自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年12月20日水曜日

12月20日(水) わかりやすく親切かつ本質をついた哲学本『哲学のモノサシ』西研著


昔読んだ本のメモを時々開いてみてここに転記している。
カクテル


1996年に書かれたこの本は少年・少女が哲学を好きになる良書だ。読んでいると著者が私に話しかけているように感じるほどわかりやすく言葉が投げかけられてくる。

特に印象的な部分を二箇所下記に抜粋してみた。


(1)現象学は、「向こう側に存在するだろう唯一絶対の真理」を求めることから、問いの方向を大きくじぶんのほうへと転換した。<唯一の真理・正義は何か>ではなく<なぜわたしにはこれが真実だと思えるのか><なぜわたしはこれをよくないと感じるのか>と問う。---それとともに、他人を問うてみる。<なぜあのひとはこれをよくないことだというのだろうか>。

(2)だれかが(恋人なり友人が)じぶんの存在を受け入れている、という感覚が得られてはじめて、人はじぶんの感受性を肯定できるようになるのだ。そして、感受性の肯定ができてはじめて、その人は自分の感受性を検証しながら自覚的に自分のモノサシを育てていくことができるようになる(じぶん一人でではなく、他人と育てあうと考える方がいい)。

尚、現象学という哲学を知ろうとして、「現象学」と書かれている哲学書とか解説書を読むと、普通はかえってわからなくなるから、急いで読む必要はない。西先生が本書で書いたことを、まずはナルホドと思えれば良いと思う。

2017年12月15日金曜日

12月15日(金)『コモンウェルス』ネグリ&ハート 読後感想

フレンチレース
2013年に読んだときの感想文を少し修正したものです。

 モチーフには共鳴点はあるけど、思想・哲学的な普遍性はさほどなさそう、というのが第一印象。

 現代の状況は、世界の共同体の構成を、国家や企業やそれを構成する国民や一般大衆とは異質な、より自由で平等で民主的な構成へと変容させる条件を提供し始めているのだろうか。著者らは、その可能性を<コモン><マルチチュード><生政治>等々の言葉を置いて述べているが、しかし、そうでありたいという希望の域をあまり超えていないのではないだろうか。

 現代世界は、今までのような政治的、経済的、社会的仕組みでは解決できそうもない、環境、格差、資源、人口、人権、等々沢山の問題を抱えている。だから、私有財産をあまり持たなくても「地球市民」的な共通意識に基づいて、平等で幸福な何らかの道を探りたいし、情報技術などの飛躍的進歩はその条件を整えるかもしれないとは思いたい。しかし、本書で援用されている沢山の人の思想・哲学は、著者らの博識のたまものだが、我田引水気味であまり説得性がないように感じる。彼らが提示している現代的問題点の解決根拠としての哲学は、すでにホッブズからロック、ヒューム、デカルト、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクスに至るまでの近代哲学が積み重ねてき た、その核心思想を越えでるものではない。更に言えば、ネグリが現代社会の問題解決を目指して引用している過去の思想家の考えは、その中心部分ではなくかえって末端部分であり、また恣意的でさえあるような気がする。


2017年11月24日金曜日

11月24日(金) 『子どもたちに語る ヨーロッパ史』ジャック・ル・ゴフ。ちくま学芸文庫

なんと丁度一ヶ月もサボっていたので、日誌ではなく月誌になってしまった。
芳純



 本書は新宿紀伊國屋書店の別棚に積んであって、監訳が前田耕作先生であったのが目について、つい買ってしまった本です。やっぱり、孫達に薦めるに丁度良い本でした。何が良いかというと、歴史を理解する楽しみをわかりやすく教えてくれるというのが一番(だから私も教えてもらって楽しかったということ)、次にヨーロッパ史の知識が整理されて頭に入ってくるという点でした。
 
 ところが悲しいかな、その整理された知識が私の頭の中から素直に順を追って蘇ってこない。ということで、もう一度本を見ながら印象に残った部分を書き出さなばならないことになりました。ただしそちらは別ブログ「爺~じの「本の要約・メモ」に掲載する予定です。あっ、本文庫には、二つの著述が入っていまして、題記のものともう一つ「子どもたちに語る中世」です。

【子どもたちに語るヨーロッパ史】
監訳者(前田耕作先生)まえがき
 20世紀に起きた世界中を巻き込む二つもの大きな戦争で人類全体が危機に陥ったとき、フランスの歴史学はいつも「歴史はなんの役に立つの?」という子どもの素朴な問いかけに答える努力を重ねることで革新を成し遂げてきました。・・・ル・ゴフは、若い人たちの問いに答えることこそ歴史家の責務とし、本書を世に問うたのです。



2017年10月24日火曜日

10月24日(火) 『秩父事件』(井上幸治著1968年中公新書)概要

 本書を読んでいるうちに、秩父事件に直接に、間接に携わったそれぞれの人々が、この事件の前後数年間に時系列的に何をしたのだろうかと思い、足りないデータを補いながら表を作り始めてみた。そうすると、本書に書かれている人物像は、なるほどそうだったのか、と納得が深まっていった。
 ここでは、その概要を書いた。各人物像と事件前後の数年間にわたる彼らの行動実績は、別のブログ爺~じの「本の要約・メモ」に掲載しました。


秩父事件の概要

リモンチェッロ
 秩父事件とは、明治17年(1884年)の秋も深まる頃、埼玉県西部の山並みに囲まれた秩父地方で発生した農民集団(困民党)による暴動事件のことを指す。この暴動事件は、規模と質からみて単なる一揆などというものとは異なっていた。困民党が動員した農民たちは一万人近くに及び、その戦闘力は、未だ武器調達や戦闘訓練という点においてはまるで不十分とはいえ、良く組織された民兵とさえ言えるものであった。

 このような困民党蜂起の条件は、簡単に言えば三つある。一つは経済的条件。この時期に発生した不況が、秩父地方や峠を隔てて繋がっている群馬の南部地方や長野の東部地方の養蚕業を直撃したこと、その不況時における政府の政策が、養蚕業を主な生業とする人々、つまりこの地方の農民に、高利貸からの借入、ひいては破産を強いたことである。一つは人々の考え方の変化、それは自由民権という思想が、自分たちの生きる権利の正当性を目覚めさせたことである。もう一つは、この自由民権思想を農民たちに教えた自由党員たちが、端的に農民たちの梯子を外したためであろう。つまり、梯子を外した彼らにとっては議会を設立し、憲法を制定し、国政に参加することが自分たちの目的であって、選挙権すら持てない、いわば99%の人々の死活がかかった生活を救うことが目的ではなかったのであろう。

 ところで、梯子を外された困民党のリーダーたちは、誰かに梯子をかけてもらったとは思っていなかったのかもしれない。だが、回避できない現実を突きつけられたその時、彼らは一体何を思ったのだろうか。それはそれぞれの人々が事件の前後にとった言動の記録から想像するほかはない。

 だが、なにより注目すべきは、蜂起の正当性を、農民たち自身が明治時代の自由民権運動の思想、つまり自由や平等という西欧近代啓蒙思想に求めていたところにある。しかし、この事件の肯定的部分よりもむしろ否定的部分の方が秩父の人々の心性に今なお深く沈殿しているように感じられる。『秩父事件』の末尾で著者こう言っている。「しかし、秩父事件の記憶は、日本の歴史のなかで、民主主義の理想が生きているあいだは、ある積極的な発言をし続けるだろう。」と。

秩父事件の人間像

 『秩父事件』にはいろいろな人たちが出て来る。同じ自由党員であっても、困民党の運動に直接影響を与えた人々、困民党の運動を知っていてもかかわりを持とうとしなかった人々、自ら困民党に参加した人々がいた。困民党として蜂起した人々のなかにもさまざまな人たちがいた。自由党員の人たち、程度の差はあれ自由民権思想に啓蒙されて困民党蜂起を指導遂行した農民の人々、もちろん一万人近いその他の人々は、村々で行われた「駆け出し」で動員された貧困に苦しむ農民たちである。この最後の人々は、役所で証文が焼かれたり、高利貸が打ち壊されたりして自分たちの借金が棒引きになるから、あるいは困民党に従わねば自分たちが焼き打ちされると脅されて、蜂起に参加した人々であろう。

