孫達が読書を好きになりますように♪ 文字通り、読書の日記です。時々感想も書きました。新しく読んだ本だけでなく、昔読んだ本についても思いだして書いてあります。 自分の無知を、読書で埋めることは楽しいですね
自己紹介
- 磯岡豊
- 1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。
2021年11月10日水曜日
11月10日(水) 上垣内憲一『暗殺・伊藤博文』犯人は安重根ではないかもしれない。
2021年10月23日土曜日
10月23日(土) 『超加速経済アフリカ』(椿進著 東洋経済)を読んでみた
パスカリ |
避暑地みたいとは、人が沢山住んでいる大きな都市は高地にあるからといわれれば、確かに人類発祥の地アフリカだもんね、と思うし、平均年齢が二十歳なのは近年各種途上国援助で幼児死亡率が激減したからとなれば、なるほど、と思う。
しかし、経済が1970年位の日本と同じくらいの水準(ひとりあたりのGDP )だというのは、にわかには信じられないがデータはそうなっている。もちろん、50カ国以上もあるそうなアフリカの各国ごとに事情は異なるにしても、半世紀ほど前のアフリカと言えば、それまで植民地であった地域が第二次大戦後に形は独立したが統治は不十分で国家間の関係も不安定、内戦・飢餓・疫病等々で悲惨な状況にあって、政治・経済は世界に対してさしたる影響を及ぼしてはいないと、思い込んでいた節がある。日本が30年も経済停滞している間に、世界のグローバルな交流はアフリカの諸国家を現実に変身させつつある。
世界のグローバルな交流が劇的な変化を可能にした理由の一つは技術にあった。間を飛ばして、端的な例をあげれば、庶民が貨幣ではなくスマホで暮らしていることだろう。砂漠の遊牧民もスマホで購入し、海外で働いて得たお金を家族に送るのにもスマホですることができる、つまり銀行がなくても貨幣を持っていなくてもスマホさえあれば庶民は暮らせる。なぜそんなことができるのか、それはアフリカ社会には既得権がないから先進技術が実現できるのだと。
外国の投資については、中華人民共和国が一帯一路がらみのインフラ投資などでダントツ、欧米諸国も先端技術の実験場としても、将来をにらんでそこそこの投資を始めているが、日本は圧倒的に少ないとのこと。欧米は植民地であったアフリカとの繋がりで有利かもしれないが中国はそうではないし、以前の日本は相対的にはそれなりの投資をしていたらしいから、やはり失われたうん十年はここにも現れているのかもね。
2021年10月17日日曜日
元禄・享保時代の朱子学者「雨森芳洲」ってスゴい。その思想は、まるで古代ギリシャのイオニア自然哲学者達みたい
『雨森芳洲 元禄享保の国際人』(上垣外憲一著、中公新書 1989年)
つるヒストリー |
12月に歴史の会で対馬に行くので参考にと、植村さんが教えてくれた本。寛文8年(1668年)京都の医者の息子として生まれた雨森芳洲は、京都で儒学を学び、15歳で江戸に出て木下順庵門下生として朱子学を学んだ俊英で、21歳で対馬藩に仕えてから88歳で没するまで生涯そこで過ごした、いわば歴史に埋もれた一学者であったと言えるだろう。しかし、実は日本思想史上希有な普遍的思想家・哲学者あった。著者の上垣先生は比較文化・朝鮮交流史の専門家で、芳洲の生涯、基本思想、施策、エピソードを見事に紹介している。
芳洲は、長崎で唐語を学を学び、30歳で対馬藩朝鮮方佐役を拝命し、当時は殆ど無かったネイティブな朝鮮語を学び、1711年と1719年には朝鮮通信使に随行して江戸を往復して日朝外交上重要な役割を果たしていた。しかし、1721年53歳の時にいろいろあったようで朝鮮方佐役を辞任する。その後、30年以上にわたって著作や教育に従事し、82歳から和歌の勉強を志して古今和歌集を1000回読むことをきめて84歳頃にこれを達成した。
対馬ははるか昔から朝鮮と日本の間の関係をとりもってきた場所であり、江戸時代においては、長崎の中国・オランダ貿易、薩摩の琉球貿易と並んで、公認貿易の拠点であった。将軍家宣の時代に幕府に登用されて政策の要をになうこととなった著名な新井白石は11歳年長の同門であったが、雨森芳洲は、対馬藩に仕える語学堪能で便利な外交専門家として重用されるだけであった。しかし、芳洲は、江戸や長崎など日本の中だけで漢学等の学問を学ぶだけではなく、朝鮮外交という仕事を通じて朝鮮・中国などの異文化の人びととの政治・文化・経済的な交流をすることによって、人間・社会に対する深い考察を行った思想家であった。
文化の異なる人びとが、現実の要請に応じて行ってきた交流・交渉の経験が、国や民族を超えて人間一般に通用するような普遍性のある思想を生み出した、希有な日本人の事例であったと言えるのだろう。丁度古代ギリシャにおけるイオニア自然哲学者達のように。
2021年10月13日水曜日
プラトン『パイドロス』 恋することの本質はなんだろう?
