![]() |
| カラー |
孫達が読書を好きになりますように♪ 文字通り、読書の日記です。時々感想も書きました。新しく読んだ本だけでなく、昔読んだ本についても思いだして書いてあります。 自分の無知を、読書で埋めることは楽しいですね
自己紹介
- 磯岡豊
- 1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。
2021年8月14日土曜日
8月14日(土) プラトン『ラケス』
2021年8月11日水曜日
8月10日(火) デービッド・アトキンソン『日本企業の勝算』
![]() |
| 希望 |
2021年8月7日土曜日
8月7日(土) 斉藤幸平『人新世の資本主義』
![]() |
| ヨハネ・パウロ2世 |
簡単に言えば、現代が直面している地球環境問題、あるいは資源・エネルギー問題、あるいは気候温暖化問題(より本質的には気候変動問題)の元凶は、資本主義に基づいた経済の仕組みにあるから、これを別の経済に、しかも短期間に移行させなければならず、この別の経済がどのようなものであるかをマルクスは資本論を土台にして「脱成長コミュニズム」として提示している、というものだ。この新時代のキーワードがいくつかあって、経済的には「脱成長」、社会的には「アソシエーション」や「コモン」、政治的には「コミュニズム」(これは古いイメージで捉えるとダメ)。マルクスが「脱成長」を唱えていたとはね。資本論は、資本主義が資源・労働・人間を収奪しながら経済成長を続けなければならないという本質をもつのでどんどん膨張していくが、やがて限度を迎え(資本は剰余価値を生み出せなくなる、という限度⇒「利潤率の傾向的低下法則」)滅びる、という経済理論を立てた。修正したり外部から収奪して滅びる時を延長しても原理は同じ。現代は「人新世」と呼ばれるような新たな地質学的時代区分相応しい時代(人間が出現してくる地質学的区分はわざわざ新生代第四期と名付けられているが、その第四期の最終段階を「人新世」と呼んで区分しようとしているらしい)を迎え、否応なしに、「脱成長」しないと滅びるから、はやりのエコ社会とか、SDGsとかやってる場合ではないと著者は言う。それらはマルクスに言わせれば「アヘン」だと。マルクスは資本論第一巻で本源的蓄積の前提に自然の収奪をおいてはいるが、それが資本主義生産体制崩壊の不可避の要因とはいっていない。現代がそこに来ていることを、実は資本論後にマルクスは予言していたと。
2021年8月5日木曜日
8月5日(木) 南方熊楠とはどんな人?
2021年5月3日月曜日
5月3日(月) NHK100分で名著『資本論』(斉藤幸平)
| パパメイアン |
資本論を構成する基本概念である「富」「商品」「使用価値」「交換価値」「労働」「労働力」「労働時間」「剰余価値」「資本の運動」などについての解説が簡便に為されて、大部であるこの名著全体の概略も紹介されている。ただ、資本論の「労働日」や「機械と大工業」などの章で示されている事例よりも、現代の身近な事例を引いて行われているので、読者にとってはわかりやすいとしても、人びとの生活・経済の悲惨な歴史的事実から読み解かれている「資本主義的矛盾」に対するマルクスの怒りの気持ちの方はあまり伝わって来ないが、それも仕方がないだろう。
参考になったのは、「MEGA」と呼ばれるマルクスに関する国際研究が進んでいて、その成果が公開されはじめている、という部分と、『資本論』第三巻の草稿からの次のような引用でした。<資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能か形で制御することだ>。ここで著者によれば、アソシエートする、とは共通の目的のために自発的に結びつき、共同する、という意味だそうです。マルクスは、このアソシエートする条件についてはどう考えていたんだろうね。
2021年3月7日日曜日
3月7日(日) 『強毒性新型インフルエンザの脅威』
2021年1月25日月曜日
1月25日(月) 『感染症の日本史』磯田道史著 文春新書kindle版
| モッコウバラ |
本書は、学校で習う歴史とは違って、一般人が感染症に罹患した史実を学ぶことによりCOVID-19被害防止に役立てることを目的に書かれている、と冒頭に記されている。つまり、一般人の史実という細部に、一般人に役立つ歴史の内実が宿っていると。磯田さんは歴史家なので、感染症の被害防止に役立てる知恵には医学的(自然科学)なものと、もう一つ歴史的(社会科学)なものがあり、正体のわからないものに対しては後者の知恵を生かすことが大切だ、と述べている。つまり、例えば今回のcovid-19のように、その正体が不明な部分があるときには、科学的証拠と追求するだけでなく、歴史や別の場所(外国とか)での経験を素早く役立てる(真似するとか)ように行動することが大切だと。もっとも、この点については、科学の本質も経験にあるので、covid-19に対する日本政府の対応を批判する根拠としてはちょっと弱い感じ。
採り上げられている史実の出典は、古文書を含めた諸文献と、既出の優れた著作の引用があって、前者は「歴史は細部に宿る」という著者の考えに基づいたお得意の古文書類で、後者は著者の師匠で、数値データを根拠にその背後にある史実を暴き出すことで著名な速水融先生の著作『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店2006年2月)』を筆頭に、興味ある本が沢山紹介されている。詳細はここでは省略するが、本書の内容の骨子は次のようなものとなる。
日本においても古代から感染症に襲われており、それが社会に甚大な影響をもたらしてきた。その対処法が「おまじない」から急激に合理的なものに変化したのは近世(江戸時代)になってからで、その知恵には当然限りがあるとしても驚くべきものがある。感染防止のためにいろいろな知恵が実際に効果を発揮した理由は、人びとが身につけてきた生活態度に負うところが多く、時の政府(藩レベルでの例外はあったが)の政策ではなかったことは明治時代になってからも同じであった(今でも基本的に同じという感じ)。人命救助と経済政策の両立問題はいつの時代も生じていたが対処方法は時代と地域で違っていた。100年程前に世界的に猛威を揮い、日本でも内地(現代の日本とほぼ同じ領域)だけでも45万人ほどの死者を出したいわゆるスペイン風邪(今は、それがインフルエンザの一種であることが判明している)は特に現代のCOVID-19と関係が深い事例として興味深いものがある。