 板垣退助は、明治7年、薩長藩閥政治に代わって憲法の制定と議会の開設を求めて「民選議院設立建白書」を政府に提出して却下されたことを契機に自由民権運動を始め、明治14年、「国会開設の詔」が出されたことを契機に自由党を設立した。だが、次第に地方の急進派を抑えられなくなりその3年後の9月に起こった自由党左派による加波山事件(政府転覆を狙ったといわれている)直後に自由党を解散する。その間、明治15年に暴漢に襲われて負傷し、同年末から半年ほど外遊しているが、急進化する地方組織を統一した運動方針の下に指導する意思あるいは力が党本部にはあったのか疑問が残る。

 困民党武装蜂起の決定は明治1710月12日だが、蜂起日時の決定は、山の中での幹部の激論を経て、前日の10月31に日といわれている。秩父郡全域をあらかた困民党勢力下に置き大宮郷(今の秩父市)から政府機能を奪取したのは113日でその数およそ8000名。だがその直後、軍の派遣等で次第に強まる政府の圧力下での誤情報等による判断ミスが続き、指揮統制力の壊滅が始まる。そしてついに周辺地域の一斉蜂起の望みが絶たれたことも明白となって、翌日114日には本隊は実質崩壊する。その後分隊は尚存続し、尚各地で「駆け出し」による人集め、時には官憲と戦闘などのゲリラ活動を行い、最後に残った人々は秩父から峠を越えて山中谷沿いに武州街道から十石峠を越えて信州へ向かった。その数500600名。彼らを率いる自称参謀の菊池貫平の行動は、これから進む先にある一斉蜂起の希望を捨て去らない革命ロマンに対する楽観主義を彷彿とさせる。

 そして遂に、11月9日、八ヶ岳山麓、佐久甲州街道沿の信州馬瀬にて、圧倒的な装備を持つ高崎鎮台兵一中隊100名による20分弱の十字砲火を浴びながら13名の死者を出し、東馬流の井出氏邸に置いた本陣は壊滅した。翌日残った200人程は尚隊列を組んで甲州を目指して南下したが、後方遠方からの憲兵の狙撃を受け、前日からの恐怖に農民達は潰走し、八ヶ岳山麓や秩父山地へとそれぞれの思いを抱えて逃げ散っていった。その後、3821人が刑罰を受け、その内12人が死刑判決であった。逃げ延びた者数名、獄中死した者多数。



2017年10月8日日曜日

10月8日(日) 資本論第二巻全部と第三巻の第五編までを「爺~じの哲学系名著読解」にアップしました

ブログを七つ 「爺~じの哲学系名著読解」へアップしました。

 資本論の第二巻は以前に別ブログ「爺~じの「本の要約・メモ」に掲載したものを、第一巻が掲載されているの方移動したものです。

 資本論第三巻は、やっている内に段々詳しくなってしまったので、分割して掲載することにしました。今回は第一篇から第五篇までです。

 このブログは、ワードからのコピペの相性が良くないのか、このくらいの量でも、書式をデフォルトのフォントに指定すると、箇条書きの段落書式などが変換されてしまい、少し見にくくなってしまいました。たまにうまくいますが、理由はよく分かりません。
 

2017年10月7日土曜日

10月7日(土) 『プラトン入門』(竹田青嗣著 ちくま新書 1999年)


 本書は2005年頃読んだのだが、竹田青嗣という人は、哲学の価値と普遍性を、普通の人にも気付かせてくれる数少ない「哲学をする人」であると思う。
 人が生きていくためには、生物としての生存条件だけでは十分ではない事は多分誰でも気付いている。しかし、ではそれ以外に人は何を必要としているのかという問いに対しての回答は難しい。

 プラトンは、そのことの本質を洞察した歴史上最初の人間であった。以後2500年を経た今日に至るまで、一部の哲学者と数多の普通の人々を悩ませ、ついには問わざるを得なかった本質を。もちろんプラトンが述べた個別の内容が今日の世界においてすべて妥当であるはずも無い。しかし、プラトンがその洞察を行うときに用いた哲学の方法は、今日においても尚有効である。
 プラトンは何処かに「真実」があることを述べたのではなく、「普遍性」の概念が人をして冒頭の問いへの回答を可能にするのだ、と述べているのだと思う。
 

2017年10月1日日曜日

9月28日(木) 哲学が好きになる本『哲学のモノサシ』(西研(著)、川村昜(絵)) 

 この本は、2004年頃に読だのだが、読んでいると著者が私に話しかけているように感じるほどわかりやすく言葉が投げかけられてくる。ページごとの欄外には丁寧な注までついていて、哲学書など読んだこともない人にも哲学の良さを分かって欲しいという気持ちに溢れている。孫達が、哲学を好きになりますように。

 改めてパラパラとページをめくっていると、鉛筆でのメモ書や蛍光ペンでのマーキングが所々にあったので、目次ごとにそれらを抜き書きしてみた。丸括弧内は私のメモ書き、カギ括弧内は著書からの抜き書き。