サハラ |
『翼もてるエロース そはまこと 死すべきものどもの呼べる名なり。されど不死なる神々は、これをプテロースとこそ呼べれ 翼(プテロン)おいしむるその力ゆえに』
爺~じの哲学系名著読解: パイドロス プラトン著 (藤沢令夫訳 岩波文庫) (gansekimind-dokkai.blogspot.com)
2021年9月30日木曜日
9月30日 白井聡『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』
ピース |
浅草柴又の寅さん風の台詞がはいっている面白い記述があったので、その部分を以下に抜粋してみた。いろいろ書いてあったけど、結局本書の紹介には一番良さそうだったので。
・右傾化や劣化した反知性主義が広がるのと同時に、生活実感に裏打ちされた考え方・世界観を持っていたかっての庶民1は、小泉政治以降(いや、もっと前からかもしれませんが)庶民2に変質したわけです。
・彼等(庶民2)は、安倍首相が言う「世界で一番企業が活躍しやすい」場所が実在すると信じてしまうような庶民です、寅さんならば、「そんな場所あるわけねぇだろ。経済学者さんていうのはそういうのがあると仰るのかい。へぇー、よくわかんないねぇ。お前、さしずめインテリだな」といって済ませるはずです。私たちは、寅さんのような健全な常識に基づく考え方、ものの見方を失ってしまったのです。」
2021年8月14日土曜日
8月14日(土) プラトン『ラケス』
カラー |
2021年8月11日水曜日
8月10日(火) デービッド・アトキンソン『日本企業の勝算』
希望 |
2021年8月7日土曜日
8月7日(土) 斉藤幸平『人新世の資本主義』
ヨハネ・パウロ2世 |
簡単に言えば、現代が直面している地球環境問題、あるいは資源・エネルギー問題、あるいは気候温暖化問題(より本質的には気候変動問題)の元凶は、資本主義に基づいた経済の仕組みにあるから、これを別の経済に、しかも短期間に移行させなければならず、この別の経済がどのようなものであるかをマルクスは資本論を土台にして「脱成長コミュニズム」として提示している、というものだ。この新時代のキーワードがいくつかあって、経済的には「脱成長」、社会的には「アソシエーション」や「コモン」、政治的には「コミュニズム」(これは古いイメージで捉えるとダメ)。マルクスが「脱成長」を唱えていたとはね。資本論は、資本主義が資源・労働・人間を収奪しながら経済成長を続けなければならないという本質をもつのでどんどん膨張していくが、やがて限度を迎え(資本は剰余価値を生み出せなくなる、という限度⇒「利潤率の傾向的低下法則」)滅びる、という経済理論を立てた。修正したり外部から収奪して滅びる時を延長しても原理は同じ。現代は「人新世」と呼ばれるような新たな地質学的時代区分相応しい時代(人間が出現してくる地質学的区分はわざわざ新生代第四期と名付けられているが、その第四期の最終段階を「人新世」と呼んで区分しようとしているらしい)を迎え、否応なしに、「脱成長」しないと滅びるから、はやりのエコ社会とか、SDGsとかやってる場合ではないと著者は言う。それらはマルクスに言わせれば「アヘン」だと。マルクスは資本論第一巻で本源的蓄積の前提に自然の収奪をおいてはいるが、それが資本主義生産体制崩壊の不可避の要因とはいっていない。現代がそこに来ていることを、実は資本論後にマルクスは予言していたと。
2021年8月5日木曜日
8月5日(木) 南方熊楠とはどんな人?
