本質的提言はない。

 考えられる本質的提言とは、例えば、国際的規模で、動物間で感染しているウイルスやワクチンの研究促進すると同時に、その結果得られたリスクの高いウイルスの自然宿主をワシントン条約(CITES)の対象種とする、というアイデアなどはどんなもんだろうか?

2021年1月25日月曜日

1月25日(月) 『感染症の日本史』磯田道史著 文春新書kindle版

モッコウバラ
 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が世界的に蔓延して1年ほど経過する。感染症が社会に大きな影響をもたらすことは誰でもそう思っていても、どのくらいなのかについてはなかなか理解されていないと思う。このことについては、ジャレド・ダイヤモンドという人が書いた『銃・病原菌・鉄』を読んだときにナルホドと思ったが、今回は、NHKの歴史番組「英雄達の選択」だったかな、の司会をしている磯田さんが書いた本書を読んでみた。

本書は、学校で習う歴史とは違って、一般人が感染症に罹患した史実を学ぶことによりCOVID-19被害防止に役立てることを目的に書かれている、と冒頭に記されている。つまり、一般人の史実という細部に、一般人に役立つ歴史の内実が宿っていると。磯田さんは歴史家なので、感染症の被害防止に役立てる知恵には医学的(自然科学)なものと、もう一つ歴史的(社会科学)なものがあり、正体のわからないものに対しては後者の知恵を生かすことが大切だ、と述べている。つまり、例えば今回のcovid-19のように、その正体が不明な部分があるときには、科学的証拠と追求するだけでなく、歴史や別の場所(外国とか)での経験を素早く役立てる(真似するとか)ように行動することが大切だと。もっとも、この点については、科学の本質も経験にあるので、covid-19に対する日本政府の対応を批判する根拠としてはちょっと弱い感じ。

採り上げられている史実の出典は、古文書を含めた諸文献と、既出の優れた著作の引用があって、前者は「歴史は細部に宿る」という著者の考えに基づいたお得意の古文書類で、後者は著者の師匠で、数値データを根拠にその背後にある史実を暴き出すことで著名な速水融先生の著作『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店2006年2月)』を筆頭に、興味ある本が沢山紹介されている。詳細はここでは省略するが、本書の内容の骨子は次のようなものとなる。

日本においても古代から感染症に襲われており、それが社会に甚大な影響をもたらしてきた。その対処法が「おまじない」から急激に合理的なものに変化したのは近世(江戸時代)になってからで、その知恵には当然限りがあるとしても驚くべきものがある。感染防止のためにいろいろな知恵が実際に効果を発揮した理由は、人びとが身につけてきた生活態度に負うところが多く、時の政府(藩レベルでの例外はあったが)の政策ではなかったことは明治時代になってからも同じであった(今でも基本的に同じという感じ)。人命救助と経済政策の両立問題はいつの時代も生じていたが対処方法は時代と地域で違っていた。100年程前に世界的に猛威を揮い、日本でも内地(現代の日本とほぼ同じ領域)だけでも45万人ほどの死者を出したいわゆるスペイン風邪(今は、それがインフルエンザの一種であることが判明している)は特に現代のCOVID-19と関係が深い事例として興味深いものがある。

 日本における感染症の歴史としての諸事実、特に磯田さんの調べた面白いとこについて、もう少し詳しく抜き書きしたものを別ブログに掲載するつもり。スペイン風邪については速水先生の上記著作が詳しいので、少し高いけどそちらを見てみるとよいと思う。



2020年12月25日金曜日

12月25日 『バッタを倒しにアフリカへ』前野浩太郎著 2020 光文社新書kindle版

新雪
 子どもの頃にファーブル昆虫記に魅せられてそのまま博士になった学者が、研究と生活維持のためにアフリカのモーリタニアという国の研究所で、バッタ(農作物を全滅させる例のイナゴのことかな)のフィールド研究をする顛末記。

とにかく好きなことをする場合はどんな苦難があろうともそれを楽しくしてしまうと言う原理に則って、日本では信じられないような出来事が日常茶飯事の国において、いつどこで発生するかわからないバッタを捕獲網を片手に追いかけている博士達の日常は、事前の計画とは無関係な偶然に支配される世界、バッタと一緒に生きている砂漠の世界、現代では殆ど失われた驚きと喜びの世界なのである。

もちろん研究目的は農作物の被害を防ごうという崇高なものではあるが、だから公的世界から少々の金銭を得ることが出来るのだが、博士はなぜかバッタが大好きで、おまけに自分を含めた人間が大好きなのであって、むしろそっちが大切なのだ。だからやけに楽しそうなのである。アフターコロナの世界に生きる人の生き方を指し示す本かも。本書の推薦人は哲学や歴史の会の仲間で、落語とジャズとダイビングが好きなキザな爺さん。面白かったよ。

2020年12月20日日曜日

12月20日 『2030年ジャック・アタリの未来予測』(ジャック・アタリ)2017年 kindle版

ピース
  フランスの知の巨人と言われ、ミッテラン大統領以降フランス政権の中枢で重要な役割を担っているといわれている経済学者・思想家・作家であるそうな(wikipedia)ジャック・アタリが2017年に書いた近未来予測の本。

 昔から未来予測は沢山あるので、今から見れば当たり外れがあることはわかっているが、なぜ当たり外れがあるのかはあまり考えたことがない。その手の本をどうして読んだのかについての感覚の記憶を辿ると、予測の理由を知りたいからで結論を知りたいからではなかったようだ。そこで今回はどうかというと結論は以下。

 本書で述べていることの結論は、世界の人びと(とりあえず近代国家的な国民)が利己主義ではなくて利他主義こそお互いのためであることを理解し合ってそれを行動に今すぐ移さないと、2030年!に人類は滅亡する(ような状況が現実化する)、というものである。結構早いのでびっくりするが、この結論に対する感覚には共鳴する。近代になってから二回も世界大戦をして、もう止めようと先進国が合意していろいろか国際機関を作ったりしたたけど、国際社会の状況は変化してそれらの秩序が崩壊してきた現実を直視すればそうなる。

 ではなぜそう言えるのか?については、さすが知の巨人だけあって沢山記述してあって、問題意識は完全に一致し、内容については全然検証していないが基本的に同意できると感じている。資本主義と民主主義に基づいた政治社会構造の行き詰まり、地球資源・環境問題、科学技術のトンデモナイ知の集積のもたらす可能性、先進国群への途上国の急激な参入問題、等々。で、なぜ2030年なのかは、なんとなくナットクする感覚。本書が書かれた時点ではcovid-19問題は出現していないが、この問題が出現してきて益々納得感が増している。

 2030年に滅亡しないための方策は根拠を示して沢山挙げられているのだが根本思想は次のようなものである。まずは、人間が作っている社会の問題は人間自身が解決するほかはなく、その可能性を追求する合意が前提される。それには問題点を共有して解決しようと思わねばならないだろうが、それは強制されるのではなく自分でそう思わねばならない。だから根本思想はこうなる。「現代において自己主義に基づいて自分だけ生き残ると考えても無駄であるという事実を先ず認識しあって、そうかといって自分が大切にされていない世界に生きたいとは考えられないのが人間であることも認識し合って、お互いに利他主義にもとづいた社会を作り合うこと」だ、と。