  • 哲学はどうやってはじまったのか?
    (古代ギリシャから今にいたるまで、哲学は価値観がゆらぎ始めるときにはじまる)
  • 哲学するってどんなこと?
    (哲学とは、自分の内側から聞こえてきた問いかけに耳を澄ますことだ)
  • 哲学の特徴はどんなところ?
    「第一に、だれにとっても大切なことを、だいたんにストレートに問う」
    「第二に、常識や権威ある人の意見をそのまま信じ込まない」
    「平易な言葉で、すっきりした理屈で、しかも深い考えを育てていきたい」
  • 考えても「無駄」なんじゃない?
    (だれでも悩むときがある。そのときは考えているはず。答えが出そうもない時は、どうしてそう問うのか、と視点を変えて問うて見ると答えに近づくかも知れない)
  • 生きている意味はどこにある?
    (例えば、「ニーチェの主著「ツァラストゥラ」には、苦悩の人ニーチェがつくりだした結晶のような言葉がいくつも入っている。」)
  • じぶんを問うこと・普遍的に問うこと?
    (真・善・美が何であるか?よりも、それらを感じ取ること自体には普遍性があるということに気付く方が大事)
  • どこから。どうやって考えていけばいいのか?
    (一切は、意識にとっての現象として登場する。・・・フッサール)
  • 絶対にただしい知識なんてあるのかな?
    「この二つ(キリスト教の影響とユークリッド幾何学)があいまって、近代という時代は、唯一の客観的現実を反映した絶対にただしい知識が手に入れられると信じ、それを求めたのである。」
    (実験と観察で確かめられた知識は、経験の積み重ねで変更しうるから絶対にただしいとは言えない→科学の世界)
    (人間の心の世界は、数学でも科学でも扱えない部分が殆ど、というより、まずは問いの意味を問うことから始めよう)
  • 科学は世界を説明しつくせるか?
    (この問いは、説明しつくせるかも知れないと思っていることが前提になっているが、何故そう感じるのか、と問う方が面白いなぁ)
  • 宇宙には「はじまり」があるか?
    「この難問に、どう答えるか。ぼくのみるところ、他を圧倒してすごい答え方をしのは、ブッダとカントである。二人の答え方はそれぞれちがうけれど、共通しているのは、「まともに答えなかった」ということだ。」
    (まともに答えない、その理由に問いへの答えの本質がある、と著者は言っている)
    (現代もその問いへの追求が続いている。実験と観察という経験の積み重ねは人間にとっての世界認識を変えていくと思うから、その問いは無意味であるということではない)
  • 「究極の問い」はどこにいきつくか?
    (究極の問い、世界の始まり、世界の果て、物質の始原物質、の問い、はなぜ問うのかと言えば、それを知りたいから、つまり欲望、従って人間の心、つまり、問いの対象は、そのような問いを生じる人間、究極の問いは人間に行き着くのだ)
    (カントの場合には、そのような問いは人間の理性のなせるわざで、この問いには答えがないことを示したところが面白い)
  • 自由な意思なんて存在しない?
    (物理学的世界は一切が決定されているから、そこには自由はない。すると、人間は物理学の法則に従っているから、人間の意思に基づいた自由というものはない、という論理が成立しそうになりそうだ。ところがどっこい、物理学的世界は人間の経験の世界なのだから、法則の成立の前に人間の経験が先行していることになって、この論理は破綻している。)
    (ところで、どうしてそういう論理に陥りそうになるのか、それは科学の発達の結果が巨大なので、科学の本質をかえって理解出来なくなるからだろう。巨大とか偉大とか権威とか権力とかに惑わされないで自分で考えることこそ、もともとの科学的、同じことだが哲学的態度だ)
  • 主観は客観に到達できない?
    (主観は心、客観は心とは別のとことにある事実、となると一致するとはどういう意味だ?それは真理であるという意味を持つ。主観と客観の一致はこんな感じ。)
    (近代学問の父デカルトは、心身二元論で心と物を分けてから、嘘をつかないハズの神の保証のもとにこれを一致させることが出来るので、主観と客観が一致して真理を知ることができる、と同時に、意思の自由もあると考えたそうだ。だが、この理屈には宗教が人の命を支配していた時代背景がありそう。デカルトの思考のアタリは、とにかく人間は主観から出られないこと、ハズレは主観と客観の一致が真理を意味すると考えたとこ)
  • 〈物〉と〈心〉、どちらが根本か
    (そりゃ〈心〉だろ、と考えられなくなってくるのは、淺知恵がついたためかも。でも〈心〉だとすると、真理は〈心〉変わりすると変わってしまうような、危うく頼りないものに成り下がるかも)
    (ご心配なく、私の好きな、数学者でもあるフッサール先生が”心配ご無用”と言ってくれている。つまり現象学はこの謎を解いた)
    「その(現象学)というネーミングは、一切の対象は意識において現れるもの(神的現象)である、というところからつけられた。」
    「《現象学》は、「向こう側に存在するだろう唯一絶対の真理」を求めることから、問いの方向を大きくじぶんの方へと転換した。〈唯一の真理・正義は何か〉ではなく〈なぜ私はこれが真実だと思えるのか〉〈なぜ私はこれをよくないと感じるのか〉と問う。・・・それとともに、他人を問うて見る。〈なぜあの人はこれをよくないことだというのだろうか〉。どういう条件のもとにその人は、またわたしは生きてきたのか。生きてきた条件と価値観について鋭敏になること。互いが深く理解し合うために。そして、人間そのものへと問うていく。・・・こうして現象学は《哲学ゲーム》をほんらいのかたちへと連れ戻したのだ。」
  • 夢と現実とはどうちがう?
    「現実とみなすための基準は〈首尾一貫性〉と〈他人の同意である〉」
    (わたしたちが、心の中で現実であると感じとっている場合は、この二つの条件が満たされている場合である。夢を偏見、現実を、ほんとう、と読み替えてもいいし、応用問題は沢山あると思う。)
  • 「現実を生きてる感じ」はどこからくる?
    「現実感(リアリティー)は、どこからくるのだろうか、人はなぜイキイキしていたり、イキイキできなくなったりするのだろう」
    「希薄になった「生きている感じ」を取り戻すには、じぶんがそれまで生きてきた現実のストーリーとじぶんの欲望をていねいに検討しつつ、現実とじぶんを組み立て直すというやり方がある。しかし当時のぼく(著者の大学時代)には、そういう知恵はなかったなあ。」
  • 人は何をもとめて生きているのか?
    (近代哲学の総元締めである哲学者ヘーゲルは、人間の欲望の中心あるのは〈価値あるじぶんであろうとすること〉、人間の欲望の根本は他者からの承認、その人間の価値観は経験の積み重ねでつくられ、つくりかえられていき、感受性としてかたちとなっている、と言った・・・)
  • 自分のモノサシをどうやってつくるか?
    「だれかが(恋人なり友人が)じぶんの存在を受け入れている、という感覚が得られてはじめて、人はじぶんの感受性を肯定できるようになるのだ。そして、感受性の肯定が出来てはじめて、その人はじぶんを検証しながら自覚的にじぶんのモノサシを育てていくことが出来るようになる。(他の人と一緒に育て合っていく)」
おわり





2017年9月26日火曜日

9月26日(火) カントの政治理論って、何だろ?『カント政治哲学講義』(ハンナ・アーレント)

 今日取り上げる本は、あの偉大な哲学者カントが考えた政治哲学についての、ハンナ・アーレントという女性哲学者(1906年~1975年)の講義録。

 ハンナ・アーレントはナチスによるドイツの全体主義がもたらした悲劇の理由を哲学的に探究しながら、志半ばで死去したユダヤ系ドイツ哲学者。イマニエル・カント(1724年~1804年)は超有名なドイツの哲学者で、日本の旧制高等学校で歌われたそうなデカンショ節(デカンショー、デカンショーで半年暮らしゃ、後の半年ゃ寝て暮らす、ヨイヨイ♫・・・)に出て来る三人の哲学者の一人で、その三大批判書つまり、平たく言えば「真理とは何か」を追求する『純粋理性批判』、「善悪」とは何かを問う道徳哲学『実践理性批判』、「美醜」の判断を問う『判断力批判』が夙に著名だ。個人的には、デカルト、カントは良いけど、ショーペンハウエルの代わりに、ルソーにして欲しかったけど、そうすると、デカンソー、デカンソーとなって、少し調子が出ないかもね。

 俗っぽい政治に対する哲学的考察を取り出すのはカントじゃないでしょ、というのが普通のイメージ。もちろん、岩波文庫に納められている『永遠平和のために』(1875年著)という本もあるが、どちらかというと政治哲学村の評判は、原理は良いかもしれないけど、いい歳した爺さんが何を青臭いとことを言ってんだろ、現実はそんなもんじゃないぜ、と言うような評価らしい。

 で、ギリシャとアリストテレスとカントとが大好きみたいなアーレントが、そのカントの政治哲学的原理をとりだした13回の講義録がこれ。全部の講義をひっくるめて簡単な感想を書いてみた。

 カントについて第一に感心するのは、著者によればカントが政治向きの話に正面から取り組み始めたのは65歳を過ぎてから、つまり、哲学村では既にボケの領域にあるといわれているそうな老カントは、フランス革命の最中にそのことを考え詰めていたらしい。この部分はジジババにとって励ましになるところ。アーレントはもちろん自分の思い込みではなくて資料を提示してそう言っている。では、どう考えて、どのような結論を出したのだろうか、カント爺さんは。ここでは一番大事そうだと爺~じ(私のこと)が思った二つのことを書いておこう。

 一つは、国家成立の問題が憲法の問題である(道徳や心情の問題ではないこと、また、国家とは個々の法規・ルールを破って自分だけ得をしようとする人間の集まりでもあるから)一方で、他方において公共性の問題(ここでは特に私的秘匿がないこと、流行の表現では情報公開)だという認識だ。もう一つは、政治哲学の根本原理はカントが美について考察した『判断力批判』に表現されていると、アーレントは言う、というところ。客観的な理論や道徳哲学ではなくて、何を美しいと感じるか、その判断にこそ政治哲学の本質が繋がっている、と。何を美しいかと感じるのは人それぞれだが、そうはいっても人類に共通した美の感覚があるだろう(歴史を耐えて伝え残される芸術作品の存在)、その判断力が拡張されて、政治の場において(過去と未来を取り込んだ上での)今ここにおいて必要な政策を判断する、人間の能力として新しく付け加えられるべき、リアルな判断力に変容するのだ、と。

2017年9月17日日曜日

9月17日(日) 科学を見直してしまう『構造主義科学論の冒険』(池田清彦)


 読書メモの方は爺~じの「本の要約・メモ」の方にアップした(A4で26ページ)。
かなり前に、フリーソフトのロジックツリーでまとめたが、そのソフトを持っていないと見ることが出来ないため、箇条書きになおしてみた。

 読書感想文は、5月17日(水)のところで書いたが、言い換えると、科学に対する理解の視点が転換される本だと思う。

 つまり、科学は外部にある客観的真理を発見するものではなくて内部にある同一性を追求する営みであると。

 だから、多分地球外生命がいたならば、別の物理学体系を作るのは間違いないし、互換性があるとしても別の数学を作るだろうなー。ホントかどうか知らないけど。

2017年9月8日金曜日

9月8日(金) 『空想より科学へ』(エンゲルス)いいね!感想

 読んだのは、大内兵衛先生が1946年に訳した岩波文庫版。訳者序で「われわれ日本の社会主義者は、われわれの祖先のうちにたゞにサン・シモン、フーリエ及びオーウェンをもたなかったのみではない、またドイツの社会主義者の如く、カント、フィヒテ及びヘーゲルの流れを汲むことの誇をもってゐない。その故に、さういふことを知るためにも本書を読む必要がある。」とある。