2021年5月3日月曜日
5月3日(月) NHK100分で名著『資本論』(斉藤幸平)
パパメイアン |
資本論を構成する基本概念である「富」「商品」「使用価値」「交換価値」「労働」「労働力」「労働時間」「剰余価値」「資本の運動」などについての解説が簡便に為されて、大部であるこの名著全体の概略も紹介されている。ただ、資本論の「労働日」や「機械と大工業」などの章で示されている事例よりも、現代の身近な事例を引いて行われているので、読者にとってはわかりやすいとしても、人びとの生活・経済の悲惨な歴史的事実から読み解かれている「資本主義的矛盾」に対するマルクスの怒りの気持ちの方はあまり伝わって来ないが、それも仕方がないだろう。
参考になったのは、「MEGA」と呼ばれるマルクスに関する国際研究が進んでいて、その成果が公開されはじめている、という部分と、『資本論』第三巻の草稿からの次のような引用でした。<資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能か形で制御することだ>。ここで著者によれば、アソシエートする、とは共通の目的のために自発的に結びつき、共同する、という意味だそうです。マルクスは、このアソシエートする条件についてはどう考えていたんだろうね。
2021年3月7日日曜日
3月7日(日) 『強毒性新型インフルエンザの脅威』
2021年1月25日月曜日
1月25日(月) 『感染症の日本史』磯田道史著 文春新書kindle版
モッコウバラ |
本書は、学校で習う歴史とは違って、一般人が感染症に罹患した史実を学ぶことによりCOVID-19被害防止に役立てることを目的に書かれている、と冒頭に記されている。つまり、一般人の史実という細部に、一般人に役立つ歴史の内実が宿っていると。磯田さんは歴史家なので、感染症の被害防止に役立てる知恵には医学的(自然科学)なものと、もう一つ歴史的(社会科学)なものがあり、正体のわからないものに対しては後者の知恵を生かすことが大切だ、と述べている。つまり、例えば今回のcovid-19のように、その正体が不明な部分があるときには、科学的証拠と追求するだけでなく、歴史や別の場所(外国とか)での経験を素早く役立てる(真似するとか)ように行動することが大切だと。もっとも、この点については、科学の本質も経験にあるので、covid-19に対する日本政府の対応を批判する根拠としてはちょっと弱い感じ。
採り上げられている史実の出典は、古文書を含めた諸文献と、既出の優れた著作の引用があって、前者は「歴史は細部に宿る」という著者の考えに基づいたお得意の古文書類で、後者は著者の師匠で、数値データを根拠にその背後にある史実を暴き出すことで著名な速水融先生の著作『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店2006年2月)』を筆頭に、興味ある本が沢山紹介されている。詳細はここでは省略するが、本書の内容の骨子は次のようなものとなる。
日本においても古代から感染症に襲われており、それが社会に甚大な影響をもたらしてきた。その対処法が「おまじない」から急激に合理的なものに変化したのは近世(江戸時代)になってからで、その知恵には当然限りがあるとしても驚くべきものがある。感染防止のためにいろいろな知恵が実際に効果を発揮した理由は、人びとが身につけてきた生活態度に負うところが多く、時の政府(藩レベルでの例外はあったが)の政策ではなかったことは明治時代になってからも同じであった(今でも基本的に同じという感じ)。人命救助と経済政策の両立問題はいつの時代も生じていたが対処方法は時代と地域で違っていた。100年程前に世界的に猛威を揮い、日本でも内地(現代の日本とほぼ同じ領域)だけでも45万人ほどの死者を出したいわゆるスペイン風邪(今は、それがインフルエンザの一種であることが判明している)は特に現代のCOVID-19と関係が深い事例として興味深いものがある。