 私は学者でも社会主義者でもないけど、100年前に社会主義国家として史上初めて出現したソヴィエト社会主義連邦共和国が崩壊してから30年弱、目指すべき社会・経済のあり方が見えなくなっている現在において、本書は主義・主張にかかわらず読むべき古典であろうと思う。つまり、18世紀末から19世紀初めにかけてのサン・シモン、フーリエ及びオーウェンのいう空想的社会主義ではなくてエンゲルスの言う科学的社会主義を知ることである。しかしそれだけではない、今となっては、過去の社会主義者達が何を問題としてそれをどう解決しようとして、何を見誤ったのか、どうして見誤ったのか、を知るために。

 但し、そのことを知るためには、前近代から近代への思想的転換と社会経済構造の転換に対する基本的概念と知識が少し必要だろう。つまり、自由・平等・人権の尊重と言う思想、民主主義という政治制度、人々の経済を支える物資の生産と流通・消費の構造、についての基本的な概念と知識である。それから出来れば、誰もが疑えない、人類共通の経験として持っている自然科学・技術が、現実として持っている諸刃の力についての知識も。

 1783年に本書でエンゲルスが提示した科学的社会主義の目指す社会の構想は、まずは一切の社会的制度の基礎は生産とその交換にあるとする唯物史観に基づいたものだ。だから、そのような社会構想において、必要な知識は哲学ではなくて経済に求められなければならないとされ、その結論は、資本家が支配する資本主義社会は歴史必然的に崩壊してプロレタリアが支配する社会になる、というものだ。つまり、自由と平等を実現したいという動機と思想は良いとしても、どうすれば実現出来るのかという考えに欠けている空想的社会主義とは違って、科学的社会主義は、それを実現するための客観的な理論を提示した、というのだ。

もう少し詳しく言うと次のようになる。その経済とはマルクス経済学のことだ。マルクス経済学が主張するポイントは、生産物の価値の源泉は労働にあること、労働搾取によって剰余価値が発生すること、剰余価値によって資本は果てしない自己増殖運動を始めること、このような資本主義的生産様式は必然的に自己崩壊をすること、などである。一方、現実社会には、ひどい貧富の格差に基づいて、自由・平等という理念とはかけ離れた社会状況が存在している。マルクス経済学は、このひどい貧富の格差の根本原因を、もはや生産が社会的生産となったにもかかわらず、それを支える巨大な生産力は社会の所有ではなくて一部の資本家のものとなっていることにある、と診断し、ここに生産手段を所有する資本家階級とその生産手段によって実際に価値を生み出しているにもかかわらず自身の労働を搾取されている労働者階級という二つの対立する階級が生じ、資本主義は、その生産様式に内在する法則に従って破滅することになっているから、この様式に代わって、労働者(プロレタリアート)が支配する社会、つまり社会主義の社会(共産主義社会でも良いと思うが)となる、と予想した。

 この記述を現代に当てはめてみると、妥当だと思う部分と、そうではない部分があることがわかだろう。一番妥当ではなかった部分とは、理論で予測したことが現実として違っていた、というとても分かりやすい部分、つまり後のソ連の成立と崩壊はエンゲルスの予測とはまるで違っていたということだ。妥当な部分というのは、理論の中の個別な部分を除いて一言で言えば、資本主義の矛盾を克服するための一つの社会構想を、批判可能な理論として分かりやすく、具体的に提示してあること、そのこと自体にあると思う。

 理論というものは、経験によって修正されてこそ価値があるのだから、エンゲルスの指摘とは一見矛盾するようだが、上記のような唯物史観が哲学によって修正されてこそ、新しい経済学が生まれる余地があるのではないだろうか。

2017年9月7日木曜日

9月6日(水) 『純粋理性批判』先験的感性論アップしました

ピース
 詳しくは別ブログ(爺~じの”名著読解”)を参照してね。
 カントの理論は、理屈ではなくて感性の方を基盤にして出来ているらしいことを知ることが、先ず第一歩なのだ。それはどういう意味か?私も、哲学と来れば理屈だろう、と思っていたが、それは全然方向音痴であったと言うことなのである。

 理屈を言えるのは経験を積むから、というのは子どもを見てると良く分かるが、感性の方は人間として生まれたからには生来持っている何かを基盤にして可能となる能力だと考えるほかはない。後者のような考えを、カント語で先験的(ア・プリオリ)と呼ぶらしい。先験的感性論とは、先験的な感性について述べられていて、単純に言えば、何はともあれすべてのことに対して人が認識することの一番基本にあるのは、時間と空間で、それはア・プリオリに言えるのだと述べられている。

 自然科学ならともかく、カントが一番やりたかった人間の道徳をについて考えるための入口は、ここから始まっている。

2017年8月19日土曜日

8月19日(土) カント『純粋理性批判』読書メモをチョットずつ書き進めるつもりですが

『純粋理性批判』は、2002年頃から読み始めて2年ほどで大体読み終わった。一人で読むのは難しかったので、社会人講座で中島義道、竹田青嗣、西研等の諸先生方にご指導頂きながら。
2006年頃に、それまでのメモをまとめ始めて面白そうなところは大体終わったが中断している。この調子でいくと、多分全部は終わらないだろう。なぜなら、面白くなさそうなところだけが残っているから。しかし、それでも良いと思っている。孫達が、このメモの何処かで何かのとっかかりを掴むかも知れない場合、多分その箇所は、メモを書いた本人が面白いと思って書いたところだろうから。
掲載は「爺~じの”哲学系名著読解”」に少しずつアップしていくつもり。無謀にも、ヘーゲル『精神現象学』と並行して進めることになるけど、こちらの方は更に完了する確率は少ないだろうなー。

2017年8月9日水曜日

8月9日(水) 網野善彦先生の歴史観『「日本」とは何か』日本の歴史00講談社


網野先生の歴史の本は面白くて20冊ほど読んでいる。その中で2000年に出たこの本は、先生の歴史観を纏めて理解するのに適切だと思う。なので、3年ほど前に仲間の読書会で一回取り上げたことがある。その時のレジュメは別ブログhttps://gansekimind-nihonshi.blogspot.jp/2017/08/00-200010.htmlで公開したが、一部を紹介しておく。

冒頭で、人類社会の歴史についての先生の認識が述べられる。人類社会の歴史は、いまや青年時代をこえて壮年時代に入ってきた。壮年時代においては、それに相応しい思慮深さが否応なしに要求されている。近代以降の進歩史観によって切り捨てられた多様な世界をすくいあげ、それを人類史の中に位置づけて、新たな人類史像を描き出し、本当の意味での「進歩」とは何かが追求、模索され始めている。もとより日本人もまた同じ課題を負っている、と。日本人の自己意識とその現状については「・・・敗戦前の亡霊たちが姿を変えてわれわれの前にはっきりと現れてきた現在こそ、まさしくこの総括の作業を開始する最適の時点と、私は考える。」、と。
 最後に、国家とは何であったのであり、これからはどうあらねばならないのかという難題について、日本国の天皇の歴史研究がヒントを与えるだろうと、興味ある記述をしている。「そしてその上で、改めて列島社会と「日本国」との関わりの歴史を偏りなくとらえ、「日本国」の歴史を徹底的に総括しなくてはならない。これは単に「国民国家」を克服すべきものとして対象化するだけにとどまらない。先も述べたとおり、「日本」という国号を持つ国家、それと不可分に結びついた「天皇」をその称号とする王朝は、もとよりさまざまな変遷を経ているとは言え、ともあれ1300年余りの間、間違いなく続いてきたのである。これは人類社会、世界の「諸民族」の歴史の中でも、余り例のない事柄であることは間違いない。しかしそれだけに、逆に言って、この国家と王朝の歴史を真に対象化(この対象化とは、対象と概念との弁証法的展開における対象化であろう)し、徹底的に総括することが出来るならば、それは人類社会の歴史全体の中での「国家」そのものの果たした役割、また「王権」の持ってきた意味を、根底から解明し、その克服を含む未来への道を解明する上で、大きな貢献をすることが出来るのではなかろうか。」、と。

2017年8月5日土曜日

8月5日(土) マーク・マゾワー『暗黒の大陸』

 仲間の読書会でやるというので、高価で長いが思い切って買って読んでみた(500ページ以上もあって、本体で¥5,800)。出版は1998年。一人では読まなかったであろう価値ある本に出会うのは、やはり楽しいことだと思う。
 20世紀のヨーロッパ通史という野心作で、自分たちヨーロッパの歴史認識にやや批判的内容となっている。今はコロンビア大学教授の著者は1958年生まれの著名な歴史学者だそうで、豊富な知識に基づいて書かれている歴史解釈は面白く読むことができた。
 20世紀前半、ヨーロッパでは戦争や国家の暴力によって6000万人が殺された。その後に開発された大量破壊兵器を用いた国家同士の戦争はまだ起こってはいないが、経済的格差は異常な速さで進行中だ。これは史実だが、そこからわれわれはどう未来を構想するのだろうか?
  読む視点によって注目するポイントは違ってくるだろうが、人々が平和に共存するためには、人間個人はみんなホモ・サピエンスという同じ仲間であってそこに差別はないことがまずは前提されなければならず、共同体としての社会の仕組みは民主主義と制御された資本主義という組み合わせ以外にはあり得ない、ということが本書から読み取れる。
 それらは、焦って極論に走ったり、自分で考えられずに偏見に犯されて簡単な事実すら見えなくなったりせずに、常に鍛え続けることでしか存続し得ないのだ。20世紀のヨーロッパ通史は、そのことが充分にはできていなかった歴史となっている。
 尚、本書は読書メモとし別ブログに残しておく価値があると思うが、内容が多いから少し時間がかかりそう。出来上がったら、この日記で知らせるつもりだ。



 
 

2017年7月30日日曜日

7月30日(日) 普通の人が哲学の意味を理解するのに最良の本『はじめての現象学』(竹田青嗣著)


私は、『はじめての現象学』(海鳥社1993年)だと今でも思っている。最初に読んだのは1996年で50才くらいの頃だったが、衝撃的であったことを覚えている。何が衝撃的かと言えば、読んでみて深く納得できた気持ちになれたはじめての哲学の本だったからだ。納得というのは、哲学の意味と価値が分かったように思えたことについてであった。つまり難解な古典や小難しい現代哲学の理解など、哲学に対する通俗的理解が進んだというのではなく、われわれにとってもっと本質的なこと、つまり哲学とは、自分や他人が抱えている問いや謎を解く普遍的(誰でも納得可能)な原理、あるいはもっと簡単にツールなのではないかと気づかされたのである。

同じ著者による『現象学入門』竹田青嗣 (NHKブックス1989)は少し専門的ではあるが、そうであるがゆえに同様な意味において更に衝撃的な本であった。読んだのは、2003年頃であるが、以降フッサールやハイデガーをはじめとする現象学からポストモダンにいたる本を読むたびに欠かせない参考書として何度も読み返すことになった。

ここで2003年頃に行われた竹田青嗣先生(及び西研先生)の社会人向け哲学連続講座のノートメモから、現象学とは何かについて竹田先生が説明した記述を以下に抜粋してみた。
現象学は近代の認識問題を解く可能性を秘めた哲学思想・手法で、自然科学認識から個人の心の認識、社会の共通認識等を通して今後その有用性が期待される。人々が互いに信じるものが異なったときにこれを克服する手段はあるか?という問いに対して、カント、ヘーゲル、ニーチエ、は答えていないがフッサールは答えようとして現象学のプランを立てた。それは、人は各々の経験に基づいた「確信」を持ちその「確信」が成立する条件が存在しその条件を追い詰めていくと普遍的構造があると考えこれを解明すること、である。

2017年7月29日土曜日

7月29日(土) 杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日経文庫2003年)


遊牧民の歴史は、歴史ロマンの一つだ。もし、著者の説が正しければ世界史の理解を変えさせることになる。著者の説は、もちろん推定の域を出ない部分も多いものの、最近の発見を含む、多国に亙る文献や考古学遺跡等の学術的な根拠によるものだ。

人類の文明は所謂四大文明発祥の地から始まり古代、中世から最終的には西欧のルネッサンスや大航海時代を経て今日の先進文明社会が形成されたというのが常識的理解であった。しかし、その歴史の重要な変化の時期になると北や東の野蛮な地帯からいつも出てくるめっぽう強い不思議な遊牧民たちの集団については深い説明を聞いたことが無かった。彼らは、紀元前千年ころから二千五百年間程に亙りスキタイ、フン、匈奴、鮮卑、エフタル、キタイ、ウイグル、突厥、等々、実に様々な名前で文明国と称する側の記録に残されている。そして最後の仕上げに登場するのはその野蛮さで西欧に有名な蒙古である。

実は彼らは非文明人どころか、一続きのアフロユーラシア大陸という巨大で豊穣な乾燥草地において、強力な軍事力はもちろん、高い文明と経済力を持った国家群の連鎖の担い手であったという。中国の王朝史観や西洋文明偏重史観は今日の歴史観を誤らせているとも指摘している。例を挙げれば、中国の諸王朝の中で漢族の国は漢、宋、明だけだ。

蒙古は民族名ではなく一つの共通な価値観を持った人間集団としての国家名であり軍事以上に自由な経済を重視した合理的な文明国家であり、近代以前の世界秩序の枠組みを形成した陸海帝国であり、残虐な野蛮人集団ではまったくないという。

彼ら遊牧民は自分達の文字を持っていなかったようだが、そもそも文字を統治に用いる中央集権の官僚国家的文化に価値を置かない人々であったとすれば、それが無くても不思議ではない。あるいはまた、後の国家の官僚達が、被征服民時代に残された都合の悪い文書はみんな捨ててしまったのかもしれない。

 冷戦終結による東側陣営の崩壊により、約100年ほど遡って歴史調査が開始されているようなので、もしかするとユーラシア大陸の砂漠や大草原からロゼッタストーンのような大発見があるかもしれない。なにしろ、チンギスハーンのお墓さえまだ見つからないのだから。

2017年7月28日金曜日

7月28日(金) モンテスキュー『法の精神』昔の感想


暑くて、読書日記をサボり始めたらあっという間に10日が過ぎてしまった。今日は、かなり昔に読んだ、モンテスキュー『法の精神』(岩波文庫)の感想文を引っ張り出してきて、少しアレンジして記載しておこう。
本書は、250年以上も前に著され、現代にもなお大きな影響を与えている「法」についての古典だが、文庫で3冊もあってかなり長いし、書かれていることの意味がよくわかるためには、それなりの知識、特に歴史の教養が必要とされるであろうが、「法」とは何だろうという素朴な疑問を持ち続けながら退屈なところは飛ばして読みさえすれば面白く読めると思う。
何処が面白かったかと言えば、私にとっては、「法」を歴史的現象としての政体や社会の観察に基づいて考察している、というその視点にあった。その概要は大体下記のようなものである。
構成は、三つの政体、すなわち共和政体、君主政体、専制政体(共和政体は貴族政体と民主政体に分かれる)と法の関係を主として扱った第1部と、国防や貢租と法の関係及び三権分立論を扱った第2部からなっている。専制政体、君主制体、共和政体を動かしている原理は、各々、恐怖、名誉、政治的徳であり、法は君主制以降で必要になって来て、民主制に至る順番で重要度が増してくる。つまり法は専制政体ではあまり必要ではなく(親分がルールはオレだといえばそれでOK)、また、時代の進歩と共に次第に重要になってくるのだ。当たり前と言ってしまえばここで学習停止となる。
教科書などで本書の紹介として、多分今でもそうだと思うが、良く言われている三権(別に三権でなくても良いけど)分立については、一言で言えば次のようになる。その思想の目的は公民の政治的自由の獲得であり、方法は立法・行政・司法が国の組織として独立した権力を持つことである。その内容をもう少し理解するためには、例えばこの文章に出て来るコトバ、つまりモンテスキューが言っている、公民、政治的自由、権力、国、立法・行政・司法が当時意味した内容を理解していなくても、つまりそれらのコトバが現代と同じと捉えても、言いたいことは大体分かる。
以上のような著者の考えは、フランスを始め当時得られた世界各地の政治・社会情勢や歴史(主にギリシャとローマ。一部ペルシャ・中国等アジアを含む)を、そこに存在した政体ごとに特徴付けられる法との関係において考察することで創られている。因みに日本についての記述もちょっと出ているが、ご愛敬。著者が何故そう考えたかを理解するには、当時の西欧社会だけではなく、ギリシャ・ローマの長い歴史・思想・哲学を学ぶ必要があるのだろう。また、当時のフランスは君主制であり、著者の発言は当時必要とされたであろう護身の程度に制限されている点の配慮も必要であろう。

2017年7月18日火曜日

7月18日(火) 資本論第三部第五編がもうすぐ終わります

元来経済音痴の私が、よくぞここまで、と

自分を誉めてもあまり意味が無い。
利子、それは労働搾取で掠め取った貨幣を、産業資本家と貨幣資本家で分け合う部分の一方であり、利潤とは違って資本主義的生産の法則によって規定されない偶然的なものである。が、ここに新しい対立、資本同士の対立もまた生まれてくる・・・。マルクスの経済思想は一貫しているとしても、次第にその思想からだけでは経済学としての限界を打ち破れなさそうになってくるような気がする。
お金をストックとフローに分けて考えると良い。友人の銀行家から以前聞いた時に目から鱗がハラハラと落ちた言葉なのだが、この言葉を第五編あたりで改めて思い出したことも、その証左なのかも知れない。

2017年7月8日土曜日

7月8日(火)資本論第三部第三篇で足踏み中

第三部まで来て、これから先はチョロいかも、と思いきや甘かった。 第三篇 利潤率の傾向的低下の法則で足踏み中。つまり、あまり長く読んでいるので前の方のを忘れたのと三部に入ってからの甘い気分の成せる業でしょう。第三部では第一部二部のくり返しが多いとは言え、そのくり返しからの深掘りもまたあったらしいのですね。初心に返って、始めの頃よりましとは言え、精読するしかありません。

2017年6月27日火曜日

6月27日(火) 知る人ぞ知るフェミニスト田中美津さんの『いのちの女たちへ』

 昨年、友人紹介で田中美津さんの講演会に行って来た。田中美津さんといえば、知る人ぞ知る1970年代ウーマンリブの中心人物だそうで、その時買ってきたのがこの本。この本も面白いけど、本人はもっと面白い人だった。孫達が、日常の差別意識という問題に気付いてくれますように。

差別問題を、被差別者としての女性の視点から掘り下げる、その感性が素晴らしい本。「いつも、闇から光はよく視える」のである。
複雑に入り組んだ現代社会を生きて行くには沢山の知識と考え方を学んでいかなければならない。しかも言語を通して。家父長制下での男性は存在価値を得るには必死にそれら収得してますます生命力を喪失していくが、女性の方は子供を産み育てる存在という生きものとしての規定を免れないだけ、いくら理屈でホントのところを誤魔化そうとしても、誤魔化しきれない存在なのだ。

「とり乱しはリブの合い言葉」。一人の人間の中には互いに矛盾する本音がいくつかあるから、本音の語りは言葉で表現できるものではなくて「とり乱し」を通してしか表現できないものである、から。問題の本質は、人間の差別意識にある。そのことは、被差別者が差別者の、また非差別者同士の「寝首を掻く」(神話の悪女ユーティッドのように)ことをされたくないし、したくない、と言う著者の言葉にも象徴されている。



2017年6月21日水曜日

6月21日(水) 『漂海民』羽原又吉著 漂流民ではなくて漂海民です

 漂流民、という言葉は知っていたけど、有名なところでは中浜万次郎とか、漂海民というのはそれとは違う。陸より海に住みつつ海を生業として暮らしていた人々のことらしい。
 著者は「日本漁業経済史」を専門とする方で、『漂海民』は1963年に岩波新書で出版され、その後アンコール復刊版を2014年に読んだ。動機は、国とは何であろうか、という素朴な疑問の答え探し、というと大袈裟だが、そういうこと。

 感想を一言で言えば、人々の生業があって、それから国家があるということを思い出させてくれる本、ということになろう。
 暮らしていけるなら、陸でなくて海でも良い、これは当たり前なのかもしれない。古来、海を住居として一生を暮らす人々が居たらしい。もちろん陸にあがって物資を調達したりいろんな用を足すとしても。
 文献にでてくるのは中世頃らしく、中国大陸沿岸部、日本列島などアジア各地での存在が記録されているとのこと。日本においても最近までそのような生活形態をとって生業を立て暮らしていた人々が居た。一般にマイノリティーがそうであるように、彼らも差別の対象であった。
 彼ら漂海民には多くの謎があるが、何か現代において忘れられている、生きることに関わる大切な価値を継承してきた人々なのかもしれない。それは、海という圧倒的な自然によって生かされているという意識、陸上の農耕・牧畜のように人為的に食べ物を生産したり、また富を蓄えようとも思わない意識、行き場がなくなれば未知の世界に漕ぎ出す他はない、というのかそれができる、という意識、そのような意識がつくり出す価値かもしれない。


2017年6月17日土曜日

6月17日(土) 長谷部恭男先生の『憲法と平和を問いなおす』をアップしました

樹齢60年のボケの花

この本を読んでアップするとブログで言ってしまってからもう二ヶ月が経ってしまった。【要約】は別ブログ(爺~じの本の要約: 6月 2017 (gansekimind-bookmemo.blogspot.com))に掲載しましたので、こちらの方は感想部分だけ掲載します。


『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男 ちくま新書

【感想】

新書だが内容は深く読み応えがある。それはタイトルからしてそうであるはず。箇条書き風にしても結局A430ページ程になってしまった。

どうすれば平和に共存できるのか、ボタンを押せばその答えが出るのではなく、結局は「自分で考える」他はない、著者はそう言っている。少し内容は難しくて理解できないところがあるかも知れないが、そのことを孫達が感じ取ってくれれば良いと思う。

2017年6月11日日曜日

6月8日(木) 水野和夫・萱野稔人 経済対談

積ん読となっていた新書本を待ち時間つぶしにと何気なく手に取って読んだら、とても面白かったので読書記録を見たら6年前に読んでました。しかも、何の感想もなかったみたいで!。それは2010年に書かれた『超マクロ展望 世界経済の真実』という題名の新書で、当時57才の経済学者と40才の哲学者の対談です。そこの書かれている内容は題名のごとく超マクロ的、世界史的な経済展望(真実かどうかはわかりませんでしたが)、一言でいえば、500年続いた資本主義は現代に至ってついに行き詰まった、でもその先は正直よくわからんというものです。
読書日記に書こうとしたのは、この本の内容を紹介したいからではなく、読み終わるまで既に読んでいたことを全く思い出せない本がたった六年後の今回面白いと思ってしまった理由でした。それは、たしかに老化現象による記憶力の低下も関係していることは否定しませんが、最近の世の中の動きがおかしいのではないか、という意識でここ数年来持ち続けてきた関心のなせる業だろうと、つまり書かれていることの意味の理解が進んだのだろうと、その点においては若返っているのだろうと。


2017年6月6日火曜日

6月5日(月) 日露戦争後に出版された警醒の書『日本の禍機』(朝河貫一著)


最近の世の中、世界的に変な雰囲気がが漂ってきているなー、と感じていたら、十数年前に読んだこの本を思い出し、感想文に掲載することにした。
 この本は、現代中国解説についてはピカイチと私が思っている矢吹晋先生の推薦だが、読んでみて、世間ではあまり注目されないと思う本書を推薦した先生の慧眼にも改めて敬服した。ということで、感想文を下記した。




 日露戦争と第一次世界大戦の間に著された、日本外交に対する警醒の書。その内容は世界の歴史と時代状況の客観的把握に基づいたもので、その後日本が辿った悲惨な歴史を鑑みると、著者の慧眼が証明されているように思える。当時の日本人にこのような人がいたことは、何か日本の知に対して誇りを感じるが、それ以上に人間の知そのものに対する自信さえ与えてくれる。

 著者の主張のポイントは、大体次のようになる。東アジアを巡る当時の世界情勢に二つの外交方針が存在した。一つは列強が支那を苦しめつつ相争いて自利を計る政策(旧外交と称す)、もう一つは支那の主権を尊重しつつ諸国民の経済的競争の機会を均等なるべくを謀る政策(新外交と称す)。日本は新外交を方針とし、世界の輿論を背景に日露戦争に勝利したが、満州等において更なる利権を手中にした後には、現存する新・旧外交の矛盾を解消するのではなく、政府は私曲(著者のキーワードの一つ)により旧外交へと逆行し、国民もそれを支持していると批判している。そして、このまま進めば清国を巡り米国と争いになると予言している。
 因みに著者は大学を卒業後23歳で渡米し、エール大学の教授となり、その学問的業績評価は日本ではなく欧米で高い人とのこと。

2017年5月27日土曜日

5月27日(土) エマニエル・トッドの新書三冊

仲間のプチ読書会でエマニエル・トッドの新書三冊を読んで、それを魚に一杯やるというので急いで二冊読んでみた。読んだのは『シャルリとは誰か 人種差別と没落する西欧』『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』で、あと一つの『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』は,、バラの手入れの方が忙しくて明日の集まりまでに間に合わなかったから、読んで纏める係の友達の解説を聞いて読んだことにしよう。
1951年生まれでフランスの歴史人口学者トッドさんの本を読むのは初めてだから、なぜそういう話になるのかということについては今一つ腑に落ちない。しかし、とにかく現在進行中の歴史的転換に対する一つの見方であることは確かだろう。東アジアやトランプの米国やプーチンのロシアだけではなくて、欧州もやっぱり変なのだ。欧州は、人間の自由・平等などの基本理念に基づいた近代国民国家の発祥地なのに、そんなことで大丈夫だろうか?

2017年5月18日木曜日

5月17日(水) 池田清彦先生の『構造主義科学論の冒険』の纏め直しと読書感想

ピンクパンサー
この本は6~7年前に読んでとても面白かったことを覚えている。ただ、その時の思いつきでロジックツリーのフリーソフトで纏めてあったため、そのソフトがないと読めないし、後々読めなくなる恐れもあるので普通の文章、といっても変換の都合上、箇条書き形式で書き直すことにした。やってみると結構手間がかかりそうなので公開はもう少し後の予定。読書感想については別に纏めてあったので、このブログに掲載した。


この本を一言で言えば、「構造主義科学論」という観点によって科学の本質へと導いてくれる本、ということになる。
科学は(人間の主観と切り離された客観的)真理を追求するのではなく、同一性の追求をめざすものである、と先ず著者は指摘する。つまり、科学は人間精神の外にある「真理」を追究してきたつもりだったが、実は「同一性」という人間精神の中にあるものを追求する営みであった、ということなのであろう。
しかし、少し考えてみると、一人一人の人間についてみれば実にいい加減としか言いようがない人間精神の営みが作り出した、例えば宇宙船やコンピュータ等々の事物が、実に設計通りの機能を発揮するようになっているのはなぜだろうか、という疑問が浮かんでくる。それは、科学の理論が客観的なものへと変わっていく構造を持っているからである、というのがこの本から読み取れることである(別の視点から観れば、宗教や他の理論そうなっていないということだろう)。
一般に、科学の理論は「帰納」「現象」「演繹」を基盤にしていると考えられているが、著者によれば、それらの基盤は脆弱であり、より深い基盤は「構造」にあると言っているのだと思う。例えば、「帰納」によって法則が可能なのは「一回起性の出来事」の中に予め共通な事実が含まれていることが前提されているし、「現象」が観察で可能なのは現象自体が人間精神と別に在ることが前提されているからで、「演繹」が前提している「因果関係」は、一般には自身がそこに含まれる必然性を含んでいるから論理破綻している、という様に。
著者が提唱する「構造主義科学論」はこれらの問題を克服出来る可能性を持っているかもしれない、という。では、その「構造主義科学論」とは何なのであろうか。その説明として著者はいろいろな言い方をしているが、わかりやすい言葉に少しアレンジして言ってみると「外部に自存する不変な実体に根拠を置かないでも科学というものは構築できるという科学の理論」となるのだろう。ここで、外部や自存というのは人間精神に対しての言い方で、例えば神とか自然、不変というのは普通に考えている時間が経過しても変わらないということ、実体というのは人間が在ると思っている事物や法則のこと、と考えれば大体良いと思う。一番短い説明は「科学理論は構造である」、一番言い当てて(コードして)いそうなのは「科学とは、現象を構造によってコードし尽くそうとする営みである」だろう。だが、これだけ読んでもなんだか分からない。分かるには、著者の理論の基底になっている哲学思想、特にフッサールの現象学とソシュールの言語理論及び後期ヴィトゲンシュタインの言語哲学の基本を理解することが必要となる。これらの哲学用語を用いると、もう少し具体的な説明が可能になる。例えば、著者は「経験によって感じることの出来るすべての何かを現象」と呼び、ここを信じて起点としている(フッサール現象学の理解が背景にある)、「シニフィエが代入された記号と記号の関係形式を一般に「構造」という」(「シニフィエ」はソシュール言語論の用語)、「科学は見えるものを見えないものによって言い当てようとするゲームである」(「ゲーム」は、後期ヴィトゲンシュタインの哲学用語「言語ゲーム」が由来だろう)、など。
読んでみて気付いたのだが、この本は科学の歴史を理解するためのとても良い教科書になっている。科学史の本には事実や知識は書かれていても、その思想についてはあまり書かれていない。しかし、この本は、「構造主義科学論」という観点を置くことによって、科学の知識ではなく本質に迫ることが出来るようになっている。だから、ギリシャの自然哲学から始まって、ニートン力学、アインシュタインの相対性理論、素粒子物理学、量子論、更に著者得意の生物学の分野に至るまでの科学の歴史が「ナルホドそうだったのか」、あるいは「もう少し科学を勉強してみたい」と思うように書かれている、と思う。



2017年5月16日火曜日

5月14日(日) 資本論 第三巻の第二篇まで読み進んできました

モッコウバラ
仲間と資本論を一度マジメに全部読んでみようと始めてからもうすぐ三年が経過する。はじめは、忠告通りに、マルクス自身がキッチリと吟味して出版した第一巻だけにしておくつもりであったが、ついつい勢いがでてきて遂に二巻も読破して第三巻突入してしまった。

 流石ここまで来ると、忠告の意味がいよいよわかってくる、つまり専門家でなければそこまでは必要ない、と。仲間内の読書会では各回ごとに担当者が回り持ちでレジュメを作って説明するという形でやているが、私はそれとは別に自分のまとめを作っているから時間がかかる。

 既に、第一巻は章ごとに分けて、出来た順に別ブログ「爺~じの”名著読解”」に掲載済み。後で第一巻全部まとめて150ページ位を掲載しようとしたら多すぎたためかだめであった。第二巻は第一巻と重複すると思った部分を省略したりして、30ページくらいまとめて別ブログの「爺~じの”本の要約・メモ”」に掲載した。
 
第三巻は第二篇までまとめたがもう30ページになってしまい、後で1/3位に要約してからまとめて「爺~じの”本の要約・メモ”」にする予定だが、このペースで行くと来春くらいになりそう。

2017年5月10日水曜日

5月10日(水) やっと、鯨岡峻先生の本一冊のまとめをアップロードしました

本の名前は『〈育てられる者〉から〈育てる者〉へ』です。感想部だけ下記します。詳しくは、別のブログ「爺~じの「本の要約・メモ」を見てね。まとめ方が悪くてメモにしては長いけど。

***********************************
【感想】

本書は、育児に関わる多くの事例・エピソードに基づいて、そこから著者が普遍的なものであろうと感じ取り・読み取った事柄の記述である。だから、子育て最中の若い人にとっては是非本書自体を読んでもらいたいと思う。実は本書の魅力の一つは、味わい豊かな文章の記述にあるのだが、この点においては、この要約はあまり役立たない。

一方、本書に盛り込まれている人間理解の仕方には、とても深いものがある。だから本書の考え方は子どもだけではなく大人も対象になるのであり、より広く他者と関係を持ちながら生涯変化していく人間という存在の関係自体をも対象とした一つの哲学であると思う。この点においては、この要約は少し役立つのかも知れない。

尚、第四章の「■〈育てる者〉たちの生涯過程を振り返る」以降については省略した

***********************************

2017年4月23日日曜日

4月23日(日) カント『判断力批判』を読み始めることになりました

 
ホワイトクリスマス
『純粋理性批判』は10年ほど前にゆっくり読んだことがある。一人では難しいのでいくつかの社会人講座を聴講しながら2~3年かけてだが、今でも素晴らしい本だと思っている。時間が許すなら、別ブログ「爺~じの哲学系名著読解」に掲載したいけど、どうなるか分からない。
 『実践理性批判』も社会人講座を受けながら読んでみたが、『純粋理性批判』ほどの感激はなかった。『判断力批判』は仲間との読書会で通読したに過ぎなかったが、何か引っかかったままに7~8年程経ってしまった。今回、和光大学社会人講座で一年かけて読む機会に恵まれたので、再度チャレンジしたいと思っている。美しい、という気持ちをもっと感じ取れるようになるかも知れないから。


2017年4月15日土曜日

4月15日(土) ハンナ・アーレント『精神の生活』を気長に読んでます

 アーレントの本は、ちくま学芸文庫の『人間の条件』と『革命について』などを読んで、政治哲学の哲学的根拠について、彼女はもっと知っているのかも知れないと思っていたところ、晩年の作『精神の生活』があることを知りました。というタイミングで、こちらの分野を専門とする先生に巡り会い、仲間とこの本を読む勉強会をさせていもらっています。
 第二次世界大戦、どうしてそんなバカなことを、普通の人はやりたくもない事をやってしまう羽目に、あるいはやらされる羽目に陥ったのか、一応その昔に比べれば現代に近い民主主義の国家同士なのに、という謎を解く鍵を追い求めていくと、最後は政治哲学(政治学)の哲学(人間学)的根拠、言い換えれば日常において人々が共に生きていく生き様に行き着くだろうと思えるからです。但し『精神の生活』という本がどれほどこの期待に応えてもらえるものなのかは、読み終わるまではまだ先が長いから、分かりません(もし孫達が読む気になったら、原書の英語で読んだ方が良さそうですが)。長谷部恭男先生は、アーレントの民主主義に対する考え方には批判的でした。この点はこれからも考えたいと思っています。

2017年4月14日金曜日

4月14日(金) 益川敏英先生の、警世の新書

 益川敏英先生は2008年のノーベル物理学賞を授賞しました。その夜、受賞の感想を聞かれて「たいして嬉しくない」と言っているのをTVなどのマスコミ報道で見て、何でそんなことを言うのだろう?と素直に思いました。
 しかし昨日、フトしたきっかけで先生が2005年に新書で書かれた『科学者は戦争で何をしたか』という本を読んでみたら、先生のへそ曲がりは筋金入りでたいしたもんだ、その心意気は見習わなければならないと、自分の鈍感さに反省させられました。この本の帯には「科学の中立性が危うくなり、研究室も市場原理に左右され、軍事利用技術も活発化しています。加えて昨今の安倍政権の動きを見ていると、危機感は募るばかりです。(中略)私はこれからも地球上から戦争を無くすためのメッセージを送り続けたいと思います。」と書いてあります。
 本書のタイトル『科学者は戦争で何をしたか』という歴史上の負の諸事実は沢山あって、わかりやすいのは兵器への利用であり、極めつきは核兵器でしょう。益川先生は、科学は正と負の両面を持つ諸刃の剣なので、中立性を保たねばならないと言われます。科学の中立性とは、科学がその時々の権力に従属しないということだろうと思います。これは近代の歴史経験から学んだ人類の知恵、新しい概念を示しているのかもしれません。丁度近代の民主政がその歴史から学んだ智恵、権力の分散のように(科学技術はそれだけ人類社会に与える影響が大きいもの、しかも将来的影響の具体的内容は誰も分からないもの、つまり人類史上の民主主義と同じように、となった)。所詮そんなことは出来ないという考えは、この場合には、人類滅亡へと直接に繋がるものなので止めた方が良いと思います。人間は、共倒れで滅亡するような、そのような生き方をから少しずつ逃れ続けて折角今日までやってきたのですから。

 

2017年4月9日日曜日

4月9日(日) 鯨岡峻先生の、臨床発達心理学の本

早くも前回から一週間も経ってしまった。これ以上間が空くと日記ではなくなりそう。
 発達臨床心理学者の鯨岡先生の本を、哲学の先生に教わって五年ほど前に三冊ほど読みました。人間の関係発達を扱ったとても奥深い内容を持っていて、むしろ哲学書だともおもいました。一方ハイレベルの育児書としても素晴らしいと思い、要点をまとめて忙しい娘達に送ってあげようとしているうちに、上の孫が八歳になってしまった。間に合わないかも・・・が、まだ一番下の孫が一歳ちょっとなので頑張ってまとめている最中です。でも読書だけでも五、六冊並行しているから、始めてからもう三ヶ月経ってしまいました。
 因みに昔読んだ鯨岡先生の本は、『保育のためのエピソード記述入門』『子供は育てられて育つ』『<育てられる者>から<育てる者>へ』、です。要点をまとめているのは三番目の本です。もうすぐ出来上がり!のはず。

2017年4月3日月曜日

4月2日(日) 長谷部恭男先生の、憲法の本

 今、長谷部先生の本『憲法と平和を問いなおす』を読み終わりました。結構力を入れて読んだので近々別のブログ「爺~じの「本の要約・メモ」」の方にUpする予定です。1冊目は『憲法とは何か』で、これで2冊目です。
 長谷部先生は憲法学者で、昨年6月に衆議院憲法審査会に自民党推薦で呼ばれ、他党推薦の他の2名の方と同じく集団的自衛権は憲法違反だと言われました。先生の本を読んでみようかと思ったのは、そのことというよりは、日本近現代史の加藤陽子教授が高校生向けに書いた『それでも日本人は「戦争」を選んだ』という著作の中で、長谷部先生の著作『憲法とは何か』で紹介されていたルソーの「戦争及び戦争状態論」という論文(日本語訳は無かったそうです)を知り、「まさに目から鱗が落ちる驚きと面白さを味わいました」、と、書かれていたからです。加藤教授は長谷部先生が「ルソーは、戦争は国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと」述べている、と書いています。補足すれば、長谷部先生はルソーの結論は空論ではなく、そのことは現代の冷戦終結が示していると指摘され、次のように述べています。「全人類を滅亡させるに足る大量破壊兵器をもって,しかも敵対する陣営の消滅を目標として二つの陣営が対峙するとき,終末論的帰結に至ることなく対立を終結させる手段としては、ルソーの描いたもののみが考えられる。」
 長谷部先生の本『憲法とは何か』は昨年11月に別ブログ「爺~じの「本の要約・メモ」憲法とは何か」にupしていますが、要点・メモにしては少し長すぎました。『憲法と平和を問いなおす』の方は、憲法とか平和とかを語るには、その前提である民主主義とか平和主義とかいうものは、そもそもなんであるのか、という原理に焦点を当てて、短くまとめてみたいと思っています。

2017年4月1日土曜日

平成29年4月1日(土) 4月から読書日記を始めました

これでブログは四つとなりました。

①「爺~じの哲学系名著読解
②「爺~じの読書日誌」改め、「爺~じの「本の要約・メモ」
③「爺~じの日本史メモ
④新しく「爺~じの読書日記

①~③はあまり更新できておりませんが④は日記なので原則毎日公開したいと思っています。でも、少し無理かもしれません。日記の中で①~③への登録予定などを書き込む予定です。
---------
 ところで、すでに「爺~じの哲学系名著読解」に分割掲載したカールマルクスの「資本論」第一巻と第二巻のうち、第二巻の方は「爺~じの「本の要約・メモ」」が相応しいと思って、一括にまとめて掲載し直しました。
 というのは、勢い余って第三巻まで読み進み、それをまとめているうちに、第一巻は一生懸命に読解していたけど、第二巻に入ると自然とメモ風になっていったからです、やっぱしそうだったか(噂では、マルクスが自身で最後まで書いたのは第一巻だし専門の学者でなければここまでで十分と)。でも、古典・名著といわれている本を原著でじっくり読むと、そういう発見があって、また自分の無知が一つ埋められて楽しい経験をすることが出来ました。